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2016/10/24

外国語(英語)を学ぶということは、母語(日本語)を再認識するということ

日栄社の高校初級用『英語長文』(宇井洋編)に興味深い英文がありましたので、ご紹介します。高校初級となっていますが、出来るお子さんなら中2後半から中3あたりで読めると思います。(本当は読めるー訳せるーだけでは不満ですが…つまり、実感を伴ってほしい。)

 

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大事なポイントを取り上げてみていきましょう。第2段落の英文。

 

However,the real importance of learning a foreign language goes even deeper.It makes us realize the relativity of our cultural or linguistic values.In this way,we come to understand that our way of looking at reality is not the only way,that our values may not the only ones.

 

要約すれば、「外国語を学ぶということは、私たちの文化的あるいは言語的な価値観を相対化するということ。つまり、私たちの現実の見方や価値観が唯一のものではない(かもしれない)ということを理解することなのだ」ということですね。

 

3段落目の途中から

As we learn about the new language,this new knowledge makes us discover more about our own language.

 

ここはそのまま訳すと、「私たちが新しい言語を学ぶにつれて、この新しい知識が私たちに、私たち自身の言語についてより多くのことを発見させてくれる→この新しい知識によって、私たちは私たち自身の言語について、より多くのことを発見する」となります。

 

もうその通り、そのまんまです。当塾の英語の授業ではまさに、「え、日本語ってこういうしくみになっていたの?」とか、「今までの自分の日本語の使い方と違う日本語表現をするって難しい!」とか、むしろ日本語について新しい発見を自覚することが多いでしょうし、そうであってほしい。英語を学ぶことで日本語を意識する。実際それができるようになると、英語力も伸びていきます。(これにはきちんとした根拠があります。後述します。)

 

念のための補足ですが、当英語塾で中1中2あたりから英語学習を始めた生徒さんには上記のことはしっかりと意識させていますので、特にご心配は不要です。ただ、中3以降から始められる場合は、上記のようなことを意識させられていないことがほとんどです。結果、変な癖がついている場合があり、矯正が必要になります。これについては、ちょっと興味深い話がありますので、次回はその話題につなげたいと思います。

 

 

 

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2016/10/19

英語ってそんなに重要?

久しぶりのブログ投稿となります。

 

残念なことに、日本人の多くが英語コンプレックス、西洋コンプレックスというものを抱えています。そして、大事なお子さんの大学受験を有利に進めるためには、まずは「英語」、という世間の風潮も後押しし、とにかく英語ができることが、お子さんの安定的な未来のために必要不可欠な要素であると信じて、目を血走らせて英語に取り組ませている方々が結構な数存在するはずです。

 

こんなことを言うと奇妙に思われる方が多いだろうと思いますが、日々英語を教えている私たちは、「英語ってそんなに重要?」と正直思っています。もちろん、それぞれの(それぞれに妥当な)志望大学に合格できるくらいの英語力は絶対不可欠です。ただ、それほどのことであれば、あまり目を血走らせなくても当塾で普通にコツコツとやっていけば十分可能です。(ただし中3高1から入塾で英語が遅れている場合は話は別。)

 

目を血走らせる方々は、一体どれほどの英語力を求めているのだろうか?と不思議な気もしますが、恐らく英語の世界というものを漠然としかおわかりになっていないので、必要以上に不安感を抱かれているのだろうとも推測しています。

 

さて、前置きはこれくらいにして本題に入りましょう。私たちの「英語ってそれほど重要?(反語)」という意見を強く後押ししてくださる新聞の記事をご紹介いたします。

 

一つ目は、2000年にノーベル化学賞を受賞なさった白川英樹氏の文章です。2016年2月18日読売新聞に掲載されたものです。

 

 

 

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(前半部一部省略)(私の判断で重要と思われる個所に下線をつけています。)

 

・・・ノーベル賞受賞発表直後のメディアの取材攻勢の中で、外国の経済紙記者から意表をつく質問があったからだ。「アジアで日本人のノーベル受賞者が多いのはなぜか?」一瞬考え、「日本では日本語で書かれた教科書を使い、日本語で学んでいるからではないか。」と答えた。

 

 アジアでは英語の教科書を使い、英語で授業をする大学が少なくないと聞く。もちろん、日本の大学でも英語の教科書を使う場合はあるが、英語による授業は極めて限られている。

 

 この時の記者の質問に正しく答えられたかどうかについて自信がなく、私の中で科学と言語の関係性はずっと課題になっていた。

 

 この課題に一つのヒントを与えてくれたのが、作家の丸谷才一である。

 

 丸谷氏は「考えるための道具としての日本語」と題する論評で、「言語には伝達の道具という局面のほかに、思考の道具という性格がある。人間は言葉を使うことができるからものが考えられる」と書いた。

 

 私はこの主張に意を強くし02年、「月刊国語教育研究」の巻頭言で、日本語で科学を学べることの重要性を論じた。

 

 これまで日本の科学者たちは日本語を思考の道具として使ってきた。江戸時代から明治維新を経て、海外から日本に伝わってきた科学や文化は、先人たちが外国語の文献と取り組み、思考を巡らせて翻訳してきた言葉と概念によって、今の時代へとつながってきている。その恩恵を私たちは受けてきたのだ。

 

 日本人の母国語である日本語で表現できなければ、英語などの外国語できちんと科学を理解したり表現できたりするはずがない。日本語で論理的に考えられない人は、英語でも論理的に考えられないだろう。

 

 京都大学の山極寿一学長は、グローバル人材の育成について、英語は習熟する必要はあるが道具の一つでしかなく、大学生活で重要なのは考える力を身につけることで、それには日本語、つまりは母国語で考えるのが一番だと述べている。

 

 英語はコミュニケーション言語として大事であり、学ばなくてよいということではない。だが私自身、必要に迫られて学んだ外国語によるよりも、長年使いこなしてきた母国語の方がより核心に迫った理解ができるし、より発想の自由度が大きいと感じてきた。(一部残して抜粋終わり)

 

 

これとほぼ同じ意見のコラムを最近東京新聞で発見しまして感動しましたので、挙げておきます。元外務省主任分析官であり、現在は作家、また、同志社大学客員教授という肩書をお持ちの佐藤優(まさる)氏の文章です。

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佐藤氏は「現在日本の大学でも英語を母語としない日本人教師が、英語に堪能でない学生に専門科目を英語で講義をするという滑稽な事態に、即刻終止符を打った方がいい」とおっしゃっています。確かに、想像するだけで滑稽で吹き出してしまいます。当のご本人たちは非常に真剣に、真面目に取り組んでいるのだろうな、と想像すれば想像するほど滑稽で、気の毒でもあります。

 

氏の主張のよれば、「日本語で情報を伝達する場合と比べて教師は3割程度しか情報を伝達できない。学生の理解度は日本語と比べて2割。両者を掛け合わせると、日本語で講義するのに比べてなんと6%しか情報が伝わっていない」ということになるそうです。非常に納得できます。

 

「日本人は欧米の学問を土着化させ、日本語で専門科目の講義をできていることに誇りを持つべきだ。英語授業は教育水準の低下を招く亡国の政策だ」と言い切っています。元々高い英語教育を提供している同志社大学ご出身の方にこうおっしゃっていただけるのは、非常に気持ちがいいですし、心強いですね。

 

 

最近は日本国内において、学校も企業もやれ「グローバルグローバル」とかまびすしいですが、一体全体グローバルってどういうことでしょうか?英語を勉強して、英語ができるようになればグローバルということになるのでしょうか?では英語ができなければグローバルではないのでしょうか?京都大学の山極学長のお言葉を拝借するならば、自らの言葉で考える力なくして何がグローバルか、です。

 

 

私たちが日々生徒の皆さんと接しておりまして感じることは、何にもまして、母語である日本語をあまりにも雑に、無自覚に使っているということです。母語である日本語の運用能力が大したことないのに、どうして英語力をそれ以上に向上させることができるでしょうか?母語を使って論理的に自分の意見を表明できないものが英語でならできる、ということがあり得るでしょうか?少し奇妙にも思われるかもしれませんが、私たちは英語を学ぶことを通して実は、皆さんの母語である日本語の運用能力を高めようとしているのだと、日々痛切に感じています。

 

 

今日はここまで。

 

 

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