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塾ブログ 林間教育通信

2017/10/17

[映画紹介] 将来伸びる子にするための子育てをしよう!ー「余白の大きな子」に

先日、余白の大きな子が柔軟に伸びる、ということを書きました。

 

「余白」というのは、「遊び」の部分と言い換えてもいいと思います。が、ここで注意すべきは、「余白」イコール「空白」ということではない、ということです。言うなれば、宝物がたくさん入った「入れ物」であり、その入れ物自体、いくらでも伸びるやわらかいゴムのような素材で出来ていて、何かを入れるとどんどん膨らんでいくようなものと考えてください。(つまり何も入れないと余白は育たないということになります。)中身のたっぷりと入った、大きな「余白」を持つことが、学力の柔軟な伸びに確実につながっていきます。

 

 

その「余白」は小さい時にしっかりと育んであげることが最も大切です。なぜなら「余白」とは五感で感じるような活動を豊富に体験させてあげることから、まずは生じるものだからです。小さい頃は時間もたっぷりありますし、何と言っても好奇心に満ち溢れている時ですから、やはりこの時が勝負だとも言えます。この時、余白の基礎がしっかりとできていれば、中学以降更にその「余白」を拡げ続けていくことが可能となります。

 

 

中学以降は、教科書的勉強がどんどん抽象的あるいは複雑になってゆきますが、小さいころにしっかりとした「余白」が育まれている場合は、抽象的な概念や理論と、余白に詰まっている具体的な経験がどんどん有機的に結びつくので、理解が早く、かつ、深いものになります。さらには、その理解したものが再び経験値としてどんどん余白の入れ物の中に蓄積されるわけです。そうなるともう雪だるま式に興味・関心や学習意欲が高まり、何をやっても楽しめ、身になることが多いように思います。もちろん、ただテレビを見るだけでも学べる子は学べます。

 

 

例えば、家族で映画を観るのもよい活動ですね。

 

我が家も、映画館に足を運んだり、自宅でDVDを観たりと、いろいろな映画を観るようにもしています。最近あるいはこの1年くらいで観た映画の中で、印象的だった映画を思いつくままに、いくつかご紹介してみましょう。

 

 

 

ダンケルク』   監督 クリストファー・ノーラン 2017年公開Dunkirk1dunkirk2

 

 

第2次大戦下、フランスの港町ダンケルクに追い詰められた英仏軍が、対岸のイギリスに撤退する作戦を描いた作品。歴史的にも有名な戦闘なので、これまでも何度か映画化されている。

 

ノーラン監督の「ダンケルク」は、歴史の大きな流れを俯瞰するドキュメンタリー的作品ではなく、個々のイギリス人の戦闘体験を音と映像で再現しようとする。小型遊覧船でダンケルクに向かい、イギリス人兵士を祖国に生還させようとする老人。燃料不足の英軍機でイギリス兵の護衛をしようとするパイロット。そしてもちろん、ダンケルクから脱出するイギリス軍兵士。戦場の恐ろしさをとくに音でよく捉えており迫力がある。

 

 

 

三度目の殺人』 監督 是枝裕和 2017年公開

 

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これは、まだ劇場で上映中だと思います。福山雅治扮する弁護士と役所広司扮する殺人の前科持ちの男とのやり取りを通して、様々な問題提起をしています。司法界の裏側に潜む不条理だとか、私たちが生きる社会にある不条理。世の中には、なかなか一つの正解にはたどり着けない問題があるのだ、ということ。例えば、不正や不条理を目の当たりにしたとき、素知らぬ顔で素通りできる人間が得をして、そこにこだわってしまう人間が損をする。あなたはどちら側の人間になりますか?正義感から人を殺すことは100%悪なのか?仮にそうならその犯罪に対する死刑という宣告もまた悪ということになりはしないか?

 

 

 

 

」 監督 山田火砂子  2017年公開

 

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三浦綾子原作の本を映画化した作品で、『蟹工船』で有名なプロレタリア文学者小林多喜二のお母さんの物語です。北海道で育った小林多喜二は、大手銀行で働くエリートサラリーマンでしたが、労働者や貧しき者弱き者たちの視点から小説を書くようになります。そして、小説を通して、権力者・大資本の横暴を暴いていきました。そのために、特高警察に捉えられ、激しい拷問のうちに若い命を奪われてしまいます。その多喜二をずっと信じて見守り続けたお母さんを中心に描いたものです。映画そのものは、お金のかけられない条件の中でなかなか頑張った作品だと思います。映画の出来がどうこうというよりは、こういう残酷なことが確かに国家権力によって行われたのだという事実をまずは知ることが大切だと思います。

 

 

 

スノーデン』 監督 オリバー・ストーン 2017年公開 (イギリス・ドイツ映画)

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現代は「監視社会」であるとか、よく聞きますよね。しかし、どのくらい監視されているのかとなるとピンとこないんじゃないでしょうか。そういう人におすすめの映画です。

 

ジュリアン・アサンジとかエドワード・スノーデンの名前を聞いたことがありますか。聞いたことがない人、名前は聞いているがよく知らない人は、ぜひ見てください。スノーデンは今なおロシアに亡命中の実在の人物です。

 

もちろん、作り物や嘘の話よりも、本当に起きた話や、現在進行中の現実にスリルとサスペンスを感じる人は、もちろんオリバー・ストーン監督の映画をすでに何本もご覧になっていると思います。この作品も傑作ですから、迷う必要は全然ありません。

 

この映画は、CIA(Central Intelligence Agency、米国中央情報局)やNSA(National Security Agency、米国国家安全保障局)といったアメリカのスパイ組織に勤務していた愛国者のスノーデン氏が、どのような理由と経緯で政府の犯罪を告発し、それを暴露する決意を抱くようになったか、そしてどうやって政府の追求から脱出を図るのかを、わかりやすく、かつ、ドキドキしながら楽しめるように描いた作品です。

 

スノーデン氏はコンピューターと情報技術の専門家としてスパイ組織で働いていました。当然のことながら、要注意人物やアメリカの敵について、最新技術を駆使して相手の機密情報を探り出す仕事に携わります。個人のパソコンや携帯電話にこっそりと忍び込み、情報を盗み出しもするでしょう。しかし現実には、全然アメリカの敵とはいえない普通の民間人にたいしても、組織の力を上げて情報を窃取しているのです。パーティーで知り合った外国人男性を、政府の力によって犯罪者に仕立て上げることも簡単です。そういう世界にスノーデン氏は憤りをもつようになり、自分の高給や将来キャリアを投げ打ってでも、告発しなければならないと考えるようになります。

 

映画作品ですから多少のフィクション的要素はあるでしょうが、面白く仕上がっています。なお、スノーデン氏は日本でも勤務した経歴があるようで、アメリカが日本人の情報を秘密裏に窃取していたのだなということがわかるのも、興味深いところです。

 

 

 

タレンタイム』 監督 ヤスミン・アハマド 2009年初上映 (マレーシア映画)

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アメリカに留学してみると分かりますが、アメリカ人とはもちろんのこと、他の国の留学生とはなかなか親しくなることはありません。一つには言葉の問題があるからです。英語で話せばいいじゃないかと思われるかもしれませんが、母語ではないとざっくばらんな肩のこらない会話は難しいのです。自分の国では有名な芸能人やポップソングの名前も、異国の人には全く知られておらず、共通の話題がないのです。「文化の壁」を超えるのは大変だなあと思い知らされるわけです。

 

マレーシアは、一つの国家の中に「文化の壁」がある国です。イギリスの植民地として誕生した社会なので、様々な民族集団が容易に融合しないまま共存しているわけです。マレー系(イスラム教、マレー語・英語)、中国系(仏教道教、広東語・北京語・英語)、インド系(ヒンドゥー教、タミール語・英語)が主な民族です。お互いに仲良くなるのは、ちょっと大変そうだなというのがわかるような気がしますね。

 

さて、映画の舞台となるのはマレーシアのある高校なのですが、そこでは音楽的才能の発掘のためにタレンタイムというコンテストが催されます。つまり、この映画は音楽コンテストに参加する若者たちを描いた音楽映画でもあるのです。しかし、音楽も文化の一つです。様々な民族的バックグランドの若者が参加していれば、当然音楽も千差万別です。たとえば、中国系の男子は二胡(中国の古典弦楽器)で参戦したりします。

 

多様で複雑な民族から成り立っている社会で、若者たちはどのように競争したり協調したりしながら、反発したり惹かれ合ったりしながら、自分たちの音楽を演奏していくのかが見どころの青春ドラマです。

 

多民族社会を描くのに、群像劇的な方法論もうまく活かされています。

 

 

 

沈黙』 監督 マーティン・スコセッシ 2017年公開

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遠藤周作の同名小説の映画化です。江戸時代初期のキリシタン弾圧下において、日本人信者に与えられる残虐な拷問と、それを目の当たりにしながら棄教と信教の間で苦悩する宣教師ロドリゴの心情が描かれています。「神とは何か?」「神とは本当にいるのか?」という問いかけと苦悩。そして遂には信者に与えられる拷問のあまりの残酷さに屈して踏み絵を踏んでしまうロドリゴ。・・・とこの先に、実はこの小説や映画の主題がありますが、答えはそれぞれで見出していただきたいと思います。

 

これは小説も映画もどちらも甲乙つけがたい出来だったと思います。

 

 

『あん』 監督 河瀬直美  2015年公開

 

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これは、内容をあまり言いたくないですね、とにかく観て、そして感じてほしい。ハンセン病患者として施設に入所している、樹木希林扮する徳江さんが、道路わきに立つ一本の桜の花を、なんとも愛おしそうに幸せそうに見上げるシーンが、とてもせつなくて胸が締めつけられるような息苦しさを感じました。徳江さんの目に映る桜の木や花、そして空は、さぞかし美しかったのだろうと。

 

それにしても樹木希林さんの演技力が凄い!あれは演技じゃなくて、その人自身になりきっているんだろうな。今でも徳江さんと、どら焼き屋の店長さんの姿が、私の中で動いています。観て本当によかったと思える映画です。観た後しばらくは、現実世界に戻れない気分になる。

 

 

 

『生きる』 黒澤明監督、1952年公開

 

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「お役所仕事」それは「何もしないこと」とイコールだ、という官僚主義、形式主義に対する批判が通奏低音となっています。主人公の渡辺も御多分に漏れず、毎日書類にひたすらハンコを押すばかりの日々を送っていた。が、ある時身体の調子を崩し、病院を訪れ、軽い胃潰瘍と告げられるが「自分は癌だ」と悟る。そこから、自分の人生を見直し、真に「生きる」とはどう生きることなのかを追及し始める、というお話。

 

 

 

風に立つライオン』  監督 三池崇史 2015年公開

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アフリカにある、長崎大学熱帯医学研究所に派遣された実在の医師をモデルにして、さだまさしが作曲し、更には小説化したものの映画版。

 

離島医療に励む婚約者を日本に残してアフリカ、ケニアの研究所に派遣された主人公は、現地で戦傷病院からの派遣要請を受けてそこへ向かう。そこには毎日、膨大な数の戦傷者が、ひどい状態で運ばれてくるが、医師の数も足りず、十分な医療を施せない状態だ。そういう状況の中で、自分はそこで医師としての使命を全うしたいと思うようになる。「僕は風に向かって立つ一頭のライオンでいたい。」と…。気がかりなのは日本に残した恋人。長く悩みに悩んだ末に、たった一言「幸せになってください。」という手紙を残す。

 

「風に向かって立つライオンでいたい。」格好いいですねー。『生きる』という映画に通じることですが、いつもどんな時も、「どう生きることが自分にとって心地よいのか」をじっくりと見つめ、潔く、気高く生きてゆくことが出来たら、きっと自分の人生を「生きた」ことになるのだろうと思わせてくれる映画です。

 

 

 

故郷』 監督 山田洋次 1972年公開

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瀬戸内海にある倉橋島(広島県)で石船に乗って生計を立てているある夫婦(家族)の生活を描いた作品です。豊かではなくとも慎ましく幸せに暮らしていた家族でしたが、高度経済成長という荒波の中で、進むべき道に葛藤する姿、大きなものに屈せざるを得なくなった時の口惜しさ、淋しさが描かれています。ちっぽけだけど何物にも代えがたい大切なものがあるってこと、今の裕福な環境で育っているお子さん達にもわかってくれる子がいるといいんですが…。

 

余談ですが、わが子が中一の時にこの映画を見せたのですが、夏休みの旅行は倉橋島にしました。レンタカーを借りて島を周っていると、「あ、この橋映画の中に出てきたあの橋だ!」とか、昔は木造の石船だったものが大型のフェリーとして今もある様子を見ることも出来ました。更になんとも驚きだったのは…島めぐりをしている最中に、ふと山の上の畑を見渡すと、一人のおばあちゃんが畑仕事をなさっていたので、その畑まで登っていきお話を伺ってみたところ・・・

 

映画の中で倍賞千恵子演ずる船長さんの奥さんが、石船に積載している振り子のようなものを巧みに操縦して船を傾け、石をどさ~っと海岸べりに振り落とすというシーンがあるのですが、倍賞さんがそれを出来るはずもなく、実際にその場面で石船の振り子を操縦していたのが、なんとそのおばあちゃんだったのです!!

 

一つの映画からこんなにも世界を広げることが出来て、家族でとてもよい経験、思い出になりましたし、忘れられない映画の一つとなりました。

 

 

 

華麗なるギャッツビー』 監督 バズ・ラーマン 2015年公開 

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スコット・フィッツジェラルドの小説『グレートギャッツビ』の映画版です。レオナルド・ディカプリオ扮する若き大富豪は、大邸宅で毎夜のように絢爛豪華なパーティーを開いている。しかし、彼には謎が多い。その謎の中には、生きることの孤独や悲哀が含まれていて、単純に否定したり非難できるものではない。そんなことを感じさせられる映画でした。ストーリーを書いてしまうと謎解きになってしまうので、あまり書けません。観て考えてみてください。もちろん小説を読んでみるのもよいですね。

 

 

 

英国王のスピーチ』 監督 トム・フーパ― 2011年公開

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1925年大英帝国博覧会閉会式で、父ジョージ5世の代理としてアルバート王子がスピーチをするが、吃音症だったため、悲惨な結果に終わってしまう。その後、言語療法士について治療を続ける。やがて第二次世界大戦が勃発。その時、紆余曲折を経てジョージ6世として即位していた王子は、大英帝国全国民に対して完璧なスピーチをする。

 

初めはギクシャクしていた言語療法士との間に友情、信頼関係が構築されていく過程、ジョージ6世の、真剣で誠実なスピーチ、そしてその傍で、静かに、しかしどっしりと支えていた言語療法士の姿、など、そても感動的、印象的でした。

 

 

 

博士と彼女のセオリー』  監督 ジェームズ・マーシュ 2014年公開

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若かりし頃より筋萎縮性側索硬化症(ALS)という病気にかかり、車いすの物理学者として知られるイギリスのスティーブン・ホーキング博士と元妻との約25年間の生活を描いた映画です。単純に、ホーキング博士が若いころよりどんなふうに過ごして今に至るのか、という伝記物語としてみることもできますが、障碍のある人や重い病気の人が生き長らえるとはどういうことか、さらに、彼ら彼女らを支えて生きるとはどういうことか、といった問題を深く考えさせられもします。愛する人を支えて生きようという純粋な気持ちも、様々な環境の変化によって複雑に移ろってゆく。その移ろいや迷い自体に戸惑ったり苦しんだりしながら更に人として成熟していく姿に、何か爽やかな気持ちになりました。観る人によって、感じ方が大きく違っても来る作品かもしれません。

 

 

 

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2017/10/06

カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞。

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カズオ・イシグロが2017年度のノーベル文学賞を受賞した。イシグロは、いずれノーベル文学賞を受賞できるだろうということは、多くの人が前々から確信していたはずだ。だが、こんなに早くに受賞できるとは、誰も予想できなかったのではないか。しかし、いずれにせよ、自分が愛読していた作家がノーベル文学賞を受賞できるとは、本当にうれしい!

 

人間歳を取ると、そういう喜びが増えてくる。ちなみに昨年はボブ・ディランのコンサートに初めて行ってきたのだが、なんとその年にノーベル文学賞を取ってしまって、これは本当にびっくりだった。実は、それ以前も、私のお気に入りの英語圏作家が2人ノーベル文学賞をとったのだが、これは予想の範囲内だった。なお、今後15年内の英語圏文学者のノーベル文学賞を予測すると、インド生まれのラシュディとカナダのマーガレット・アトウッドである。(アトウッドの『待女の物語』のTVドラマ版は、現在北米で人気放映中だ。そのうち、日本にも来るはずだ)。

 

さて、イシグロが日本生まれのイギリス人作家であることは、皆さん報道でよくご存知でしょう。どんな作品かというと、一言で言えば、主人公の子ども時代の思い出のような心理的表象について、絶妙なリズムで語りかけてくる英語と言ってしまいましょうか。読み手(聴き手)に訴えかけるものがあって感動を呼ぶのです。

 

僕たち英語を教え、学ぶ者にとっては、イシグロの小説は、格好の英語教材としても有名でした。イシグロを読んで英語を勉強している英語教師は案外たくさんいるはずです。シンプルな英語なので、外国人の英語学習者にもお手本になる良い英語だからなのでしょう。

 

僕自身、When we were orphans(邦題『わたしたちが孤児だったころ』)と、Never Let Me Go (邦題『わたしを離さないで』)は英語の原書で全部読んでみたわけです。とくに前者は、カセットテープ(もちろん、もうアマゾンでは売られていません)まで購入し、テープレコーダーで何度も聴いてみた。(写真は、僕が購入したカセットテープです)。

 

もちろん翻訳で読んでも、イシグロ作品は楽しめる。イシグロや村上春樹のような世代の作家は、自分の作品が翻訳されることを前提に文章を書いているので、翻訳で読んでも違和感がない。

 

とはいえ、日本語だとしても、小説を読むのはちょっと面倒だなという人の方が多いでしょう。昔の僕が、そういう人でした。しかし、ご安心あれ、映像作品でも、イシグロ・ワールドの一端を楽しむことが出来る。オススメは、ジェームズ・アイボリー監督、アンソニー・ポプキンス主演の『日の名残り』と、綾瀬はるか主演の連続テレビ・ドラマ『わたしを離さないで』 である。(真田広之が出てくる『上海の伯爵夫人』は今ひとつかなあと僕は思ったが、評判は悪くない。また、安価で購入出来るようです)。

 

『わたしを離さないで』は、2016年の春に連続テレビドラマとして日本語リメイク版として放映された。が、シリアスな要素が強いためか、必ずしも視聴率は良くなかったらしい。また主演の綾瀬はるかは、こういう作品に出演することにより、連続人気NO.1女優の地位から陥落することにもなったとも聞く。しかし、見る人が見れば、このテレビドラマの面白さは、すぐに分かるはずだ。テレビを見てから(たぶん再放送がはじまるはず!)、原作・翻訳本にも挑戦してもらいたい。

 

最後に塾講師の独り言

 

カズオ・イシグロを楽しみながら考えながら読んでくれるような中高生であれば、慶應の文学部にはガリ勉不要で楽々合格できるんだがなあ。逆に、仮にガリ勉しても、慶應の文学部は無理筋かもしれない。なかなか受験勉強というのは、奥が深い。

 

 

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2017/10/06

将来伸びる子にするための子育てをしよう。

巷には、「偏差値30台から慶應合格」だとか、「E判定から東大合格」など、つい信じてすがりつきたくなるような甘い言葉が飛び交っています。確かに本当にそうなった人もいるでしょうが、その「裏事情」とか「背景」というものを探る意識も必要かと思います。つまり、誰でもがそうなれるわけではない、大抵の場合、「なあんだ、そういうことね。」という「事情」や「根拠」があるということです。

 

すばり、本題から入ります。「どんな子が柔軟に伸びるのか?」その答えは「余白の大きい子」です。随分と抽象的で分かりにくいと思われる方が多いと思いますが、わかる方にはすぐわかる表現でもあると思います。「ああそうそう、そうだよね~」ってな具合に。

 

落ちこぼれだったのに急激に、あるいは柔軟に伸びる子の場合、大抵はもともと「余白」が大きかった、というケースがほとんどだろうと思います。少なくとも私たちの経験上は、そう言えます。

 

ちょっと話は変わりますが、これから本格的な子育てをなさる方には是非一読をお勧めしたい本として岸本裕史著『見える学力見えない学力』という本があります。随分古い本ですが、子どもを「健全かつ柔軟に伸びる子に育てたい」と願う親にとってはバイブルにすべき書ではないかと思います。

 

本のタイトルにも書かれているように、子どもの学力には「見える学力」と「見えない学力」があり、見える学力を十全に伸ばすためには「見えない部分の学力をしっかりと育てていかなければならない」というのが、一貫した筆者の主張だったように記憶しています。(本が自宅内において行方不明となり、記憶だけを頼りに書いていますが、そんな趣旨だったと思います。)

 

岸本氏の「見えない学力」というのが、冒頭に挙げました「余白」とイコールの関係にあると思います。つまり、小さいころ(生まれてから中学校に上がる頃まで)に「見えない部分の学力」をしっかりと培っておくと、自然と「余白」が大きくなり、それが「見える部分の学力」の柔軟な伸びにつながるという論理です。

 

いつも私たちが書いていますように、英語の成績だとか高度な英語力というものは、英語の勉強ばかり頑張っても決して柔軟には伸びない、という主張にもつながっています。(もちろん、他教科に関しても全く同じ論理が成り立ちます。)

 

成績低迷で当英語塾を訪れるお子さんたちのうち、急激かつ順調に成績が伸び続ける子はみんな、余白の大きい子ばかりです。余白が小さい場合は、急激かつ順調に伸び続けるということは、残念ながらなかなか難しいと言わざるを得ません。つまり、「持っている余白の大きさに比例して伸び率が変わってくる。」という言い方が出来ると思います。

 

「余白」というのは、教えているとビンビン伝わってくるのですが、「余裕を持って学べているか」「学ぶことを楽しめているかどうか」ということにつながってくると思います。

 

例えば、ある二人の生徒に、同じ内容を勉強させて、同じ課題を出し、一時的な結果としては、ほぼ同じレベルでの完成度だとして、その二人が必ずしも同じ実力を有しているわけではありません。違いがある、ということです。その「違い」こそが、まさしく「余白の大きさ」の違いです。たとえ一時的、表面的には表れていなくても、わかる人にはわかる違いであり、いずれはっきりと表面化します。

 

 

ですから、わが子を将来柔軟に伸びる人にしたい場合は、やはり、小さい時が大事なんですね。ただ、こういうとすぐに、どこそこのお教室に通わせて、とか、あの習い事をさせて、とか、他力本願あるいは人工的(?)にやっちゃおうとする人がいるのですが、それは全くずれています。英語を習わせるなんて愚の骨頂です。中学受験のため、あるいは、小学校での授業についていくために小1から算数と国語塾、なんて不要ですよ。そんなことをするから伸びがストップするのです。

 

 

赤ん坊から小学生の間は、自然や本物とたっぷりと触れ合う環境を作ってあげること。身の回りにある様々な現実をしっかりと五感で感じること。親もともにそういう体験を楽しむこと。そういったことが最も根幹にあるべき子育ての基本だろうと思います。「大きな余白=見えない学力=栄養たっぷりの土壌」を作ってあげておく、ということです。

 

今回は大雑把な枠組みをお話ししました。引き続き、具体的な話をいろいろと挙げていきたいと思います。

 

 

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2017/08/31

プロ講師には何が見えているか。後編

 

長年生徒の皆さん一人一人と個別に深く関わっていると、一人ひとりの個性、様々に抱える問題点というのが、より鮮明に見えてきます。それだけではなく、何度も書きますが、そのお子さんがどんな風に物事を見、感じ、日々を生きているのか(きたのか)といったようなことまで、肌感覚で分かってくるのです。さらには、そのお子さんの数年先の未来像まである程度具体的に描けもします。

 

 

私たちが個別指導の講師をしていてよかった、と思えるのは、生徒の一人一人を立体的に、複合的に、「わかる」あるいは「わかろうとする」人でいられているという点です。別の言い方をすれば、(当塾は大学受験のための塾ですので、)個々の生徒の志望校を偏差値や成績(だけ)では判断しないということです。つまり、人によっては、多少成績がよくても、それが安心材料につながらない場合もあるし、多少現時点での成績が悪くても、あまり心配はいらない、と思えるお子さんもいるということです。

 

 

大手予備校等でしたら、実際に教えている講師が一人一人の生徒が持っている特性を大してわかっているわけではありませんし(前回のブログで紹介した例)、進路のアドバイスをするのは実際に教えている人ではありません。よって、生徒を偏差値で判断するしかないわけです。

 

しかし、実際の入試というのは各大学、学部によってそれぞれ特徴があります。以前のブログでもご説明した通り、たとえ偏差値が届いていたとしても、その子の強みと受験する大学・学部に必要な力が合致しない場合は確実にあるのです。生徒の一人一人は生身の人間です。いろいろな側面を持っています。偏差値と合わせて、そこには出ていない強みや弱みを考慮しなければ適切な進路指導などできるはずもありません。

 

 

さらに、受験までまだ時間的余裕がある場合、この先どういった刺激を与えたらどういった化学反応を起こしうるのか、あるいは、起こし得ないのか、という可能性まで含めて考える必要があり、どういった刺激を与えるべきかは個々により違ってきます。常に流動している、生身の人間の可能性をより正確に判断したりアドバイスできるのは、単なる偏差値データからの分析ではなく、生徒の一人一人と真剣に向き合い、かつ豊富な経験や鋭い洞察力を持っている者だけに可能なことだと思っています。

 

 

当方は、基本的には一流大学合格を本気で目指している方々を応援する塾ですので、自然と一流大学を目指している生徒さんが集まるわけですが、私たちの下で勉強したからといって必ず全員が早慶以上の一流大学への合格切符を手に入れられるわけではありません。

 

一方で、初めは深海魚=成績不振で私どもの塾を訪れる生徒さんであっても、数か月のうちに「この子はイケル」と確かな手ごたえを感じるお子さんがいるのも事実です。

 

では、「この子はイケル」と確信できるのはどんな場合なのでしょうか?以下に非常に簡単かつ率直にまとめてみました。

 

1.理解力が高く頭の回転が速い。-これは新しい単元、新しい概念を教えてもすぐに理解し、問題演習をしても、立ち止まることなくすんなりと進むことができるタイプのお子さんです。所謂地頭のよいお子さんというのは、中学に入ると勉強が楽になるので、つい怠けて(よく出来る集団の中では)成績も芳しくない場合がありますが、刺激を与えればまたすぐに起動して、あっという間に抜きんでる底力を持っています。

 

 

2.言語能力が高い。-多くは饒舌です。一流大学合格レベルの英語力をつけるためには、日本語モードから英語モードへの切り替え、日本語的表現の仕方と英語的表現の仕方、といったことを自由自在に操れる能力が、最低限必要となります。思考を混乱させることなく、言葉をあれこれこねくり回せる能力。元々言語能力が高いと、そういったことにあまり苦労することなく順応することができます。

 

 

3.数学がデキル。-「デキル」という時に、「ずば抜けて出来る」場合は言わずもがなですが、結構大事なのは、家では全く勉強していないけれど授業を聞いていればそれほど数学に困ることはないというくらいの底力を持っているお子さん。特に男子に当てはまるようですが、ほとんど勉強しなくても授業を聞いて授業内にちょろちょろっと勉強するだけで、定期試験もそれなりの点が取れているようなお子さん。

 

 

早い段階で、「早慶はイケル」と感じるお子さんに共通するのは、(非常に大雑把な分類ですが、)大体上記3つの要件が揃った時です。1.は必須。但し、2.と3.はどちらともずば抜けている必要はなく、どちらかが強ければどちらかがやや弱くても問題はありません。また、(微妙な話ですので多くの方々にはわかりにくいかとは思いますが、)自分は数学は苦手だ、と思っている人でも、よくできる人に囲まれているのでそう感じているだけだったり、国語に比べたら数学が苦手、と感じているだけという場合もあります。私たちの見立てでは、たとえ文系志望であっても、早い段階で「イケル」と思われるようなお子さんは、ある程度数学力もあるように感じます。つまり、本格的な理工系に行けるほどではないけれど、教科書の標準レベルくらいなら普通にできる、とか、中学に入って数学の成績はそれほどよくはないけれど、中学受験時には上位校(四谷偏差値60以上)に受かるくらいの算数力があった、あるいはそういう勉強をした、という場合が多いように感じます。

 

 

 

分かりやすいように、具体的な例を挙げてみましょう。

 

(例1)

横浜雙葉から結果的には学校推薦で慶應商学部に合格したIさんの場合。当塾のブログで本人も書いている通り、中2の段階で英語の成績は非常に低迷していました。ご本人曰く、「授業内に行われる小テストも、勉強しているつもりなのに0点取ったことがある。」といったような感じでした。親御さんに将来の志望校などお聞きしても、「今のこの成績でどこへ行きたいとか言えません。」と非常に謙虚かつ消極的でした。むしろ私たちの方が、「いやあ、早慶くらい目指しましょうよ、可能ですよ!」とはっぱをかけていたほどです。

 

 

まだ全く指導をしていない段階から「早慶くらい可能ですよ。」と自信を持ってお伝えできたのは、彼女が横浜雙葉という学校に通っていらしたということ。この学校に受かるくらいの力をお持ちのお子さんが、当塾で私たちの出す課題を真面目にこなしさえすれば早慶くらい普通に行かせてあげられるという自信があったからです。

 

 

その自信が確信へと変化していったのは、彼女を実際に教え始めて数か月たってからです。

 

 

例えば、彼女は、授業が始まるやいなや、「先生聞いてくださいよ~。」と言って、その日学校であった出来事について、自分の思い(多くは腹立ち)をよくぶつけてきたりしていました。ここ、結構大事で、こういうお子さんというのは、例えば私どもの教室に来るまでの道中で、「今日はまず先生にこういう話をしよう。」と話す内容をまとめているんだろうと思うのです。つまり、一見勉強していないような時間にも実は、何かある事柄について時系列でまとめたり、それについてどう思うかという自分の意見をまとめたりしているんだろうと思うのです。こういったことは習慣化しますから、この子の「ああだこうだ」と頭の中でつぶやいている日々の積み重ねが、実は言語能力(語彙力・思考力)を知らず知らずのうちに伸ばしているのではないかと思うのです。

 

 

授業中のやり取りのみならず、授業前後のこういった何気ないおしゃべりからも、彼女の言語能力の高さと頭の回転の速さがよく伝わってきました。ですから、こちらの想定通り、当初は深海魚だったにもかかわらず2,3か月で順調に波に乗り、同級生をあっという間にごぼう抜きし、中2の初めには成績低迷していたにもかかわらず、中3の1月には英検2級に受かってしまいました。当然校内においてもトップクラス、高2あたりで模試を受けてもいきなり偏差値70越え(確か73~4)という成績を出すようになっていきました。

 

 

ちなみに彼女は、難しい数学はどうしてもやる気にならない、ということで、最終的に私立文系志望にしましたが、「(数学も)やればできるとは思うんです。」とも言っていました。そしてその言葉は、多分合ってるだろうなあと、彼女とのいろいろなやり取りで私も感じていました。実際、高1あたりの数学のクラスは最上位クラスだったと記憶しています。そのうち(高2あたり?)既に文系志望にした段階で、数学のクラスも下か真ん中のクラスにいましたが、そのクラスでは、みんなが「難しい難しい」と頭を抱えているような問題は、「非常に簡単」で、「どうしてこんな難しい問題ができるの~?」と周りからうらやましがれていたらしいです。が、本人にしてみれば「え?そんなに難しい?超簡単だけど…汗」と思っていたみたいです。文系だけど、英語力向上のためには数学力も必要という時に、これくらいの数学力で十分です。

 

※結果的に、彼女は、学校推薦をもらって慶應商学部に入学されましたが、(試験というものは水ものですので、「絶対」はないのですが、)一般入試を受けていても「合格」した可能性は限りなく高かったということは言えます。

 

 

(例2)

相模中等から京都大学に進学したO君の場合。

彼は高1の春から入塾しました。もちろん、本人も合格体験記に書いている通り、当初は深海魚クン。本人曰く、「be動詞もよくわかっていなかった」という状態です。しかし一緒に勉強し始めるとグングン力がついてくるのがわかりました。

 

 

調子が出たころ、高2の頃だったでしょうか、志望校について聞いてみたところ理系で生物学を専攻したいとのことで、「早稲田の教育学部」という返事が返ってきました。しかし、私たちの感触からすると、「早稲田の教育学部では物足りない。もう少しハードルの高いところにすべき。」という気がしていました。そして折に触れてそういう話をしていましたが、なかなか乗り気にはなってくれませんでした。また、高2になってもそれほど数学や理科を勉強している様子もなかったのです。それでも、英語の指導を通して彼の「全体的な学力の底力」のようなものを強く感じていました。結果的には、受験間際になって「京都大学を受ける」と言ってくれたので、ほっとしましたし、見事合格した時には、やはり、私たちの感じていた感触は当たっていたなあと手前味噌ですが思うのです。

 

 

彼のすごさの一つは、「記憶力のよさ」なんです。例えば、多くの生徒が単語を覚えるのが苦手で苦労していますが、彼はすごかった。毎回授業の最初の10分くらいで単語チェックをしましたが、ほぼ完ぺきに覚えてきていました。当塾では通常、こういった単語のチェックはしていません。理由の一つは、ほとんどの進学校では単語テストなるものを実施しているので、あえて塾でまでする必要はないから。もう一つは、なかなかまともに覚えてくる子が少なく、単語チェックの意味がない、あるいは、時間の無駄、と感じることが多いから。しかし、彼は毎回完璧に覚えてくるので、非常に短時間でさっさっとチェックできました。本当に圧倒されるほどでした。

 

 

 

一方、理解力もよくはありましたが、言語能力が非常に高い、という印象は持ってはいませんでした。が、非常にセンスが良かった。一緒に長文を読み進めている時の反応の仕方で、「自分の頭でしっかり考えている。」ということがわかりました。多くの生徒が漠然と素通りしていくようなところで、「ここがわからない。ここはどういうこと?」と、立ち止まって考えられる子だったのです。もちろん、なんでもかんでも質問すればよいというわけではありません。あまりに基本的なことばかりを質問されても、「え?話の流れを追っていないの?もっと自分でしっかりと考えなさい。」となることもあるわけです。が、彼の質問は、思わず「うん、いい質問だね。」と、恐らく生徒たちはわからないだろうと、こちらが質問しようと思っていた部分を、タイミングよくついてきたりしました。こういったところからも、彼の「思考」「言葉」、そして「彼自身」に対する信頼感・安心感が増しました。

 

 

実際、英語は心配なかったので、尚更「数学や理科は大丈夫?」と何度も尋ねましたが、いつも「大丈夫です。」と返してきました。申し訳ないのですが、多くの生徒たちの「大丈夫」はあまり信用できません(笑)。が、彼の「大丈夫」は本当に「大丈夫」なんだろうな、と不思議と信用できたのです。

 

 

結果的に京都大学に受かったのでやっぱりあの「大丈夫」は不思議と信じられたんだけど、本当に「大丈夫」だったんだなあと、つくづく思います。

 

 

最後に、ネガティブな例を一つだけ簡単に挙げておきます。いくら英語の偏差値が高くてもダメな例です。

 

過去に在籍していたある生徒さんの例ですが、英語の成績が非常によく、高1の時に偏差値70越えしていました。英語ができるということを活かして、東外大を目指したいということでした。東外大というのは、外国語大学とはなっていますが、語学を学ぶだけの大学ではありません。世界の様々な緒地域について、文化、社会、経済、政治等を学び、研究する大学です。そういう大学を目指すというので、例えば、東南アジア諸国についての新聞記事が目に留まりましたので、わざわざ切り抜いて読ませてみたりしましたが、ほとんど興味を持ってくれた様子はありませんでした。一緒に英語長文を読んでみても、(今まで)本をしっかりと読んできた様子も感じられませんし、世界の歴史だとか地理に関心があるようにも感じませんでした。こういうタイプの人が東外大に果たして合格出来るのか?といったら、まあ非常に厳しいでしょうね。百歩譲って、仮に受かったとしても、入ってから非常に苦しいし…う~ん、やっぱり厳しいでしょうね…。

 

 

偏差値だけを見れば、可能性があるのでは?と思うかもしれません。が、本も新聞も読まない人がこの先英語力が順調に伸びるとは思えません。(経験上、国語力のない人は、過去問を解いても解いても、なかなか点が伸びないことが多いのです。)仮に偏差値はそれなりにとれていたとしても、東外大の入試問題に対して、まともな解答は書けないでしょう。(記号式じゃないですからね。)

 

入試問題とは、その大学で勉強する資格があるかどうかを大学側が計っているわけですからね。

 

このように、私たちは一人一人の生徒さんが持っている(英語以外の力を含む)潜在力を、英語の指導を通して丁寧に探っています。そのお子さんが数年先どれくらい伸びるか、どんな方向に伸びるか、あるいは、どんな方向に伸ばすべきか、それは現在の成績や偏差値だけでは判断できないものです。経験豊富なプロの講師が一人一人を丁寧に観察し、分析するからこそできる業(技)です。

 

 

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2017/08/10

プロ講師には何が見えているか―前章

我々もお陰様でかれこれ20年、この業界で仕事をさせていただいています。そのほとんどの期間が、子ども達への個別指導、特にここ8~9年は完全なる1:1のマンツーマンでお子さん一人一人と密に関わって、英語の指導をしています。

 

 

一度に何十人も収容するような大手予備校の講師の方々と比べれば、関わった生徒の数は少ないでしょうが、どれだけ深く関わったか、その深さ・密度で見れば、全く比較のしようもないほどに違いがあるだろうと自負しています。また、同じ個別指導の経験者であったとしても、経験年数や指導スキルのみならず、その間に意識的に磨いてきた、人を見る洞察力という点で、他に引けを取るものではないと、自負しております。

 

 

大変恐縮なのですが、具体例を挙げてみましょう。当塾の生徒から聞いた話です。

 

 

その生徒は、ある有名予備校の高1国語の講習を受けていたのですが、わずか数か月でやめてしまいました。理由は、「講師の鈍感さに嫌気が差したから」だそうです。

 

 

その生徒は、非常にじっくりと物事を考える、真面目な生徒です。また、中学受験時代より、国語の問題は、まず本文をじっくりと読む、問題は根拠を持って答える、ということを常に意識して取り組んでいたそうです。(むしろじっくり考えすぎて時間が足りなくなるようなタイプだったそうです。)ですから、その塾においても、じっくりと考えながら国語の問題を解いて、臨んでいたそうです。(予習が原則とのこと。)

 

 

 

その予備校の先生は、毎回授業後に感想を書かせるそうですが、特に書くこともなく困ったこの生徒は、「問題はじっくりと考えながら解くことが大切だと思った。」と、自分にとっては既に当たり前になっていることを書いて、提出したそうです。その後の授業で、この講師は、この生徒のこのコメントを読み上げ、この生徒をじっと見ながら、「そうですよ~、皆さんは、適当に解いたらいいと思っているかもしれませんが、問題はじっくりと読んで、じっくりと考えることが大切なんですよ~」と、あたかも「あなた、今までそういったことを考えていなかったんですね。」とでも言わんばかりのいやらしさで、言われたそうです。

 

実は、このクラスは、(高1国語ということもあってか)一クラス3~6人ほどしか在籍していなかったとのこと。ですから、自分の顔を見ながら言われていることは、自分に言われているのだと、強く感じたそうです。

 

この生徒にとって、「じっくり読んで考えるなんて、当たり前、既に実行中」のことですし、毎回そのようにきちんと学習していますから、「それに気づいていないの?」と、この講師の態度は非常に癇に障る言動だったようです。

 

 

もう一つの例ですが、実は同じ生徒からの話です。集団式予備校の先生はこんなものか、と嫌気がさしたこの生徒は、映像授業で国語の講習を受けることにしたようです。そこでもまた、面白いことが起こったそうです。

 

 

映像授業を受けようとすると、うまく起動しなかったようで、大学生のアルバイトスタッフにその旨伝えたそうです。「ちょっと待っててください。」という言葉をのこしてそのアルバイトはどこかへ行ってしまいました。「やんなっちゃうなあ、早くしてよ~。」と心の中でつぶやきながら待っていると、別のアルバイトが何かの用事でやってきて、「あれ?勉強しないの~?」と声をかけてきたそうです。この瞬間、この生徒は、プチっときたそうです。私でもそうなると思います。「あれ?勉強しないの~?」ではなく、「何か(問題)ありましたか?」でしょ?(まあ、学生アルバイトなのですから、あまり強く責めることはできません。そんなものじゃないでしょうか。)

 

 

前者の例も後者の例も、彼らの共通性を見出すことができます。それは、彼らは「全体」しか見(え)ていないということ。たとえ目の前に一個の特有な「個体」が存在していても、彼らにとってそれは、全体を形作っている同じ形をした、ただの「一粒」。だから、本来一人一人、個別の特性をもっているはずの「個」を前にしても、「全体を見る目」「自分の固定観念」を持ってしか対処できないし、しない、ということです。

 

 

(結局、この生徒は、自分が、「顔の見えないその他大勢」と同じように見られ、扱われることに嫌気が差し、国語の勉強は自分ですることにしたそうです。私どもは、評判のよい参考書や問題集を紹介し、勉強の仕方などをアドバイスしています。)

 

 

 

私たちにとって、上記のような例はにわかには信じ難い話です。なぜなら、目の前にいる生徒の学力を効果的・効率的に上げるためには、「その生徒自身をよく知る」ということが、初めの一歩であり、大前提としていることだからです。それを抜きに、質の高い指導などあり得ないのです。

 

 

私どもでは、まず親御様とご本人にいらしていただき、面談をします。そこでいろいろなお話をしたり、伺ったりしますが、それは、どんな親御様がどんな風に育ててこられたのか、また、お子さんは、どんな風に勉強してきたのか、どんなことが好きなのか、といったような、その子その子の「特性」を探り当てているのです。もちろん、一度だけで全てがわかるわけではありません。毎回毎回の授業で、質疑応答する中で、「うん、なるほど、この子はこういったものの考え方をするのか。」とか、「こういう場面でこうなる傾向があるんだね。」といったように、様々な分析を蓄積しているのです。そういった分析の蓄積があるからこそ、「この子はこういう面が弱い。ここをこう強化していかなければ、目標地点に近づけない。」といった個別具体的な将来像や、効果的戦略を立てることができるのです。

 

 

例えていうなれば、大手予備校等は、大きな一つの山を外側から見ているのですね。山の中に分け入って入り、一体個々の動植物がどういう状態で存在しているのか、といったことには関心はないんです。植物が多少枯れようが、動物が多少死に絶えようが、そういったことは大事な問題ではないんですね。山が山の形を保ち、そこにありさえすればそれでよいのです。

 

 

一方、私どもは山の中に根差している、一本一本の木や植物を見ています。「ああ、この植物は、土に栄養があまりないね、もう少し土に養分を与えるときっと綺麗な花が咲くね。」とか、「ああこの木はなかなか立派に見えるけど、葉っぱがたくさん枯れ始めているね、なんとかしなきゃ。」とか、そんな風に、一人一人の生徒たちを観察して、一本一本が今よりよりよい状態になることを一つの楽しみ・やりがいにして、日々を生きています。

 

つづく

 

 

 

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