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塾ブログ 林間教育通信

2017/07/27

国語力や教養力をいかにつけるか。

先日、ある生徒(高校生)に「英語力をつけるためには、何をしたらよいと思う?」と質問してみました。このブログでは既に散々書いてきたことですので、レギュラー読者の方々ならば既にその正解をご存知かとは思いますが、恐らく、多くの生徒たちがまだまだ大きな勘違いをしていると思われますので、聞いてみたわけです。

 

案の定、わかっていない部分があって、「え~っと、文法を勉強して、単語を勉強してー、長文の日本語訳をしっかりとできるようにすること・・・」と弱々しく答えてくれました。もちろん、この生徒が挙げてくれたことは、英語力を身につける上で非常に重要な要素ではあるのですが、これは必要最低条件でしかないですね。

 

もちろん、稚拙な内容でよいから英語をペラペラ話せることが英語力だと信じ込んでいる人なら、単語とちょっとした文法を勉強をして、あとは実践演習だ!という考え方もあるかもしれませんが、一流大学を目指して「英語力」といえば、それは「長文読解力」ということにつながります。

 

生徒の皆さんに長文読解をさせていると、ある英文を文法的には正しい日本語に訳せても、それが結局どういうことを言っているのか、その本質的な意味がわからない、自分の言葉で言い換えたり、説明したりできない、という中高生は多くいるということを痛感します。さらに残念なのは、一応訳せてはいるので、自分ではわかったつもりになっていたりします。残念ながらそういう状態では、英語ができる、とは言えないし、早慶や一流国立大学の文系レベルの英語問題にはまず太刀打ちできない、ということになります。

 

ですから、既に繰り返し書いてきていますように、英語力を伸ばしたければ、言語能力や国語力、教養力(=背景知識)といった力を、同時に引き上げることが必要条件となるのです。

 

最近、古本屋で見つけて立ち読みした際にひどく気に入ってしまい、購入した本があります。『本当に身につく国語の基礎力』(野田眞吾 ごま書房新社)という本です。kokugoryokuその中に、国語力を身に着けるために必要な事の一つとして「語彙力を伸ばそう」ということが書かれていました。そして、語彙力を伸ばす3つの方法として、

 

1.読書によって増やす。

2.大人との会話によって増やす。

3.学習によって増やす。

 

という方法が挙げられていました。ここで注目すべきは、やはり、1.と2.の項目です。

 

私たちの経験から、英語がよく出来るようになるお子さんは、共通してよく本(=文字)を読んでいます。また、口の立つ子が多い。(←これは例外がありますが。)つまり、いつも言葉の近くにいる、ということです。だから、言葉をあっち持って行ったりこっちに持ってきたり、あんな風に言ったものをこんな風に言い換えたりと、あれこれこねくり回すのが苦痛じゃないし、困難でもない。数学が得意な子はよく「数」に馴染んでいるからですね。100という数字を見たら、そこからものすごくいろんなことが思い浮かぶ。同じく英語や国語が得意な子はよく「言葉」に馴染んでいるから。一つの「言葉」の奥に、ものすごくいろいろな世界観を無意識に広げているのですね。

 

 

今のお子さんの多くは、本をあまり読まないですね。特に、まともな本をほとんど読んでいない。しかしそれは子どもたちが読まないのではなく、周囲の大人(親)が読んでいないからなのではないか、と私は密かに疑っています。また、普段、お子さんとどんな会話をしていますか?稚拙な会話ばかりでは、子どもの語彙力を増強させることはできません。

 

前回ブログで書きました(半ばお願いした)ように、お子さんだけにいくら「本を読め、新聞を読め」といっても、それは無理な話。かつて自分が中高生時代に読んで感銘を受けた本は、わが子にも読んでほしい、読ませたい、と思うのが自然な親心ではないかと、私たちは思うのです。

 

親子で同じ本を読み、それについて、感想を言い合うとか、同じ新聞を読みお互いに意見を交わしあうという「日常」が、お子さんの語彙力を育み、思考力(言語能力・国語力・知性)を育むのです。

 

例えば、私(母)は『ドリトル先生』シリーズも好きなお話の一つなのですが、わが子が小学校低学年の頃に勧めました。子どももとても気に入ってくれ、それがきっかけで動物への関心も以前より深まったように感じます。中学生になった際には、「そろそろドストエフスキーなんかも読んでみたら?」「夏目漱石も読んでおくべきだよね。」などと勧め、『罪と罰』だとか『三四郎』だとか、読んでくれました。

 

それから、新聞ですね。新聞に関しても、親御さんが楽しそうに、あるいは、熱心に新聞を読んでいれば、子どももまた「一体(新聞には)何を書いているんだろう?」と好奇心をもって覗いてくるものです。(ただ、これはお子さんが小さいうちの方がそうなりやすいのかもしれませんね。小さいころの方が好奇心が旺盛な場合が多いですから。)

 

これもまた我が家の例ですが、当時わが子が小学校2年生の時でした。私が新聞を読んでいると子どもものぞき込んできて、かといってまだ大人の新聞を読めるはずもありませんが、広告に書かれている文章だとか絵を見て、(その時は確か、和歌山の梅干しの広告だったと記憶しているのですが)、それを見ながら「ねえ、新聞って面白いねえ」と言ってきました。「面白いと思う?読んでみたい?」ときくと「うん!」と答えてくれたので、即座に「朝日小学生新聞」を購読し始めました。

 

もちろん、小学生新聞を取り始めたからといって、子どもがすぐに毎日、隅から隅まで新聞に目を通すとは限りません。全く読まない日もあるでしょうし、あまり読まない日が、1か月、2か月と続いてしまう事もあるかも知れません。しかし、そこで親御さんが、「もったいないから」といって安易に新聞購読を止めるべきではないと思います。我が家では小学校卒業まで取り続け、その後中高生新聞に切り替えました。今どういう状態になっているかといいますと…

 

朝日中高生新聞は週刊ですので、毎週土曜日の朝に配達されます。これ、ポイントですよね。土曜日といえば、学校や部活がある人もいるでしょうが、休みの中高生も多いはず。だから、土曜日の朝、朝食を食べた後は、家族で新聞タイムです。実際、我が家はそういう風景がここ何年か続いています。

 

 

それというのも、私自身の毎朝の楽しみが、新聞を読むことで、朝食を食べたらひとまず(片付けそっちのけで)新聞に目を通す、という動きが体に染みついてしまっています。ですから、土曜日の朝、子どもが傍らにいようがいまいがいつも通り新聞を読むので、当然のように子どもも新聞を読むのです。

 

中高生新聞を読み慣れれば、当然一般的な日刊紙も読めるようになるわけで、勉強の合間に日刊紙を広げたりしています。また、大事な記事は切り抜きをしてファイリングすることにしていますから、それを子どもにも読ませたりします。すると当然、お互いに共通の話題ができますから、「あの記事についてどう思う?」と、家族の会話は、政治に関するものや社会問題について、となります。

 

ちょっと長くなりましたので、ひとまずここらあたりで一旦切ります。

 

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2017/07/10

子どもを賢くしたいなら、日経電子版を読んではいけない

近頃はiPhoneやスマホなどのデジタル・デバイスで、新聞を読む人が増えています。もちろんKindleのような電子書籍リーダーを活用して書籍を読む人もたくさんいることでしょう。これに対しては、伝統的な紙媒体のほうがやはり良いとか、電子版のほうがずっと便利だとか、様々な賛否両論があります。

 

ちなみに、最近出た池上彰、佐藤優『僕らが毎日やっている最強の読み方』によりますと、池上彰さんは紙媒体派で、佐藤優さんは電子版派だそうです。要するに、どちらが良いのか結論は出ていません。一般論として言えば、どちらも使い比べてみて、自分にとって使いやすいものを選びなさい、となるはずです。

 

しかし、教育論となれば、話は全然違います。子供を持つ親であれば、断然、紙媒体のほうを優先させるべきなのです。なにも電子版を全然活用するなとは言いません。電子版だけで済まし、紙媒体を購読しないのではダメだということです。

 

紙媒体の新聞は、必ず定期購読してください。家の中に、「活字」が目につくように置かれて、子どもが日常的にそれらの刺激を受けることが肝心なのです。もし、自分の子どもを一流大学に進学させたいのであれば、新聞・雑誌の購読や、日々の読書は、もはや自分のためだけではないのだ、実は子どものためにもなるのだと、自覚することです。親が新聞や書籍を読んで、その「紙の媒体」を食卓や本棚に置いているから、子どももそれを読んでみようとなるのです。

 

もちろんこういう話は、お子さんを難関国立大学や早慶(文系)に進学させたいと願う親御さん限定の話です。理系進学の方針だったり、中堅大学で良いのであれば、お子さんにしっかりとした読書の習慣がなくても、合格は充分可能です。しかし、東大や一橋大学だとか、早稲田か慶應の法学部に行ってもらいたい、などと思われているようであれば、学校や塾に頼るというよりは、むしろ、お父様お母様ご自身が積極的に新聞や書籍をお読みになり、かつそれらの「活字」がいつでも子どもの目に入るように、家庭の文化的環境を整えなければなりません。だからKindleやiPadで、独りだけの読書をしてはいけないのです。

 

ここで、子どもの読書とか読解力について、もう少し背景を詳しく説明しておきましょう。

 

子どもの読解力は小学生のときにぐんぐん伸びていきますが、最初の「壁」は、小学校高学年くらいのときに来ます。要するに、小学校卒業レベルの日本語読解力の有無が問われているのですが、ここで文章を一応読める子どもと、まともに文章を読めない子どもに分岐してしまいます。これは、公立小学校や公立中学校では、非常に大きな問題なのですね。しかし、中学受験を乗り越えたお子さんであれば、この「壁」はなんなく乗り越えられているはずですので、ご安心ください。

 

皆さんにとっての大きな問題は次の段階です。現代の子ども達の多くは、普通、子ども向けのラノベのような、娯楽的な軽い物語を読むことになります。私たちは、そういった本の多種多様なタイトルだとか内容をよく把握しているわけではないのですが、たとえば、『黒魔女さんが通るのような作品群です。こういう物語を読むのは、それ自体は非常に結構なことなのです。問題は、ある程度の読解力を身につけた子どもであっても、ほとんどのお子さんは、子ども向けエンターテイメントの作品しか興味を示さないし、読まないということです。

 

学年があがれば、中高生向けあるいは大人向けの現代的エンターテイメントを読むようになるのかもしれません。人気があるのは、TVや映画になった作品群でしょうか。たとえば、東野圭吾『探偵ガリレオ』、有川浩『図書館戦争』、 三上延 『ビブリア古書堂の事件手帖』、坪田信貴『ビリギャル』といったあたりかな???

 

 

しかし、もう一歩レベルをあげ、読解力の必要とされる文章、つまり、いわゆる純文学だとか、新書本のような説明文的な文章を読みだそうとはしません。これが多数派のお子さんです。ここには、とてもつもなく大きくて高い壁があるようです。この壁を乗り越えられない限り、たとえ穴場とされる慶應大学SFC(藤沢キャンパス)にせよ、合格は困難でしょう。どうやったら、この壁を越えられるのか。

 

 

他方、多数派とは異なって、現代エンターテイメント作品でない活字を読むお子さんがいます。そういうお子さんが何をどうして読むのか。実は、ほとんど圧倒的多数は、親御さんやお姉さんお兄さんの蔵書だとか推薦本を読んでいるのです。もちろん、親御さんの蔵書を読むというのは、必ずしも純文学や哲学書を意味しているとは限りません。多くの場合、昔流行ったエンターテイメント作品、たとえば『少年探偵団』『ガラスの仮面』(少女漫画)、アガサ・クリスティーのミステリーみたいのを読む。あるいは、中学生でも、ドストエフスキーや太宰治あるいはドラッカーやアインシュタインを読んだりする場合もある、といったように様々です。

 

注目すべきは、親御さんの蔵書、つまりは家の本棚にある本を子どもは読みたくなるものなのだ、ということなのです。実は親御さんの読書体験こそが、自宅の本棚にある「紙の媒体」を通じて、お子さんに受け継がれていくのだという事実です

 

新聞を読むという習慣も同様です。親御さんが新聞を読んでいると、子どもも新聞を読む習慣を自然と身につけるようになる。逆に言えば、親が新聞を読まないのであれば、子どもも新聞は読みません。(もっとも、親御さんが『日本経済新聞』(紙媒体)を定期購読しているからといって、中学生のお子さんにそれを読ませようとは思わないでくださいね。内容が経済事情に偏っていますし、子どもが読むには退屈なはずです。つまり、日経を定期購読するだけでは、紙媒体だとしても、教育的には配慮が欠けているということになります)。

 

子供向けラノベやエンターテイメント作品を超えて、主体的にしっかり読まなくては読みこなせない活字を読むようになるのか否か。少なくとも文系に進学するつもりならば、決定的な重要性を持っています。そして、それを大きく左右しているのは、親御さんの主体的な家庭環境作りです。お子さんがラノベ読書から卒業できていないのに、読書活動を子ども任せにしているようでは、絶対にダメです。自分が面白いと思う本や記事を、子どもに積極的に伝えていく努力が不可欠なのです

 

 

 

以上、よろしくお願いします。

 

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2017/06/21

進路指導について

高校生くらいになると、生徒の皆さん(と親御さん)には、それぞれ行けたらいいなという具体的な志望校が出てくる方が多いかと思います。ただ、客観的にみると、その志望校の選び方が非常に非合理的な場合があります。

 

例えば、本はほとんど読んでいないのにもかかわらず、国立大学の文学部を志望したり、どう見ても国語が苦手で数学が得意なのに、外国語系の大学を志望したりと、自分の得意不得意と関係なく、志望校を決めてしまうケースがあります。

 

もちろん、得意不得意に関係なく、絶対にこの道を進みたいのだ!という強い信念がある場合は、とことんその道を追及するという選択肢もあり得るとは思います。しかし、多くの場合は、そこまでの強い意志があるわけでもなく、ただ漠然と、あるいは、学校の先生の全体に向けた話を自分にそのまま当てはめて、「そうしよう」と決め込むケースが多いように感じます。

 

 

大手予備校では、チューターと称する現役の大学生(あるいは経験の浅いスタッフ)等が受験生の学習や進路に関するアドバイスをすることが多いようです。本人の希望を聞きながら、模試の成績表にある数字(偏差値)と突き合わせて、アドバイスをなさるのでしょう。しかし、彼らにとって「あなた」はone of themでしかありません。また、直接「あなた」を教えているわけではないので、「あなた」がどんな強みや弱みを持っているのかといったことを、肌感覚では全く分かっていないはずです。私たちからすれば、それでどうやって「あなた」に対して本当に実のある有益なアドバイスができるのか、全く不可解です。

 

 

生徒や保護者のみなさんには、どうぞご自分たちに耳触りのよい意見ばかりを鵜呑みにしないように、お願いしたいところです。

 

ここで、私どもの経験のいくつかから、残念な例を挙げておきましょう。

(その前に、注を入れなければいけませんが、結果として、本当に残念な例というわけでもないところが、皮肉と言えば皮肉です。つまりは、本人の本来持っている本質にぴったりの、納まるべきところに納まったという見方もできるからです。)

 

 

ある生徒さんは、高2の段階で、英語と数学がなかなかの好成績(河合塾模試偏差値70越え)でした。私たちも、早稲田や慶應の理工学部あるいは東工大に進学してくれるものだとばかり思っていたわけですが、ある時突然、文学部を狙うと言い出しました。最初は早稲田の文化構想学部でしたが、次第に東大の文学部志望だと言い張るのです。就職に不利な文学部系の学部を、雑誌・新書本も読まないし、論説文や評論文にも縁がない生徒が目指すというのは、信じらない選択です。やむを得ず、池上彰から読んでみるようにアドバイスしましたが、文学部志望の高校生が池上彰の一般向け入門書の読書から始めなくてはならないのは情けない話です。(注意、文学部というのは、いわゆる文学研究の他に、哲学、歴史学、社会学等の研究をする学部です。高校の科目で言えば、国語と社会の延長上にあるとも言えます)。

 

私どもは、折に触れて、理系の方が向いているのでは?というお話をし続けましたが、絶対に文学部だという主張を曲げませんでした。そして最終的には、ここにいても埒があかないと思ったのでしょうか、とうとう当塾を去っていきました。折を見て、受験の結果をお伺いしましたが、案の定、私たちの予想通りの結果となっていました。もっとも、文学部を不合格だったのですから、就職を考えれば不幸中の幸いとみなすべきなのでしょう。。。

 

(ちなみに私たちが私立文系を薦めていた中田君(現、早稲田大学政治学科)は、高校2-3年の段階では、イタリアの政治哲学者マキャベリ『君主論』や米国文学の祖エドガ・アラン・ポー『詩集』を読んでいましたし、当塾では彼の趣味(=イタリア近代オペラ)に合わせてNew York Timesのオペラ批評を読むこともありました。文系の一流大学志望者は、そういう感じになるのです)。

 

もう一つの例として、これもまた、英語と数学はまずまず成績の良いお子さん。特に数学が非常によくできて、私たちは東大でも狙えるのでは?と一時期は本気で進めていた時期もあったくらいのお子さんです。しかし本人は数Ⅲをやり切る自信がないとのことで、文系志望に変更してしまいました。このお子さんは、国語が苦手で、期末テストで全部文章を読みきれないくらいですし、もちろん、本だとか新聞はほとんど読まず、様々な世界情勢、社会問題等への関心もありませんでした。それなのに、文系志望にしてしまいました。こういうお子さんが早慶以上の一流大学の文系に進むというのは、基本的には無理筋なのです。

 

 

私たちとの共通の目標がなくなってしまい、このお子さんも当塾を去っていきました。結果として進まれた大学は、なるほどそうなったのか…というものでした。(このお子さんの場合、数学と英語がよくできるのですから、どうしても文系だというのなら、数学受験で慶應商学部を目指せばよかったわけですが。)

 

 

上記の二つの例は、客観的には非常にもったいない。もっと合理的な志望校選びをすれば、私どもがお勧めした大学合格も夢ではなかったはずですが、そういう風にはしたくなかったのでしょうかね。個人の問題ですから、それ以上申し上げることはありません。

 

 

このパターンのお子さんたちに欠如しているのは、「合理的な考え方」だとか「根拠」です。英語と数学が得意ならそれを活かせる進学先を選択するのがベスト。どうしても違う方向に進みたいのなら、その為に必要なことを全力で努力する。この二つの「当たり前」をどちらも無視してしまっては、掴めるはずのものも掴めない、当たり前のことです。

 

 

上記の例から、勘の良い方なら既に読み取っていただけていると思いますが、当塾から受験をして合格を勝ち取った生徒たちは全員が成功例。実は、当塾に最後まで残って受験を迎えたお子さんのほとんどが、第一志望に合格しているという実績があります。

 

 

当たり前と言えば当たり前のことなのです。私たちは、お子さんと1:1で向き合い、対話方式の授業を通して密に接しているわけですから、それぞれのお子さんの強みと弱み、持っている能力、日々の暮らし方生き方等が、手に取るように伝わってきています。ですから、「この子はこういう面は弱いけれどこういう力がある。この大学のこういった学部はどうだろうか?」と、どんどんイメージがわいてきます。そういうイメージは、密に接し、日々の授業での対話やその前後の会話を通して、お子さん一人一人をよく見ているからこそ湧いてくるものです。

 

 

だからこそ、ご本人にとってより誠実な、よりリアルな意見をお伝えすることが出来ます。それは時に、受け入れがたい、厳しい場合もあるかもしれません。しかし、そこで反発するのではなく、冷静に、素直に、合理的判断でそれを受け入れ、新しい視点を持つことができれば、自分の夢を実現できる可能性、あるいは満足のいく進学先が決まる可能性はより高まるのです。

 

 

ポイントは、自分の力を客観視するということ。客観的に真剣に見てくれる人の意見に素直に耳を傾けるということ。本も新聞も読まない、ニュース番組も見ない、世界情勢や社会問題に関心もない人が、東大だとか慶應の文系受験を志しても、無理です。そういった場合は、主に、早稲田大学や上智の文系に焦点を当てれば、どこかに落としどころが見つかるはずです。(どうしても慶應なら商学部。)逆にいうと、あまり勉強はコツコツしないし、長い英文を読んでいるとそのうち眠くなってしまうような子でも、普段から新書本や新聞に親しみ、様々な芸術に親しんでいるようなお子さんであれば、慶應でも早稲田でも、どうぞお好きな文系上位学部へ、と言って、応援してあげることができます。

 

 

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2017/06/01

偏差値の見方――慶應大学文学部は狙い目か?

2018年度受験用の河合塾の入試ランキング表(2017/05/24更新)偏差値表)(←クリックしてください) が発表されました。 そこで、私大文系(社会科学系と文学系)の上位をまとめてみました。

 

ここでは、早稲田・慶應の看板上位学部(早稲田の政経学部、法学部と、慶應の経済、法学部)を赤字早慶下位学部(残りの文系学部)を青字にしました。そして上智大学と中央大学の看板学部である法学部法律学科には、アンダーラインをつけてみました。以下の通りです。

 

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偏差値70

慶應(法)、慶應 (経済B)慶應(商B) 早大 (政経―政・経)

偏差値67.5

慶應 (経済A)、早大(法)早大(政経-国際)早大(文)、早大(文構)、早大(社科)、早大(商)上智 (総)

偏差値65

慶應 (商A)、慶應(文)、早大 (教育文系)、早大(国養)、早大(人科)、上智 (法)上智(外)上智(文)上智(総人)上智(総グロ)上智(経済)中央(法-法)、立教(経営、全学科)、立教 (社会)、立教(異文化)、青学 (国際), 明治 (政経、全学科)、法政 (グロ)、法政(心理)

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(注)一科目受験の青山学院と慶應大学の学部、およびICUは除きました。なお、慶應大学のAは数学受験で、Bは非数学受験です。

 

さあ、ちょっと面白い結果がでました。つまり、こんな事が言えそうです。

 

  • 早慶の上位学部と下位学部の難易度の差は、偏差値上には表れていない
  • 偏差値65では、早慶、上智、MARCH看板学部が並列している(早慶に合格する人でも明治や立教は落ちるかもしれないし、MARCH上位の人ならば早慶に合格できるかもしれない)
  • 慶應大学も、数学受験(経済、商)だと合格偏差値は低くなる

 

 

慶應の商学部や文学部は狙い目か?

 

偏差値65上にある大学学部が面白いですね。早慶から上智、さらにはMARCH(明治、青学、立教、法政、中央)までもが同居しています。しかし、「慶應の商学部や文学部は狙い目だぞ」となるとは限りません。偏差値表を安易に鵜呑みにしないで欲しいところです。

 

慶應の商学部( A)は偏差値65と低めに出ていますが、勘違いしてはなりません。これは数学受験ですから、文系科目が得意で、さらに数学も出来る生徒であれば、慶應大学の商学部は比較的容易であるという訳で、数学が苦手な文系の生徒には、全然関係のない話なのです。

 

要するに、偏差値に表れる難易度もあれば、偏差値には顕在しない難易度もあるということなのです。ですから、偏差値表はあくまで難易度の目安に過ぎないと心得てください。

 

偏差値上の差異はないけれど、実際には難易度で差違が有る場合があるのです。たとえば、慶應の看板学部である経済学部や法学部と、商学部とではどれも偏差値70です。しかし、入試問題の質が相当異なっています。慶應の法学部に合格するためには、高度な論述力(小論文)が求められます。また、経済学部に合格するには、日本一難しい英語の自由英作文を突破しなければなりません。慶應(経)の自由英作文は、単に英語を書く能力があるだけでは合格答案は書けません。というのは、日頃から新聞や新書本を読み、現代の様々な問題への関心を養っていないと、まったく歯が立たないような入試問題になっているからです。これに対して、慶應の商学部では論述力や自由英作文はほとんど求められていません。

 

ところが、河合塾の全統記述模試では、自由英作文の問題が課されません。ですから、受験生の自由英作文の実力は、河合の模試では分からないのです。自由英作文(あるいは小論文)というのは、書ける生徒はある程度以上書けます。しかし、書けない生徒は、いくら英語の偏差値が高くても、ほとんど全然書けません。(経験的に言うと、早慶の商学部までが限度の生徒と、早慶上位や難関国立文系(東大、一橋、京大)を目指せる生徒とに分かれてきます。(中学3年~高校1年くらいまでにはある程度はっきりとわかります…)。

 

 

そんな訳ですから、小論文や自由英作文をある程度以上できる受験生であれば、法学部、経済学部と商学部は同じ程度の難易度でしょう。しかし、小論文や自由英作文はほとんど全く書けないという受験生であれば、法学部や経済学部は無理ということなります。

 

慶應の商学部(数学選択)や文学部の相対的な偏差値の低さについても、同様なことを指摘できます。

 

文学部の場合ならば、受験勉強を真面目にやっておらず、国語や英語の成績があんまり良くない生徒だとしても、純文学や哲学的文章に読み慣れているような文学オタクであれば、慶應大学文学部には合格しやすい。(そういう昔ながらの生徒は、現代では少なくなってきましたが)。逆にいえば、文学や評論はほとんど読んだことのない「ガリ勉君」には、慶應大学文学部はそもそも向いていないし、難しすぎる。慶應の文学部の入試問題からは、そういうことが読み取れます。

 

 

本当の穴場はどこか

ところで、この表から我々はどのようなことを読み取れるのか?

 

私は、早稲田の人間科学部(人科)の偏差値がちょっと高めに出ていることが気になります。人間科学部は所沢キャンパス、つまり、所沢市の小手指駅からバスで15分という少々残念すぎる場所にある。早稲田の最大の魅力は、なんといってもそのロケーションで、我が国最高の雰囲気の街中にあることです。もちろんサークル活動も、早稲田キャンパスがその中心です。ところが人間科学部の学生は、そういうロケーションから無縁のところで学生生活を送らなければならない、それなのになぜ早稲田の他の学部と同じ偏差値なのか。非常に不可解です。理屈に合わないではないですか。

 

推測に過ぎませんが、来年度には反動で易化するのではないか。もしかしたら、――全然確約できませんがーー狙い目です。所沢バス15分でも、早稲田大学ですからね。なお、神奈川県からでも自動車通学ならば思ったほど遠いわけではなく、Google Mapによれば1時間20分で着くと出てきました。

 

とはいえ、普通に考えるならば、早稲田キャンパスにある早稲田大学の学部の方がずっと良い。とすれば、教育学部、それも初等教育学専攻が一番のオススメでしょう。なんとかして早慶に滑り込みたいという生徒には、私はいつもこの学部を強く推しています。「初等教育なんて専攻して、将来小学校の先生になるの?」などと言わないで、受けてみてもらいたい。

 

あ、慶応志望者のことを忘れていました。慶應志望の人は、やっぱり湘南藤沢キャンパスの総合政策と環境情報が狙い目です。偏差値72.5と高めですが、やはりここが一番合格しやすいようです。偏差値を見ただけではなかなか分かりませんね。もちろん英語が出来るだけでなく、小論文を書けることが前提となります、念のため。

 

 

 

 

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2017/05/25

東大・早稲田・慶應 一流大学の英語を読みきる力

何度も書きますが英語の勉強も順調に進んでいくと、最終的には英文を読んでいくという勉強を重ねていきます。親御様の多くも経験していることのはずですが、自分が中高生時代にどんな内容の話を英文で読んでいたかなんて、記憶にある方の方が珍しいのではないでしょうか。それはなぜか?恐らくですが、多くの人がやっつけ仕事でしか英文を読んでいない、内容を吟味したり自分の身に置き換えたりしながら、立体的にその英文を立ち上げて読むということをしていなかったからだろうと想像しています。

 

実は、過去の上智大学の英語の試験問題に、英語教科書プログレスに掲載されている英文=話題がそのまま出ていたことがあります。「え??まんまじゃん!」と私は驚いたのですが、プログレスでその話を確実に読んでいたはずの私の教え子は、その話を全く覚えていなかったという事実があります(笑)。まあ、多くの人がそういうものなのかな、と思っています。文章=言葉が表現している‟世界”に興味がないということなんでしょうね。

 

例えば私自身は生徒の皆さんと英文を読み進めている時、苦行の時もあるのですが(笑)、実は結構楽しいなと思う面ももちろんあるのです。それは、英語を通して様々なストーリーや世界観、思想に触れることが出来るからです。つまり、何を読んでも何度同じ話を読んでも、「読むこと自体が楽しい」のです。生徒の皆さんも私どものような塾に通いながら、こういう境地になれたらもう、鬼に金棒!なんですけどね…。

 

手前味噌でお恥ずかしいですが、私が今でも文章を読むことを楽しめているのは、中学時代の読書活動に大きな原点があるような気がします。そんな経験を今日は書いてみようと思います。

 

私が本を自分で読むようになったのは、小学校入学の頃からだったと記憶しています。恐らく担任の先生に図書室に連れていかれ、「みなさ~ん、しっかり本を借りて読みましょうー」なーんて言われたことが始まりだったのだろうと思いますが、かといって何を読んでよいのかわからず、伝記シリーズをしばらく読み進めていたように記憶しています。特に『野口英世』という人の生涯は、小さな私にとってとてもインパクトのあるものでした。なんか、頑張って生きなきゃいけない、と子ども心に思った記憶があります。その後、『世界名作シリーズ』みたいなのを続けて読んでいたように思います、定番ですけど、ビクトル・ユーゴーの『ああ無情』とか、ね。

 

一方、家の本棚にある大人が読む本の背表紙をいつも無意識に目にしていたところから、ある日『自伝 田中角栄』という題名に興味を惹かれ読んだ記憶もあります。当時、ニュースを漠然と見ていてなんとなく子ども心にも、「田中角栄はワルイ人」というイメージを持っていたのですが、その本を読むと田中角栄という人が非常にヨイ人に描かれていて「え?どういうこと??」と戸惑ったことを今でもはっきりと覚えています。「自伝」ということの意味を知らなかったり、物事や人を判断する目がとても直線的で単純なおバカさんだったんですね(笑)

 

中学に入った時に、新任の国語の先生(女性)が、クラスの全員に日記を書くという課題を出され、文章を書くことが比較的好きだった私は、クラスの誰よりも熱心にほとんど毎日日記を書いて先生に提出していました。毎日やり取りをする中で、先生がいろいろな本を勧めてくださり、勧められるままにどんどん読んでいきました。

 

なかでも、太宰治の世界観には幸か不幸かボッチャーンと浸かってしまいました。『グッドバイ』『人間失格』『晩年』『斜陽』etc…新潮文庫でほとんどの作品を買い集めて読み漁りましたが、なんだか生きていくのがかったるいような、退廃的な感じになっていく自分を感じながら、一方でそういう自分を楽しんでいる、おませな中学生でした。それから、夏目漱石、三島由紀夫、水上勉、中原中也、etc…。三島由紀夫は当時あんまりよくわからなかったような記憶もありますが、とにかく三島由紀夫のあの格調高い文体の世界に浸るだけでとても満たされました。あとは、倉田百三の『親鸞』『出家とその弟子』なんかも読んだなあ。あ、そうそう、中勘助の『銀の匙』とか。

 

海外もので読んで今でも強く印象に残っているのは、ジュール・ルナールの『にんじん』、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』。

 

当時読んでいた文庫本の多くが古ぼけた姿で今でも私の書棚に鎮座しています。

 

残念ながら、当時学校の図書室に例の先生が入れてくださった本で、今手元にはないのですが、私の記憶にはっきりと刻まれている本が2冊あります。

 

1冊目は、岡真史著『ぼくは12歳』。これは、中学1年生の夏休み直前に自ら命を絶った少年、岡真史君が残した詩や手記をご両親がまとめた本です。手元に本はなくても私の心にしっかりと刻まれている言葉(詩)があります。それは確か、「ぼくは死なない」というタイトルの詩だったような気がするのですが、

 

ぼくは 死なない

ぼくは ぜったいに死なない

なぜなら ぼくは ぼく自身だから

 

という一遍です。この言葉を残して彼は大空に飛び立った。この詩の意味。一体どういう心境で書いたのだろうか、どういう意味なのだろうか、いまだにわかりません。これから僕は大空に舞うけれど、肉体は死んでもぼく自身が本当に死ぬことはないのだ、という意味なんだろうか、それとも、物理的に、本当に「僕は死なない」という意志の表明だったんだろうか?仮に意志の表明であるとするならば、今にも闇の中に吸い込まれてしまいそうな自分を感じながら必死でそれに抵抗している言葉なのか、それとも、もっとシンプルに、本当に、自分は絶対に死なない、頑張るんだ、生きてゆくんだ!という前向きな意志表明だったんだろうか?

 

もう一冊は、この岡真史君の御父上である高史明(コ・サミョン)氏が書かれた『生きることの意味』という本―在日朝鮮人として生まれた作者の自叙伝―です。

確か本の最後にあった言葉だと記憶しているのですが、

 

「私の生きることの意味の探究は人の優しさを探究することであった。」

 

といったような一節。この短い一節を読んだ瞬間に、たまらなく哀しくて淋しい気持ちになったことをよく覚えています。この短い一文に、著者の過酷な日々と淋しさ、辛さが凝縮しているような気がしました。絶望せず、必死にもがきながら生きた人の、真実の言葉だということがわかります。いまも、ものすごく突き刺さっています。

 

おっと、話がウェットになってきましたね。皆さんが好みそうな現実的な話に戻しましょう(笑)。中学生の頃から、日常的に純文学を中心に読んでいた私にとって現代国語の‟勉強”というのは中高を通してほとんど不要でした。この言葉の意味することはどういうことだろう?とか、なんでこの人はこんなことを言うのだろう?と毎日のようにいろいろと考えながら読んでいるわけですから、試験でどんな文章が出てきても、精神的に全く動じることはなかったような記憶があります。国語を‟勉強する”、ということに強い違和感を感じてもいました。

 

もちろん、そうなることを目的として本を読んでいたわけではなく、結果としてそうなっていた、というところがポイントかなと思います。また、本をよく読んでいるからといってそれが必ずしも国語の成績に直結するとは限らないという現実も、人によってはあるようです。ただ、英語を教える立場から言えば、やはり(エンタメ小説やラノベではない)読書を楽しめるくらいの人でないと、一流大学の膨大な量の英語を読みきるのはなかなかきついだろう、ということは言えます。

 

 

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