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塾ブログ 林間教育通信

2017/08/31

プロ講師には何が見えているか。後編

 

長年生徒の皆さん一人一人と個別に深く関わっていると、一人ひとりの個性、様々に抱える問題点というのが、より鮮明に見えてきます。それだけではなく、何度も書きますが、そのお子さんがどんな風に物事を見、感じ、日々を生きているのか(きたのか)といったようなことまで、肌感覚で分かってくるのです。さらには、そのお子さんの数年先の未来像まである程度具体的に描けもします。

 

 

私たちが個別指導の講師をしていてよかった、と思えるのは、生徒の一人一人を立体的に、複合的に、「わかる」あるいは「わかろうとする」人でいられているという点です。別の言い方をすれば、(当塾は大学受験のための塾ですので、)個々の生徒の志望校を偏差値や成績(だけ)では判断しないということです。つまり、人によっては、多少成績がよくても、それが安心材料につながらない場合もあるし、多少現時点での成績が悪くても、あまり心配はいらない、と思えるお子さんもいるということです。

 

 

大手予備校等でしたら、実際に教えている講師が一人一人の生徒が持っている特性を大してわかっているわけではありませんし(前回のブログで紹介した例)、進路のアドバイスをするのは実際に教えている人ではありません。よって、生徒を偏差値で判断するしかないわけです。

 

しかし、実際の入試というのは各大学、学部によってそれぞれ特徴があります。以前のブログでもご説明した通り、たとえ偏差値が届いていたとしても、その子の強みと受験する大学・学部に必要な力が合致しない場合は確実にあるのです。生徒の一人一人は生身の人間です。いろいろな側面を持っています。偏差値と合わせて、そこには出ていない強みや弱みを考慮しなければ適切な進路指導などできるはずもありません。

 

 

さらに、受験までまだ時間的余裕がある場合、この先どういった刺激を与えたらどういった化学反応を起こしうるのか、あるいは、起こし得ないのか、という可能性まで含めて考える必要があり、どういった刺激を与えるべきかは個々により違ってきます。常に流動している、生身の人間の可能性をより正確に判断したりアドバイスできるのは、単なる偏差値データからの分析ではなく、生徒の一人一人と真剣に向き合い、かつ豊富な経験や鋭い洞察力を持っている者だけに可能なことだと思っています。

 

 

当方は、基本的には一流大学合格を本気で目指している方々を応援する塾ですので、自然と一流大学を目指している生徒さんが集まるわけですが、私たちの下で勉強したからといって必ず全員が早慶以上の一流大学への合格切符を手に入れられるわけではありません。

 

一方で、初めは深海魚=成績不振で私どもの塾を訪れる生徒さんであっても、数か月のうちに「この子はイケル」と確かな手ごたえを感じるお子さんがいるのも事実です。

 

では、「この子はイケル」と確信できるのはどんな場合なのでしょうか?以下に非常に簡単かつ率直にまとめてみました。

 

1.理解力が高く頭の回転が速い。-これは新しい単元、新しい概念を教えてもすぐに理解し、問題演習をしても、立ち止まることなくすんなりと進むことができるタイプのお子さんです。所謂地頭のよいお子さんというのは、中学に入ると勉強が楽になるので、つい怠けて(よく出来る集団の中では)成績も芳しくない場合がありますが、刺激を与えればまたすぐに起動して、あっという間に抜きんでる底力を持っています。

 

 

2.言語能力が高い。-多くは饒舌です。一流大学合格レベルの英語力をつけるためには、日本語モードから英語モードへの切り替え、日本語的表現の仕方と英語的表現の仕方、といったことを自由自在に操れる能力が、最低限必要となります。思考を混乱させることなく、言葉をあれこれこねくり回せる能力。元々言語能力が高いと、そういったことにあまり苦労することなく順応することができます。

 

 

3.数学がデキル。-「デキル」という時に、「ずば抜けて出来る」場合は言わずもがなですが、結構大事なのは、家では全く勉強していないけれど授業を聞いていればそれほど数学に困ることはないというくらいの底力を持っているお子さん。特に男子に当てはまるようですが、ほとんど勉強しなくても授業を聞いて授業内にちょろちょろっと勉強するだけで、定期試験もそれなりの点が取れているようなお子さん。

 

 

早い段階で、「早慶はイケル」と感じるお子さんに共通するのは、(非常に大雑把な分類ですが、)大体上記3つの要件が揃った時です。1.は必須。但し、2.と3.はどちらともずば抜けている必要はなく、どちらかが強ければどちらかがやや弱くても問題はありません。また、(微妙な話ですので多くの方々にはわかりにくいかとは思いますが、)自分は数学は苦手だ、と思っている人でも、よくできる人に囲まれているのでそう感じているだけだったり、国語に比べたら数学が苦手、と感じているだけという場合もあります。私たちの見立てでは、たとえ文系志望であっても、早い段階で「イケル」と思われるようなお子さんは、ある程度数学力もあるように感じます。つまり、本格的な理工系に行けるほどではないけれど、教科書の標準レベルくらいなら普通にできる、とか、中学に入って数学の成績はそれほどよくはないけれど、中学受験時には上位校(四谷偏差値60以上)に受かるくらいの算数力があった、あるいはそういう勉強をした、という場合が多いように感じます。

 

 

 

分かりやすいように、具体的な例を挙げてみましょう。

 

(例1)

横浜雙葉から結果的には学校推薦で慶應商学部に合格したIさんの場合。当塾のブログで本人も書いている通り、中2の段階で英語の成績は非常に低迷していました。ご本人曰く、「授業内に行われる小テストも、勉強しているつもりなのに0点取ったことがある。」といったような感じでした。親御さんに将来の志望校などお聞きしても、「今のこの成績でどこへ行きたいとか言えません。」と非常に謙虚かつ消極的でした。むしろ私たちの方が、「いやあ、早慶くらい目指しましょうよ、可能ですよ!」とはっぱをかけていたほどです。

 

 

まだ全く指導をしていない段階から「早慶くらい可能ですよ。」と自信を持ってお伝えできたのは、彼女が横浜雙葉という学校に通っていらしたということ。この学校に受かるくらいの力をお持ちのお子さんが、当塾で私たちの出す課題を真面目にこなしさえすれば早慶くらい普通に行かせてあげられるという自信があったからです。

 

 

その自信が確信へと変化していったのは、彼女を実際に教え始めて数か月たってからです。

 

 

例えば、彼女は、授業が始まるやいなや、「先生聞いてくださいよ~。」と言って、その日学校であった出来事について、自分の思い(多くは腹立ち)をよくぶつけてきたりしていました。ここ、結構大事で、こういうお子さんというのは、例えば私どもの教室に来るまでの道中で、「今日はまず先生にこういう話をしよう。」と話す内容をまとめているんだろうと思うのです。つまり、一見勉強していないような時間にも実は、何かある事柄について時系列でまとめたり、それについてどう思うかという自分の意見をまとめたりしているんだろうと思うのです。こういったことは習慣化しますから、この子の「ああだこうだ」と頭の中でつぶやいている日々の積み重ねが、実は言語能力(語彙力・思考力)を知らず知らずのうちに伸ばしているのではないかと思うのです。

 

 

授業中のやり取りのみならず、授業前後のこういった何気ないおしゃべりからも、彼女の言語能力の高さと頭の回転の速さがよく伝わってきました。ですから、こちらの想定通り、当初は深海魚だったにもかかわらず2,3か月で順調に波に乗り、同級生をあっという間にごぼう抜きし、中2の初めには成績低迷していたにもかかわらず、中3の1月には英検2級に受かってしまいました。当然校内においてもトップクラス、高2あたりで模試を受けてもいきなり偏差値70越え(確か73~4)という成績を出すようになっていきました。

 

 

ちなみに彼女は、難しい数学はどうしてもやる気にならない、ということで、最終的に私立文系志望にしましたが、「(数学も)やればできるとは思うんです。」とも言っていました。そしてその言葉は、多分合ってるだろうなあと、彼女とのいろいろなやり取りで私も感じていました。実際、高1あたりの数学のクラスは最上位クラスだったと記憶しています。そのうち(高2あたり?)既に文系志望にした段階で、数学のクラスも下か真ん中のクラスにいましたが、そのクラスでは、みんなが「難しい難しい」と頭を抱えているような問題は、「非常に簡単」で、「どうしてこんな難しい問題ができるの~?」と周りからうらやましがれていたらしいです。が、本人にしてみれば「え?そんなに難しい?超簡単だけど…汗」と思っていたみたいです。文系だけど、英語力向上のためには数学力も必要という時に、これくらいの数学力で十分です。

 

※結果的に、彼女は、学校推薦をもらって慶應商学部に入学されましたが、(試験というものは水ものですので、「絶対」はないのですが、)一般入試を受けていても「合格」した可能性は限りなく高かったということは言えます。

 

 

(例2)

相模中等から京都大学に進学したO君の場合。

彼は高1の春から入塾しました。もちろん、本人も合格体験記に書いている通り、当初は深海魚クン。本人曰く、「be動詞もよくわかっていなかった」という状態です。しかし一緒に勉強し始めるとグングン力がついてくるのがわかりました。

 

 

調子が出たころ、高2の頃だったでしょうか、志望校について聞いてみたところ理系で生物学を専攻したいとのことで、「早稲田の教育学部」という返事が返ってきました。しかし、私たちの感触からすると、「早稲田の教育学部では物足りない。もう少しハードルの高いところにすべき。」という気がしていました。そして折に触れてそういう話をしていましたが、なかなか乗り気にはなってくれませんでした。また、高2になってもそれほど数学や理科を勉強している様子もなかったのです。それでも、英語の指導を通して彼の「全体的な学力の底力」のようなものを強く感じていました。結果的には、受験間際になって「京都大学を受ける」と言ってくれたので、ほっとしましたし、見事合格した時には、やはり、私たちの感じていた感触は当たっていたなあと手前味噌ですが思うのです。

 

 

彼のすごさの一つは、「記憶力のよさ」なんです。例えば、多くの生徒が単語を覚えるのが苦手で苦労していますが、彼はすごかった。毎回授業の最初の10分くらいで単語チェックをしましたが、ほぼ完ぺきに覚えてきていました。当塾では通常、こういった単語のチェックはしていません。理由の一つは、ほとんどの進学校では単語テストなるものを実施しているので、あえて塾でまでする必要はないから。もう一つは、なかなかまともに覚えてくる子が少なく、単語チェックの意味がない、あるいは、時間の無駄、と感じることが多いから。しかし、彼は毎回完璧に覚えてくるので、非常に短時間でさっさっとチェックできました。本当に圧倒されるほどでした。

 

 

 

一方、理解力もよくはありましたが、言語能力が非常に高い、という印象は持ってはいませんでした。が、非常にセンスが良かった。一緒に長文を読み進めている時の反応の仕方で、「自分の頭でしっかり考えている。」ということがわかりました。多くの生徒が漠然と素通りしていくようなところで、「ここがわからない。ここはどういうこと?」と、立ち止まって考えられる子だったのです。もちろん、なんでもかんでも質問すればよいというわけではありません。あまりに基本的なことばかりを質問されても、「え?話の流れを追っていないの?もっと自分でしっかりと考えなさい。」となることもあるわけです。が、彼の質問は、思わず「うん、いい質問だね。」と、恐らく生徒たちはわからないだろうと、こちらが質問しようと思っていた部分を、タイミングよくついてきたりしました。こういったところからも、彼の「思考」「言葉」、そして「彼自身」に対する信頼感・安心感が増しました。

 

 

実際、英語は心配なかったので、尚更「数学や理科は大丈夫?」と何度も尋ねましたが、いつも「大丈夫です。」と返してきました。申し訳ないのですが、多くの生徒たちの「大丈夫」はあまり信用できません(笑)。が、彼の「大丈夫」は本当に「大丈夫」なんだろうな、と不思議と信用できたのです。

 

 

結果的に京都大学に受かったのでやっぱりあの「大丈夫」は不思議と信じられたんだけど、本当に「大丈夫」だったんだなあと、つくづく思います。

 

 

最後に、ネガティブな例を一つだけ簡単に挙げておきます。いくら英語の偏差値が高くてもダメな例です。

 

過去に在籍していたある生徒さんの例ですが、英語の成績が非常によく、高1の時に偏差値70越えしていました。英語ができるということを活かして、東外大を目指したいということでした。東外大というのは、外国語大学とはなっていますが、語学を学ぶだけの大学ではありません。世界の様々な緒地域について、文化、社会、経済、政治等を学び、研究する大学です。そういう大学を目指すというので、例えば、東南アジア諸国についての新聞記事が目に留まりましたので、わざわざ切り抜いて読ませてみたりしましたが、ほとんど興味を持ってくれた様子はありませんでした。一緒に英語長文を読んでみても、(今まで)本をしっかりと読んできた様子も感じられませんし、世界の歴史だとか地理に関心があるようにも感じませんでした。こういうタイプの人が東外大に果たして合格出来るのか?といったら、まあ非常に厳しいでしょうね。百歩譲って、仮に受かったとしても、入ってから非常に苦しいし…う~ん、やっぱり厳しいでしょうね…。

 

 

偏差値だけを見れば、可能性があるのでは?と思うかもしれません。が、本も新聞も読まない人がこの先英語力が順調に伸びるとは思えません。(経験上、国語力のない人は、過去問を解いても解いても、なかなか点が伸びないことが多いのです。)仮に偏差値はそれなりにとれていたとしても、東外大の入試問題に対して、まともな解答は書けないでしょう。(記号式じゃないですからね。)

 

入試問題とは、その大学で勉強する資格があるかどうかを大学側が計っているわけですからね。

 

このように、私たちは一人一人の生徒さんが持っている(英語以外の力を含む)潜在力を、英語の指導を通して丁寧に探っています。そのお子さんが数年先どれくらい伸びるか、どんな方向に伸びるか、あるいは、どんな方向に伸ばすべきか、それは現在の成績や偏差値だけでは判断できないものです。経験豊富なプロの講師が一人一人を丁寧に観察し、分析するからこそできる業(技)です。

 

 

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2017/08/10

プロ講師には何が見えているか―前章

我々もお陰様でかれこれ20年、この業界で仕事をさせていただいています。そのほとんどの期間が、子ども達への個別指導、特にここ8~9年は完全なる1:1のマンツーマンでお子さん一人一人と密に関わって、英語の指導をしています。

 

 

一度に何十人も収容するような大手予備校の講師の方々と比べれば、関わった生徒の数は少ないでしょうが、どれだけ深く関わったか、その深さ・密度で見れば、全く比較のしようもないほどに違いがあるだろうと自負しています。また、同じ個別指導の経験者であったとしても、経験年数や指導スキルのみならず、その間に意識的に磨いてきた、人を見る洞察力という点で、他に引けを取るものではないと、自負しております。

 

 

大変恐縮なのですが、具体例を挙げてみましょう。当塾の生徒から聞いた話です。

 

 

その生徒は、ある有名予備校の高1国語の講習を受けていたのですが、わずか数か月でやめてしまいました。理由は、「講師の鈍感さに嫌気が差したから」だそうです。

 

 

その生徒は、非常にじっくりと物事を考える、真面目な生徒です。また、中学受験時代より、国語の問題は、まず本文をじっくりと読む、問題は根拠を持って答える、ということを常に意識して取り組んでいたそうです。(むしろじっくり考えすぎて時間が足りなくなるようなタイプだったそうです。)ですから、その塾においても、じっくりと考えながら国語の問題を解いて、臨んでいたそうです。(予習が原則とのこと。)

 

 

 

その予備校の先生は、毎回授業後に感想を書かせるそうですが、特に書くこともなく困ったこの生徒は、「問題はじっくりと考えながら解くことが大切だと思った。」と、自分にとっては既に当たり前になっていることを書いて、提出したそうです。その後の授業で、この講師は、この生徒のこのコメントを読み上げ、この生徒をじっと見ながら、「そうですよ~、皆さんは、適当に解いたらいいと思っているかもしれませんが、問題はじっくりと読んで、じっくりと考えることが大切なんですよ~」と、あたかも「あなた、今までそういったことを考えていなかったんですね。」とでも言わんばかりのいやらしさで、言われたそうです。

 

実は、このクラスは、(高1国語ということもあってか)一クラス3~6人ほどしか在籍していなかったとのこと。ですから、自分の顔を見ながら言われていることは、自分に言われているのだと、強く感じたそうです。

 

この生徒にとって、「じっくり読んで考えるなんて、当たり前、既に実行中」のことですし、毎回そのようにきちんと学習していますから、「それに気づいていないの?」と、この講師の態度は非常に癇に障る言動だったようです。

 

 

もう一つの例ですが、実は同じ生徒からの話です。集団式予備校の先生はこんなものか、と嫌気がさしたこの生徒は、映像授業で国語の講習を受けることにしたようです。そこでもまた、面白いことが起こったそうです。

 

 

映像授業を受けようとすると、うまく起動しなかったようで、大学生のアルバイトスタッフにその旨伝えたそうです。「ちょっと待っててください。」という言葉をのこしてそのアルバイトはどこかへ行ってしまいました。「やんなっちゃうなあ、早くしてよ~。」と心の中でつぶやきながら待っていると、別のアルバイトが何かの用事でやってきて、「あれ?勉強しないの~?」と声をかけてきたそうです。この瞬間、この生徒は、プチっときたそうです。私でもそうなると思います。「あれ?勉強しないの~?」ではなく、「何か(問題)ありましたか?」でしょ?(まあ、学生アルバイトなのですから、あまり強く責めることはできません。そんなものじゃないでしょうか。)

 

 

前者の例も後者の例も、彼らの共通性を見出すことができます。それは、彼らは「全体」しか見(え)ていないということ。たとえ目の前に一個の特有な「個体」が存在していても、彼らにとってそれは、全体を形作っている同じ形をした、ただの「一粒」。だから、本来一人一人、個別の特性をもっているはずの「個」を前にしても、「全体を見る目」「自分の固定観念」を持ってしか対処できないし、しない、ということです。

 

 

(結局、この生徒は、自分が、「顔の見えないその他大勢」と同じように見られ、扱われることに嫌気が差し、国語の勉強は自分ですることにしたそうです。私どもは、評判のよい参考書や問題集を紹介し、勉強の仕方などをアドバイスしています。)

 

 

 

私たちにとって、上記のような例はにわかには信じ難い話です。なぜなら、目の前にいる生徒の学力を効果的・効率的に上げるためには、「その生徒自身をよく知る」ということが、初めの一歩であり、大前提としていることだからです。それを抜きに、質の高い指導などあり得ないのです。

 

 

私どもでは、まず親御様とご本人にいらしていただき、面談をします。そこでいろいろなお話をしたり、伺ったりしますが、それは、どんな親御様がどんな風に育ててこられたのか、また、お子さんは、どんな風に勉強してきたのか、どんなことが好きなのか、といったような、その子その子の「特性」を探り当てているのです。もちろん、一度だけで全てがわかるわけではありません。毎回毎回の授業で、質疑応答する中で、「うん、なるほど、この子はこういったものの考え方をするのか。」とか、「こういう場面でこうなる傾向があるんだね。」といったように、様々な分析を蓄積しているのです。そういった分析の蓄積があるからこそ、「この子はこういう面が弱い。ここをこう強化していかなければ、目標地点に近づけない。」といった個別具体的な将来像や、効果的戦略を立てることができるのです。

 

 

例えていうなれば、大手予備校等は、大きな一つの山を外側から見ているのですね。山の中に分け入って入り、一体個々の動植物がどういう状態で存在しているのか、といったことには関心はないんです。植物が多少枯れようが、動物が多少死に絶えようが、そういったことは大事な問題ではないんですね。山が山の形を保ち、そこにありさえすればそれでよいのです。

 

 

一方、私どもは山の中に根差している、一本一本の木や植物を見ています。「ああ、この植物は、土に栄養があまりないね、もう少し土に養分を与えるときっと綺麗な花が咲くね。」とか、「ああこの木はなかなか立派に見えるけど、葉っぱがたくさん枯れ始めているね、なんとかしなきゃ。」とか、そんな風に、一人一人の生徒たちを観察して、一本一本が今よりよりよい状態になることを一つの楽しみ・やりがいにして、日々を生きています。

 

つづく

 

 

 

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2017/08/02

国語力・教養力をいかにつけるか。Part2

前回は、国語力を身に着けるための条件である「語彙力」は、家庭や読書によって育まれるということを書きました。そして、親が自分の中高生時代に感銘を受けた本を勧めたり、自分が新聞を楽しみながら読む姿を子どもに見せることで、子どもも自然に読書や新聞など活字に興味を持つようになる、というお話をしました。お互いに共通の話題を持つことで、家族の会話は自然と、社会問題や政治の話題にもなるのだ、というところまででした。

 

 

例えば我が家では、食事をしながら、あるいは、テレビを見ながら、原発問題、沖縄基地問題、安保法制、共謀罪、トランプ米大統領の英語の分かりやすさ(笑)etc…と国内外の様々なニュースについて、語り合います。誤解してほしくないのですが、こういったことは、何かの目的のためにやっているのではなく、そういう問題について、考えたり話したりすることが楽しいから,あるいはやらずにはおれないから、やっている、ということです。

 

もちろん、実益にもつながります。例えば、学校に優秀な社会科の先生がいたりすると、定期テストにおいても、「日本のエネルギー問題についてあなたの意見を書きなさい。」だとか、「TPP問題についてあなたの意見を書きなさい」等、自分の意見を記述させるようなよい問題を出す場合があるようです。多くの生徒が苦手とするこういった問題も、普段から新聞を読み、ニュースを見ながら、家庭内においてあれこれと話をして、自分の意見を持っていれば、全く楽ちんなイタダキ問題となるからです。

 

そういえば、英検の二次面接の練習を生徒の皆さんとすることがありますが、この練習をするときに、ある意味で、生徒の皆さんの日常生活の一端が顕わになりますね。英検の二次面接では、「現在~のようなことが言われているが、その意見についてあなたはどう思いますか?」的な質問がされます。もちろん、簡単な英文で簡単に答えればよいので、ある種のお子さんにとってそれほど難しいことではないはずですが、(←英検の面接の採点は甘いので、ポイントがずれた答えでも適当に何か英語で答えればなんとかなります(笑))、全く固まってしまって、手も足も出ない、というお子さんも時々います。こういうのはまさに、「日常生活でいかに周囲の問題に関心を持ち、自分の意見を持てているか」が問われます。ある意味で、付け刃では対策できないという言い方もできるかもしれません。

 

そういう意味では、家庭内における会話というのは、語彙力を増やすというよりはむしろ、「教養力だとか考える力」を養うことの方に重点があるのかもしれないと思います。

 

多くの方がいまだに、語彙力だとか思考力といったものは、机の上で一生懸命勉強して育むものだ、と誤解しているんですね。多分違うと思いますよ。もちろん、机上の勉強によっても育まれますけれど、日常生活の何気ない習慣から少しずつ蓄積されるものが大きいと思います。だから、「家庭力」「親力」が問われているのです。

 

『お母さんが教える国語』(ダイヤモンド社)という本の著者、早川尚子さんも書かれていますけれど、まさに国語というのは、「その人の生活、生きざまを背負っている、その人の生活そのものを映し出している」のだと思います。

 

ここで一つ、生活の中での「私と新聞とわが子」の関わり方の例を挙げておきます。

 

2年ほど前、東京新聞の読者の投稿欄で見つけた素敵なお話です。何年も続けている新聞の切り抜きファイルの中に眠らせている記事ですが、私の心の中には鮮明に刻まれていて、事あるごとに思い出される、ある親子の「物語」です。まずは、記事をそのまま転記してご紹介しましょう。

 

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「引きこもりをやめた息子」(東京都小金井市 主婦 67歳)

 

 

 

 高校を卒業して15年引きこもっていた息子が、仕事を見つけ働き始めた。父親の死をきっかけに、母親の私の生活を心配し、自分の年齢を考え、NPOの人たちの助言を得て、自らハローワークへ出向いたのだ。

 

 仕事は清掃業務。我が家から十分で行ける某大学の街路樹の落ち葉をかき集めることだと聞いた。人間関係が苦手な息子にとって、自然が相手の仕事は良かったと私は思った。

 

 息子が働き始めて一週間。私用で私は大学に出かけることになった。学生の往来の中、息子は褪せたグリーンの作業着に軍手をはめ、ざわざわとふり落ちる葉を竹箒で懸命にかき集めていた。そばにはリヤカーがあった。集めた落ち葉を積むためだ。

 

 この日は風の強い日で、掃いても掃いても、かき集めてもかき集めても、風は容赦なく葉を撒き散らした。息子は風が少し弱まった時を見計らって、バサバサッと集めた葉を入れると、リヤカーを引いて行ってしまった。息子の背中が今の彼の年齢より、ずっと年取ったように見えて、私は胸に突き上げるものを感じた。

 

 しかし、どんな仕事を選んでも、働くということは、また大きく言えば、生きるということはこういうことだ。今の息子には、そのことを身をもって知ってほしい。リヤカーを引いて行く息子の後ろ姿に、今の時間を、今日だけを考え頑張ってほしいと願った。その積み重ねこそが、明日につながるのだから。

 

 私にできることはおいしい夕飯を作って息子の帰りを待つこと。そう自分に言い聞かせた。

 

(2015.11.19  東京新聞発言欄より)

引きこもりやめた息子(2015年」)

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とても短い文章ですが、皆さんはどうお読みになられましたか?私はまず、「この人、文章がうまいなあ」と思いました。まるで超短編小説を読んでいるような感覚すらあり、ものすごく引き込まれて読みました。ただの活字でしかないはずなのに、その奥に確かな「人間の物語」がある。確かに血の流れている人間が、そこに生きている。

 

箒を手にする息子さんの寡黙な姿。息子さんをからかうように舞い上がる葉っぱ。その様子を黙って見守る、何層にも重なる母親の複雑な思い。そして、「しかし」という接続詞に、たったこの3文字に、母としての感傷を振り切っての、強い決意が、表明されている。

 

私は、この「しかし」という言葉に、ものすごく胸が熱くなります。なぜだかわかりますか?…と余談はここらあたりにして

 

私はこの記事を読んですぐ、わが子にも読ませたいと思いました。そして、質問してみました。

「このお母さんの、この時の思いというのは、大きく三つあると思うのだけれど、どういう思いだと思う?また、どこからそう思う?」

 

(私の想定する答えが「正解」かどうかはわかりません。それはこのお母様にしかわかりえないこと。しかし少なくとも、この文章から読み取れる「母の思い」というのは少なくとも3つあるはずです。恐らく、国語の問題として出されても、それが答えになるだろうと思います。)

 

 

…とまあ、こんなやり取りをして遊んでいます。こういうやり取りが、家族の会話の日常として習慣化していれば、自然と「考える力」「言語力」というのは、ついてくるはずです。

 

学ぶ材料、子どもの思考力を鍛える材料は、身の回りに無数にあります。それに気づくか気づかないか。その違いだと思います。一旦火がつけば、ある種のテレビを見ても、学べることはたくさんあります。よく「うちはテレビを一切見ない」なんてご家庭もあるようですが、「うちは結構テレビも見ます。」「見方」が大事なんだと思います。またおいおいご紹介していきます。

 

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2017/07/27

国語力や教養力をいかにつけるか。

先日、ある生徒(高校生)に「英語力をつけるためには、何をしたらよいと思う?」と質問してみました。このブログでは既に散々書いてきたことですので、レギュラー読者の方々ならば既にその正解をご存知かとは思いますが、恐らく、多くの生徒たちがまだまだ大きな勘違いをしていると思われますので、聞いてみたわけです。

 

案の定、わかっていない部分があって、「え~っと、文法を勉強して、単語を勉強してー、長文の日本語訳をしっかりとできるようにすること・・・」と弱々しく答えてくれました。もちろん、この生徒が挙げてくれたことは、英語力を身につける上で非常に重要な要素ではあるのですが、これは必要最低条件でしかないですね。

 

もちろん、稚拙な内容でよいから英語をペラペラ話せることが英語力だと信じ込んでいる人なら、単語とちょっとした文法を勉強をして、あとは実践演習だ!という考え方もあるかもしれませんが、一流大学を目指して「英語力」といえば、それは「長文読解力」ということにつながります。

 

生徒の皆さんに長文読解をさせていると、ある英文を文法的には正しい日本語に訳せても、それが結局どういうことを言っているのか、その本質的な意味がわからない、自分の言葉で言い換えたり、説明したりできない、という中高生は多くいるということを痛感します。さらに残念なのは、一応訳せてはいるので、自分ではわかったつもりになっていたりします。残念ながらそういう状態では、英語ができる、とは言えないし、早慶や一流国立大学の文系レベルの英語問題にはまず太刀打ちできない、ということになります。

 

ですから、既に繰り返し書いてきていますように、英語力を伸ばしたければ、言語能力や国語力、教養力(=背景知識)といった力を、同時に引き上げることが必要条件となるのです。

 

最近、古本屋で見つけて立ち読みした際にひどく気に入ってしまい、購入した本があります。『本当に身につく国語の基礎力』(野田眞吾 ごま書房新社)という本です。kokugoryokuその中に、国語力を身に着けるために必要な事の一つとして「語彙力を伸ばそう」ということが書かれていました。そして、語彙力を伸ばす3つの方法として、

 

1.読書によって増やす。

2.大人との会話によって増やす。

3.学習によって増やす。

 

という方法が挙げられていました。ここで注目すべきは、やはり、1.と2.の項目です。

 

私たちの経験から、英語がよく出来るようになるお子さんは、共通してよく本(=文字)を読んでいます。また、口の立つ子が多い。(←これは例外がありますが。)つまり、いつも言葉の近くにいる、ということです。だから、言葉をあっち持って行ったりこっちに持ってきたり、あんな風に言ったものをこんな風に言い換えたりと、あれこれこねくり回すのが苦痛じゃないし、困難でもない。数学が得意な子はよく「数」に馴染んでいるからですね。100という数字を見たら、そこからものすごくいろんなことが思い浮かぶ。同じく英語や国語が得意な子はよく「言葉」に馴染んでいるから。一つの「言葉」の奥に、ものすごくいろいろな世界観を無意識に広げているのですね。

 

 

今のお子さんの多くは、本をあまり読まないですね。特に、まともな本をほとんど読んでいない。しかしそれは子どもたちが読まないのではなく、周囲の大人(親)が読んでいないからなのではないか、と私は密かに疑っています。また、普段、お子さんとどんな会話をしていますか?稚拙な会話ばかりでは、子どもの語彙力を増強させることはできません。

 

前回ブログで書きました(半ばお願いした)ように、お子さんだけにいくら「本を読め、新聞を読め」といっても、それは無理な話。かつて自分が中高生時代に読んで感銘を受けた本は、わが子にも読んでほしい、読ませたい、と思うのが自然な親心ではないかと、私たちは思うのです。

 

親子で同じ本を読み、それについて、感想を言い合うとか、同じ新聞を読みお互いに意見を交わしあうという「日常」が、お子さんの語彙力を育み、思考力(言語能力・国語力・知性)を育むのです。

 

例えば、私(母)は『ドリトル先生』シリーズも好きなお話の一つなのですが、わが子が小学校低学年の頃に勧めました。子どももとても気に入ってくれ、それがきっかけで動物への関心も以前より深まったように感じます。中学生になった際には、「そろそろドストエフスキーなんかも読んでみたら?」「夏目漱石も読んでおくべきだよね。」などと勧め、『罪と罰』だとか『三四郎』だとか、読んでくれました。

 

それから、新聞ですね。新聞に関しても、親御さんが楽しそうに、あるいは、熱心に新聞を読んでいれば、子どももまた「一体(新聞には)何を書いているんだろう?」と好奇心をもって覗いてくるものです。(ただ、これはお子さんが小さいうちの方がそうなりやすいのかもしれませんね。小さいころの方が好奇心が旺盛な場合が多いですから。)

 

これもまた我が家の例ですが、当時わが子が小学校2年生の時でした。私が新聞を読んでいると子どもものぞき込んできて、かといってまだ大人の新聞を読めるはずもありませんが、広告に書かれている文章だとか絵を見て、(その時は確か、和歌山の梅干しの広告だったと記憶しているのですが)、それを見ながら「ねえ、新聞って面白いねえ」と言ってきました。「面白いと思う?読んでみたい?」ときくと「うん!」と答えてくれたので、即座に「朝日小学生新聞」を購読し始めました。

 

もちろん、小学生新聞を取り始めたからといって、子どもがすぐに毎日、隅から隅まで新聞に目を通すとは限りません。全く読まない日もあるでしょうし、あまり読まない日が、1か月、2か月と続いてしまう事もあるかも知れません。しかし、そこで親御さんが、「もったいないから」といって安易に新聞購読を止めるべきではないと思います。我が家では小学校卒業まで取り続け、その後中高生新聞に切り替えました。今どういう状態になっているかといいますと…

 

朝日中高生新聞は週刊ですので、毎週土曜日の朝に配達されます。これ、ポイントですよね。土曜日といえば、学校や部活がある人もいるでしょうが、休みの中高生も多いはず。だから、土曜日の朝、朝食を食べた後は、家族で新聞タイムです。実際、我が家はそういう風景がここ何年か続いています。

 

 

それというのも、私自身の毎朝の楽しみが、新聞を読むことで、朝食を食べたらひとまず(片付けそっちのけで)新聞に目を通す、という動きが体に染みついてしまっています。ですから、土曜日の朝、子どもが傍らにいようがいまいがいつも通り新聞を読むので、当然のように子どもも新聞を読むのです。

 

中高生新聞を読み慣れれば、当然一般的な日刊紙も読めるようになるわけで、勉強の合間に日刊紙を広げたりしています。また、大事な記事は切り抜きをしてファイリングすることにしていますから、それを子どもにも読ませたりします。すると当然、お互いに共通の話題ができますから、「あの記事についてどう思う?」と、家族の会話は、政治に関するものや社会問題について、となります。

 

ちょっと長くなりましたので、ひとまずここらあたりで一旦切ります。

 

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2017/07/10

子どもを賢くしたいなら、日経電子版を読んではいけない

近頃はiPhoneやスマホなどのデジタル・デバイスで、新聞を読む人が増えています。もちろんKindleのような電子書籍リーダーを活用して書籍を読む人もたくさんいることでしょう。これに対しては、伝統的な紙媒体のほうがやはり良いとか、電子版のほうがずっと便利だとか、様々な賛否両論があります。

 

ちなみに、最近出た池上彰、佐藤優『僕らが毎日やっている最強の読み方』によりますと、池上彰さんは紙媒体派で、佐藤優さんは電子版派だそうです。要するに、どちらが良いのか結論は出ていません。一般論として言えば、どちらも使い比べてみて、自分にとって使いやすいものを選びなさい、となるはずです。

 

しかし、教育論となれば、話は全然違います。子供を持つ親であれば、断然、紙媒体のほうを優先させるべきなのです。なにも電子版を全然活用するなとは言いません。電子版だけで済まし、紙媒体を購読しないのではダメだということです。

 

紙媒体の新聞は、必ず定期購読してください。家の中に、「活字」が目につくように置かれて、子どもが日常的にそれらの刺激を受けることが肝心なのです。もし、自分の子どもを一流大学に進学させたいのであれば、新聞・雑誌の購読や、日々の読書は、もはや自分のためだけではないのだ、実は子どものためにもなるのだと、自覚することです。親が新聞や書籍を読んで、その「紙の媒体」を食卓や本棚に置いているから、子どももそれを読んでみようとなるのです。

 

もちろんこういう話は、お子さんを難関国立大学や早慶(文系)に進学させたいと願う親御さん限定の話です。理系進学の方針だったり、中堅大学で良いのであれば、お子さんにしっかりとした読書の習慣がなくても、合格は充分可能です。しかし、東大や一橋大学だとか、早稲田か慶應の法学部に行ってもらいたい、などと思われているようであれば、学校や塾に頼るというよりは、むしろ、お父様お母様ご自身が積極的に新聞や書籍をお読みになり、かつそれらの「活字」がいつでも子どもの目に入るように、家庭の文化的環境を整えなければなりません。だからKindleやiPadで、独りだけの読書をしてはいけないのです。

 

ここで、子どもの読書とか読解力について、もう少し背景を詳しく説明しておきましょう。

 

子どもの読解力は小学生のときにぐんぐん伸びていきますが、最初の「壁」は、小学校高学年くらいのときに来ます。要するに、小学校卒業レベルの日本語読解力の有無が問われているのですが、ここで文章を一応読める子どもと、まともに文章を読めない子どもに分岐してしまいます。これは、公立小学校や公立中学校では、非常に大きな問題なのですね。しかし、中学受験を乗り越えたお子さんであれば、この「壁」はなんなく乗り越えられているはずですので、ご安心ください。

 

皆さんにとっての大きな問題は次の段階です。現代の子ども達の多くは、普通、子ども向けのラノベのような、娯楽的な軽い物語を読むことになります。私たちは、そういった本の多種多様なタイトルだとか内容をよく把握しているわけではないのですが、たとえば、『黒魔女さんが通るのような作品群です。こういう物語を読むのは、それ自体は非常に結構なことなのです。問題は、ある程度の読解力を身につけた子どもであっても、ほとんどのお子さんは、子ども向けエンターテイメントの作品しか興味を示さないし、読まないということです。

 

学年があがれば、中高生向けあるいは大人向けの現代的エンターテイメントを読むようになるのかもしれません。人気があるのは、TVや映画になった作品群でしょうか。たとえば、東野圭吾『探偵ガリレオ』、有川浩『図書館戦争』、 三上延 『ビブリア古書堂の事件手帖』、坪田信貴『ビリギャル』といったあたりかな???

 

 

しかし、もう一歩レベルをあげ、読解力の必要とされる文章、つまり、いわゆる純文学だとか、新書本のような説明文的な文章を読みだそうとはしません。これが多数派のお子さんです。ここには、とてもつもなく大きくて高い壁があるようです。この壁を乗り越えられない限り、たとえ穴場とされる慶應大学SFC(藤沢キャンパス)にせよ、合格は困難でしょう。どうやったら、この壁を越えられるのか。

 

 

他方、多数派とは異なって、現代エンターテイメント作品でない活字を読むお子さんがいます。そういうお子さんが何をどうして読むのか。実は、ほとんど圧倒的多数は、親御さんやお姉さんお兄さんの蔵書だとか推薦本を読んでいるのです。もちろん、親御さんの蔵書を読むというのは、必ずしも純文学や哲学書を意味しているとは限りません。多くの場合、昔流行ったエンターテイメント作品、たとえば『少年探偵団』『ガラスの仮面』(少女漫画)、アガサ・クリスティーのミステリーみたいのを読む。あるいは、中学生でも、ドストエフスキーや太宰治あるいはドラッカーやアインシュタインを読んだりする場合もある、といったように様々です。

 

注目すべきは、親御さんの蔵書、つまりは家の本棚にある本を子どもは読みたくなるものなのだ、ということなのです。実は親御さんの読書体験こそが、自宅の本棚にある「紙の媒体」を通じて、お子さんに受け継がれていくのだという事実です

 

新聞を読むという習慣も同様です。親御さんが新聞を読んでいると、子どもも新聞を読む習慣を自然と身につけるようになる。逆に言えば、親が新聞を読まないのであれば、子どもも新聞は読みません。(もっとも、親御さんが『日本経済新聞』(紙媒体)を定期購読しているからといって、中学生のお子さんにそれを読ませようとは思わないでくださいね。内容が経済事情に偏っていますし、子どもが読むには退屈なはずです。つまり、日経を定期購読するだけでは、紙媒体だとしても、教育的には配慮が欠けているということになります)。

 

子供向けラノベやエンターテイメント作品を超えて、主体的にしっかり読まなくては読みこなせない活字を読むようになるのか否か。少なくとも文系に進学するつもりならば、決定的な重要性を持っています。そして、それを大きく左右しているのは、親御さんの主体的な家庭環境作りです。お子さんがラノベ読書から卒業できていないのに、読書活動を子ども任せにしているようでは、絶対にダメです。自分が面白いと思う本や記事を、子どもに積極的に伝えていく努力が不可欠なのです

 

 

 

以上、よろしくお願いします。

 

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