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2017/08/10

プロ講師には何が見えているか―前章

我々もお陰様でかれこれ20年、この業界で仕事をさせていただいています。そのほとんどの期間が、子ども達への個別指導、特にここ8~9年は完全なる1:1のマンツーマンでお子さん一人一人と密に関わって、英語の指導をしています。

 

 

一度に何十人も収容するような大手予備校の講師の方々と比べれば、関わった生徒の数は少ないでしょうが、どれだけ深く関わったか、その深さ・密度で見れば、全く比較のしようもないほどに違いがあるだろうと自負しています。また、同じ個別指導の経験者であったとしても、経験年数や指導スキルのみならず、その間に意識的に磨いてきた、人を見る洞察力という点で、他に引けを取るものではないと、自負しております。

 

 

大変恐縮なのですが、具体例を挙げてみましょう。当塾の生徒から聞いた話です。

 

 

その生徒は、ある有名予備校の高1国語の講習を受けていたのですが、わずか数か月でやめてしまいました。理由は、「講師の鈍感さに嫌気が差したから」だそうです。

 

 

その生徒は、非常にじっくりと物事を考える、真面目な生徒です。また、中学受験時代より、国語の問題は、まず本文をじっくりと読む、問題は根拠を持って答える、ということを常に意識して取り組んでいたそうです。(むしろじっくり考えすぎて時間が足りなくなるようなタイプだったそうです。)ですから、その塾においても、じっくりと考えながら国語の問題を解いて、臨んでいたそうです。(予習が原則とのこと。)

 

 

 

その予備校の先生は、毎回授業後に感想を書かせるそうですが、特に書くこともなく困ったこの生徒は、「問題はじっくりと考えながら解くことが大切だと思った。」と、自分にとっては既に当たり前になっていることを書いて、提出したそうです。その後の授業で、この講師は、この生徒のこのコメントを読み上げ、この生徒をじっと見ながら、「そうですよ~、皆さんは、適当に解いたらいいと思っているかもしれませんが、問題はじっくりと読んで、じっくりと考えることが大切なんですよ~」と、あたかも「あなた、今までそういったことを考えていなかったんですね。」とでも言わんばかりのいやらしさで、言われたそうです。

 

実は、このクラスは、(高1国語ということもあってか)一クラス3~6人ほどしか在籍していなかったとのこと。ですから、自分の顔を見ながら言われていることは、自分に言われているのだと、強く感じたそうです。

 

この生徒にとって、「じっくり読んで考えるなんて、当たり前、既に実行中」のことですし、毎回そのようにきちんと学習していますから、「それに気づいていないの?」と、この講師の態度は非常に癇に障る言動だったようです。

 

 

もう一つの例ですが、実は同じ生徒からの話です。集団式予備校の先生はこんなものか、と嫌気がさしたこの生徒は、映像授業で国語の講習を受けることにしたようです。そこでもまた、面白いことが起こったそうです。

 

 

映像授業を受けようとすると、うまく起動しなかったようで、大学生のアルバイトスタッフにその旨伝えたそうです。「ちょっと待っててください。」という言葉をのこしてそのアルバイトはどこかへ行ってしまいました。「やんなっちゃうなあ、早くしてよ~。」と心の中でつぶやきながら待っていると、別のアルバイトが何かの用事でやってきて、「あれ?勉強しないの~?」と声をかけてきたそうです。この瞬間、この生徒は、プチっときたそうです。私でもそうなると思います。「あれ?勉強しないの~?」ではなく、「何か(問題)ありましたか?」でしょ?(まあ、学生アルバイトなのですから、あまり強く責めることはできません。そんなものじゃないでしょうか。)

 

 

前者の例も後者の例も、彼らの共通性を見出すことができます。それは、彼らは「全体」しか見(え)ていないということ。たとえ目の前に一個の特有な「個体」が存在していても、彼らにとってそれは、全体を形作っている同じ形をした、ただの「一粒」。だから、本来一人一人、個別の特性をもっているはずの「個」を前にしても、「全体を見る目」「自分の固定観念」を持ってしか対処できないし、しない、ということです。

 

 

(結局、この生徒は、自分が、「顔の見えないその他大勢」と同じように見られ、扱われることに嫌気が差し、国語の勉強は自分ですることにしたそうです。私どもは、評判のよい参考書や問題集を紹介し、勉強の仕方などをアドバイスしています。)

 

 

 

私たちにとって、上記のような例はにわかには信じ難い話です。なぜなら、目の前にいる生徒の学力を効果的・効率的に上げるためには、「その生徒自身をよく知る」ということが、初めの一歩であり、大前提としていることだからです。それを抜きに、質の高い指導などあり得ないのです。

 

 

私どもでは、まず親御様とご本人にいらしていただき、面談をします。そこでいろいろなお話をしたり、伺ったりしますが、それは、どんな親御様がどんな風に育ててこられたのか、また、お子さんは、どんな風に勉強してきたのか、どんなことが好きなのか、といったような、その子その子の「特性」を探り当てているのです。もちろん、一度だけで全てがわかるわけではありません。毎回毎回の授業で、質疑応答する中で、「うん、なるほど、この子はこういったものの考え方をするのか。」とか、「こういう場面でこうなる傾向があるんだね。」といったように、様々な分析を蓄積しているのです。そういった分析の蓄積があるからこそ、「この子はこういう面が弱い。ここをこう強化していかなければ、目標地点に近づけない。」といった個別具体的な将来像や、効果的戦略を立てることができるのです。

 

 

例えていうなれば、大手予備校等は、大きな一つの山を外側から見ているのですね。山の中に分け入って入り、一体個々の動植物がどういう状態で存在しているのか、といったことには関心はないんです。植物が多少枯れようが、動物が多少死に絶えようが、そういったことは大事な問題ではないんですね。山が山の形を保ち、そこにありさえすればそれでよいのです。

 

 

一方、私どもは山の中に根差している、一本一本の木や植物を見ています。「ああ、この植物は、土に栄養があまりないね、もう少し土に養分を与えるときっと綺麗な花が咲くね。」とか、「ああこの木はなかなか立派に見えるけど、葉っぱがたくさん枯れ始めているね、なんとかしなきゃ。」とか、そんな風に、一人一人の生徒たちを観察して、一本一本が今よりよりよい状態になることを一つの楽しみ・やりがいにして、日々を生きています。

 

つづく

 

 

 

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シリウス英語個別指導塾 by 東大式個別ゼミ
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2017/08/02

国語力・教養力をいかにつけるか。Part2

前回は、国語力を身に着けるための条件である「語彙力」は、家庭や読書によって育まれるということを書きました。そして、親が自分の中高生時代に感銘を受けた本を勧めたり、自分が新聞を楽しみながら読む姿を子どもに見せることで、子どもも自然に読書や新聞など活字に興味を持つようになる、というお話をしました。お互いに共通の話題を持つことで、家族の会話は自然と、社会問題や政治の話題にもなるのだ、というところまででした。

 

 

例えば我が家では、食事をしながら、あるいは、テレビを見ながら、原発問題、沖縄基地問題、安保法制、共謀罪、トランプ米大統領の英語の分かりやすさ(笑)etc…と国内外の様々なニュースについて、語り合います。誤解してほしくないのですが、こういったことは、何かの目的のためにやっているのではなく、そういう問題について、考えたり話したりすることが楽しいから,あるいはやらずにはおれないから、やっている、ということです。

 

もちろん、実益にもつながります。例えば、学校に優秀な社会科の先生がいたりすると、定期テストにおいても、「日本のエネルギー問題についてあなたの意見を書きなさい。」だとか、「TPP問題についてあなたの意見を書きなさい」等、自分の意見を記述させるようなよい問題を出す場合があるようです。多くの生徒が苦手とするこういった問題も、普段から新聞を読み、ニュースを見ながら、家庭内においてあれこれと話をして、自分の意見を持っていれば、全く楽ちんなイタダキ問題となるからです。

 

そういえば、英検の二次面接の練習を生徒の皆さんとすることがありますが、この練習をするときに、ある意味で、生徒の皆さんの日常生活の一端が顕わになりますね。英検の二次面接では、「現在~のようなことが言われているが、その意見についてあなたはどう思いますか?」的な質問がされます。もちろん、簡単な英文で簡単に答えればよいので、ある種のお子さんにとってそれほど難しいことではないはずですが、(←英検の面接の採点は甘いので、ポイントがずれた答えでも適当に何か英語で答えればなんとかなります(笑))、全く固まってしまって、手も足も出ない、というお子さんも時々います。こういうのはまさに、「日常生活でいかに周囲の問題に関心を持ち、自分の意見を持てているか」が問われます。ある意味で、付け刃では対策できないという言い方もできるかもしれません。

 

そういう意味では、家庭内における会話というのは、語彙力を増やすというよりはむしろ、「教養力だとか考える力」を養うことの方に重点があるのかもしれないと思います。

 

多くの方がいまだに、語彙力だとか思考力といったものは、机の上で一生懸命勉強して育むものだ、と誤解しているんですね。多分違うと思いますよ。もちろん、机上の勉強によっても育まれますけれど、日常生活の何気ない習慣から少しずつ蓄積されるものが大きいと思います。だから、「家庭力」「親力」が問われているのです。

 

『お母さんが教える国語』(ダイヤモンド社)という本の著者、早川尚子さんも書かれていますけれど、まさに国語というのは、「その人の生活、生きざまを背負っている、その人の生活そのものを映し出している」のだと思います。

 

ここで一つ、生活の中での「私と新聞とわが子」の関わり方の例を挙げておきます。

 

2年ほど前、東京新聞の読者の投稿欄で見つけた素敵なお話です。何年も続けている新聞の切り抜きファイルの中に眠らせている記事ですが、私の心の中には鮮明に刻まれていて、事あるごとに思い出される、ある親子の「物語」です。まずは、記事をそのまま転記してご紹介しましょう。

 

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「引きこもりをやめた息子」(東京都小金井市 主婦 67歳)

 

 

 

 高校を卒業して15年引きこもっていた息子が、仕事を見つけ働き始めた。父親の死をきっかけに、母親の私の生活を心配し、自分の年齢を考え、NPOの人たちの助言を得て、自らハローワークへ出向いたのだ。

 

 仕事は清掃業務。我が家から十分で行ける某大学の街路樹の落ち葉をかき集めることだと聞いた。人間関係が苦手な息子にとって、自然が相手の仕事は良かったと私は思った。

 

 息子が働き始めて一週間。私用で私は大学に出かけることになった。学生の往来の中、息子は褪せたグリーンの作業着に軍手をはめ、ざわざわとふり落ちる葉を竹箒で懸命にかき集めていた。そばにはリヤカーがあった。集めた落ち葉を積むためだ。

 

 この日は風の強い日で、掃いても掃いても、かき集めてもかき集めても、風は容赦なく葉を撒き散らした。息子は風が少し弱まった時を見計らって、バサバサッと集めた葉を入れると、リヤカーを引いて行ってしまった。息子の背中が今の彼の年齢より、ずっと年取ったように見えて、私は胸に突き上げるものを感じた。

 

 しかし、どんな仕事を選んでも、働くということは、また大きく言えば、生きるということはこういうことだ。今の息子には、そのことを身をもって知ってほしい。リヤカーを引いて行く息子の後ろ姿に、今の時間を、今日だけを考え頑張ってほしいと願った。その積み重ねこそが、明日につながるのだから。

 

 私にできることはおいしい夕飯を作って息子の帰りを待つこと。そう自分に言い聞かせた。

 

(2015.11.19  東京新聞発言欄より)

引きこもりやめた息子(2015年」)

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とても短い文章ですが、皆さんはどうお読みになられましたか?私はまず、「この人、文章がうまいなあ」と思いました。まるで超短編小説を読んでいるような感覚すらあり、ものすごく引き込まれて読みました。ただの活字でしかないはずなのに、その奥に確かな「人間の物語」がある。確かに血の流れている人間が、そこに生きている。

 

箒を手にする息子さんの寡黙な姿。息子さんをからかうように舞い上がる葉っぱ。その様子を黙って見守る、何層にも重なる母親の複雑な思い。そして、「しかし」という接続詞に、たったこの3文字に、母としての感傷を振り切っての、強い決意が、表明されている。

 

私は、この「しかし」という言葉に、ものすごく胸が熱くなります。なぜだかわかりますか?…と余談はここらあたりにして

 

私はこの記事を読んですぐ、わが子にも読ませたいと思いました。そして、質問してみました。

「このお母さんの、この時の思いというのは、大きく三つあると思うのだけれど、どういう思いだと思う?また、どこからそう思う?」

 

(私の想定する答えが「正解」かどうかはわかりません。それはこのお母様にしかわかりえないこと。しかし少なくとも、この文章から読み取れる「母の思い」というのは少なくとも3つあるはずです。恐らく、国語の問題として出されても、それが答えになるだろうと思います。)

 

 

…とまあ、こんなやり取りをして遊んでいます。こういうやり取りが、家族の会話の日常として習慣化していれば、自然と「考える力」「言語力」というのは、ついてくるはずです。

 

学ぶ材料、子どもの思考力を鍛える材料は、身の回りに無数にあります。それに気づくか気づかないか。その違いだと思います。一旦火がつけば、ある種のテレビを見ても、学べることはたくさんあります。よく「うちはテレビを一切見ない」なんてご家庭もあるようですが、「うちは結構テレビも見ます。」「見方」が大事なんだと思います。またおいおいご紹介していきます。

 

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2017/07/27

国語力や教養力をいかにつけるか。

先日、ある生徒(高校生)に「英語力をつけるためには、何をしたらよいと思う?」と質問してみました。このブログでは既に散々書いてきたことですので、レギュラー読者の方々ならば既にその正解をご存知かとは思いますが、恐らく、多くの生徒たちがまだまだ大きな勘違いをしていると思われますので、聞いてみたわけです。

 

案の定、わかっていない部分があって、「え~っと、文法を勉強して、単語を勉強してー、長文の日本語訳をしっかりとできるようにすること・・・」と弱々しく答えてくれました。もちろん、この生徒が挙げてくれたことは、英語力を身につける上で非常に重要な要素ではあるのですが、これは必要最低条件でしかないですね。

 

もちろん、稚拙な内容でよいから英語をペラペラ話せることが英語力だと信じ込んでいる人なら、単語とちょっとした文法を勉強をして、あとは実践演習だ!という考え方もあるかもしれませんが、一流大学を目指して「英語力」といえば、それは「長文読解力」ということにつながります。

 

生徒の皆さんに長文読解をさせていると、ある英文を文法的には正しい日本語に訳せても、それが結局どういうことを言っているのか、その本質的な意味がわからない、自分の言葉で言い換えたり、説明したりできない、という中高生は多くいるということを痛感します。さらに残念なのは、一応訳せてはいるので、自分ではわかったつもりになっていたりします。残念ながらそういう状態では、英語ができる、とは言えないし、早慶や一流国立大学の文系レベルの英語問題にはまず太刀打ちできない、ということになります。

 

ですから、既に繰り返し書いてきていますように、英語力を伸ばしたければ、言語能力や国語力、教養力(=背景知識)といった力を、同時に引き上げることが必要条件となるのです。

 

最近、古本屋で見つけて立ち読みした際にひどく気に入ってしまい、購入した本があります。『本当に身につく国語の基礎力』(野田眞吾 ごま書房新社)という本です。kokugoryokuその中に、国語力を身に着けるために必要な事の一つとして「語彙力を伸ばそう」ということが書かれていました。そして、語彙力を伸ばす3つの方法として、

 

1.読書によって増やす。

2.大人との会話によって増やす。

3.学習によって増やす。

 

という方法が挙げられていました。ここで注目すべきは、やはり、1.と2.の項目です。

 

私たちの経験から、英語がよく出来るようになるお子さんは、共通してよく本(=文字)を読んでいます。また、口の立つ子が多い。(←これは例外がありますが。)つまり、いつも言葉の近くにいる、ということです。だから、言葉をあっち持って行ったりこっちに持ってきたり、あんな風に言ったものをこんな風に言い換えたりと、あれこれこねくり回すのが苦痛じゃないし、困難でもない。数学が得意な子はよく「数」に馴染んでいるからですね。100という数字を見たら、そこからものすごくいろんなことが思い浮かぶ。同じく英語や国語が得意な子はよく「言葉」に馴染んでいるから。一つの「言葉」の奥に、ものすごくいろいろな世界観を無意識に広げているのですね。

 

 

今のお子さんの多くは、本をあまり読まないですね。特に、まともな本をほとんど読んでいない。しかしそれは子どもたちが読まないのではなく、周囲の大人(親)が読んでいないからなのではないか、と私は密かに疑っています。また、普段、お子さんとどんな会話をしていますか?稚拙な会話ばかりでは、子どもの語彙力を増強させることはできません。

 

前回ブログで書きました(半ばお願いした)ように、お子さんだけにいくら「本を読め、新聞を読め」といっても、それは無理な話。かつて自分が中高生時代に読んで感銘を受けた本は、わが子にも読んでほしい、読ませたい、と思うのが自然な親心ではないかと、私たちは思うのです。

 

親子で同じ本を読み、それについて、感想を言い合うとか、同じ新聞を読みお互いに意見を交わしあうという「日常」が、お子さんの語彙力を育み、思考力(言語能力・国語力・知性)を育むのです。

 

例えば、私(母)は『ドリトル先生』シリーズも好きなお話の一つなのですが、わが子が小学校低学年の頃に勧めました。子どももとても気に入ってくれ、それがきっかけで動物への関心も以前より深まったように感じます。中学生になった際には、「そろそろドストエフスキーなんかも読んでみたら?」「夏目漱石も読んでおくべきだよね。」などと勧め、『罪と罰』だとか『三四郎』だとか、読んでくれました。

 

それから、新聞ですね。新聞に関しても、親御さんが楽しそうに、あるいは、熱心に新聞を読んでいれば、子どももまた「一体(新聞には)何を書いているんだろう?」と好奇心をもって覗いてくるものです。(ただ、これはお子さんが小さいうちの方がそうなりやすいのかもしれませんね。小さいころの方が好奇心が旺盛な場合が多いですから。)

 

これもまた我が家の例ですが、当時わが子が小学校2年生の時でした。私が新聞を読んでいると子どもものぞき込んできて、かといってまだ大人の新聞を読めるはずもありませんが、広告に書かれている文章だとか絵を見て、(その時は確か、和歌山の梅干しの広告だったと記憶しているのですが)、それを見ながら「ねえ、新聞って面白いねえ」と言ってきました。「面白いと思う?読んでみたい?」ときくと「うん!」と答えてくれたので、即座に「朝日小学生新聞」を購読し始めました。

 

もちろん、小学生新聞を取り始めたからといって、子どもがすぐに毎日、隅から隅まで新聞に目を通すとは限りません。全く読まない日もあるでしょうし、あまり読まない日が、1か月、2か月と続いてしまう事もあるかも知れません。しかし、そこで親御さんが、「もったいないから」といって安易に新聞購読を止めるべきではないと思います。我が家では小学校卒業まで取り続け、その後中高生新聞に切り替えました。今どういう状態になっているかといいますと…

 

朝日中高生新聞は週刊ですので、毎週土曜日の朝に配達されます。これ、ポイントですよね。土曜日といえば、学校や部活がある人もいるでしょうが、休みの中高生も多いはず。だから、土曜日の朝、朝食を食べた後は、家族で新聞タイムです。実際、我が家はそういう風景がここ何年か続いています。

 

 

それというのも、私自身の毎朝の楽しみが、新聞を読むことで、朝食を食べたらひとまず(片付けそっちのけで)新聞に目を通す、という動きが体に染みついてしまっています。ですから、土曜日の朝、子どもが傍らにいようがいまいがいつも通り新聞を読むので、当然のように子どもも新聞を読むのです。

 

中高生新聞を読み慣れれば、当然一般的な日刊紙も読めるようになるわけで、勉強の合間に日刊紙を広げたりしています。また、大事な記事は切り抜きをしてファイリングすることにしていますから、それを子どもにも読ませたりします。すると当然、お互いに共通の話題ができますから、「あの記事についてどう思う?」と、家族の会話は、政治に関するものや社会問題について、となります。

 

ちょっと長くなりましたので、ひとまずここらあたりで一旦切ります。

 

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2017/07/10

子どもを賢くしたいなら、日経電子版を読んではいけない

近頃はiPhoneやスマホなどのデジタル・デバイスで、新聞を読む人が増えています。もちろんKindleのような電子書籍リーダーを活用して書籍を読む人もたくさんいることでしょう。これに対しては、伝統的な紙媒体のほうがやはり良いとか、電子版のほうがずっと便利だとか、様々な賛否両論があります。

 

ちなみに、最近出た池上彰、佐藤優『僕らが毎日やっている最強の読み方』によりますと、池上彰さんは紙媒体派で、佐藤優さんは電子版派だそうです。要するに、どちらが良いのか結論は出ていません。一般論として言えば、どちらも使い比べてみて、自分にとって使いやすいものを選びなさい、となるはずです。

 

しかし、教育論となれば、話は全然違います。子供を持つ親であれば、断然、紙媒体のほうを優先させるべきなのです。なにも電子版を全然活用するなとは言いません。電子版だけで済まし、紙媒体を購読しないのではダメだということです。

 

紙媒体の新聞は、必ず定期購読してください。家の中に、「活字」が目につくように置かれて、子どもが日常的にそれらの刺激を受けることが肝心なのです。もし、自分の子どもを一流大学に進学させたいのであれば、新聞・雑誌の購読や、日々の読書は、もはや自分のためだけではないのだ、実は子どものためにもなるのだと、自覚することです。親が新聞や書籍を読んで、その「紙の媒体」を食卓や本棚に置いているから、子どももそれを読んでみようとなるのです。

 

もちろんこういう話は、お子さんを難関国立大学や早慶(文系)に進学させたいと願う親御さん限定の話です。理系進学の方針だったり、中堅大学で良いのであれば、お子さんにしっかりとした読書の習慣がなくても、合格は充分可能です。しかし、東大や一橋大学だとか、早稲田か慶應の法学部に行ってもらいたい、などと思われているようであれば、学校や塾に頼るというよりは、むしろ、お父様お母様ご自身が積極的に新聞や書籍をお読みになり、かつそれらの「活字」がいつでも子どもの目に入るように、家庭の文化的環境を整えなければなりません。だからKindleやiPadで、独りだけの読書をしてはいけないのです。

 

ここで、子どもの読書とか読解力について、もう少し背景を詳しく説明しておきましょう。

 

子どもの読解力は小学生のときにぐんぐん伸びていきますが、最初の「壁」は、小学校高学年くらいのときに来ます。要するに、小学校卒業レベルの日本語読解力の有無が問われているのですが、ここで文章を一応読める子どもと、まともに文章を読めない子どもに分岐してしまいます。これは、公立小学校や公立中学校では、非常に大きな問題なのですね。しかし、中学受験を乗り越えたお子さんであれば、この「壁」はなんなく乗り越えられているはずですので、ご安心ください。

 

皆さんにとっての大きな問題は次の段階です。現代の子ども達の多くは、普通、子ども向けのラノベのような、娯楽的な軽い物語を読むことになります。私たちは、そういった本の多種多様なタイトルだとか内容をよく把握しているわけではないのですが、たとえば、『黒魔女さんが通るのような作品群です。こういう物語を読むのは、それ自体は非常に結構なことなのです。問題は、ある程度の読解力を身につけた子どもであっても、ほとんどのお子さんは、子ども向けエンターテイメントの作品しか興味を示さないし、読まないということです。

 

学年があがれば、中高生向けあるいは大人向けの現代的エンターテイメントを読むようになるのかもしれません。人気があるのは、TVや映画になった作品群でしょうか。たとえば、東野圭吾『探偵ガリレオ』、有川浩『図書館戦争』、 三上延 『ビブリア古書堂の事件手帖』、坪田信貴『ビリギャル』といったあたりかな???

 

 

しかし、もう一歩レベルをあげ、読解力の必要とされる文章、つまり、いわゆる純文学だとか、新書本のような説明文的な文章を読みだそうとはしません。これが多数派のお子さんです。ここには、とてもつもなく大きくて高い壁があるようです。この壁を乗り越えられない限り、たとえ穴場とされる慶應大学SFC(藤沢キャンパス)にせよ、合格は困難でしょう。どうやったら、この壁を越えられるのか。

 

 

他方、多数派とは異なって、現代エンターテイメント作品でない活字を読むお子さんがいます。そういうお子さんが何をどうして読むのか。実は、ほとんど圧倒的多数は、親御さんやお姉さんお兄さんの蔵書だとか推薦本を読んでいるのです。もちろん、親御さんの蔵書を読むというのは、必ずしも純文学や哲学書を意味しているとは限りません。多くの場合、昔流行ったエンターテイメント作品、たとえば『少年探偵団』『ガラスの仮面』(少女漫画)、アガサ・クリスティーのミステリーみたいのを読む。あるいは、中学生でも、ドストエフスキーや太宰治あるいはドラッカーやアインシュタインを読んだりする場合もある、といったように様々です。

 

注目すべきは、親御さんの蔵書、つまりは家の本棚にある本を子どもは読みたくなるものなのだ、ということなのです。実は親御さんの読書体験こそが、自宅の本棚にある「紙の媒体」を通じて、お子さんに受け継がれていくのだという事実です

 

新聞を読むという習慣も同様です。親御さんが新聞を読んでいると、子どもも新聞を読む習慣を自然と身につけるようになる。逆に言えば、親が新聞を読まないのであれば、子どもも新聞は読みません。(もっとも、親御さんが『日本経済新聞』(紙媒体)を定期購読しているからといって、中学生のお子さんにそれを読ませようとは思わないでくださいね。内容が経済事情に偏っていますし、子どもが読むには退屈なはずです。つまり、日経を定期購読するだけでは、紙媒体だとしても、教育的には配慮が欠けているということになります)。

 

子供向けラノベやエンターテイメント作品を超えて、主体的にしっかり読まなくては読みこなせない活字を読むようになるのか否か。少なくとも文系に進学するつもりならば、決定的な重要性を持っています。そして、それを大きく左右しているのは、親御さんの主体的な家庭環境作りです。お子さんがラノベ読書から卒業できていないのに、読書活動を子ども任せにしているようでは、絶対にダメです。自分が面白いと思う本や記事を、子どもに積極的に伝えていく努力が不可欠なのです

 

 

 

以上、よろしくお願いします。

 

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2017/06/21

進路指導について

高校生くらいになると、生徒の皆さん(と親御さん)には、それぞれ行けたらいいなという具体的な志望校が出てくる方が多いかと思います。ただ、客観的にみると、その志望校の選び方が非常に非合理的な場合があります。

 

例えば、本はほとんど読んでいないのにもかかわらず、国立大学の文学部を志望したり、どう見ても国語が苦手で数学が得意なのに、外国語系の大学を志望したりと、自分の得意不得意と関係なく、志望校を決めてしまうケースがあります。

 

もちろん、得意不得意に関係なく、絶対にこの道を進みたいのだ!という強い信念がある場合は、とことんその道を追及するという選択肢もあり得るとは思います。しかし、多くの場合は、そこまでの強い意志があるわけでもなく、ただ漠然と、あるいは、学校の先生の全体に向けた話を自分にそのまま当てはめて、「そうしよう」と決め込むケースが多いように感じます。

 

 

大手予備校では、チューターと称する現役の大学生(あるいは経験の浅いスタッフ)等が受験生の学習や進路に関するアドバイスをすることが多いようです。本人の希望を聞きながら、模試の成績表にある数字(偏差値)と突き合わせて、アドバイスをなさるのでしょう。しかし、彼らにとって「あなた」はone of themでしかありません。また、直接「あなた」を教えているわけではないので、「あなた」がどんな強みや弱みを持っているのかといったことを、肌感覚では全く分かっていないはずです。私たちからすれば、それでどうやって「あなた」に対して本当に実のある有益なアドバイスができるのか、全く不可解です。

 

 

生徒や保護者のみなさんには、どうぞご自分たちに耳触りのよい意見ばかりを鵜呑みにしないように、お願いしたいところです。

 

ここで、私どもの経験のいくつかから、残念な例を挙げておきましょう。

(その前に、注を入れなければいけませんが、結果として、本当に残念な例というわけでもないところが、皮肉と言えば皮肉です。つまりは、本人の本来持っている本質にぴったりの、納まるべきところに納まったという見方もできるからです。)

 

 

ある生徒さんは、高2の段階で、英語と数学がなかなかの好成績(河合塾模試偏差値70越え)でした。私たちも、早稲田や慶應の理工学部あるいは東工大に進学してくれるものだとばかり思っていたわけですが、ある時突然、文学部を狙うと言い出しました。最初は早稲田の文化構想学部でしたが、次第に東大の文学部志望だと言い張るのです。就職に不利な文学部系の学部を、雑誌・新書本も読まないし、論説文や評論文にも縁がない生徒が目指すというのは、信じらない選択です。やむを得ず、池上彰から読んでみるようにアドバイスしましたが、文学部志望の高校生が池上彰の一般向け入門書の読書から始めなくてはならないのは情けない話です。(注意、文学部というのは、いわゆる文学研究の他に、哲学、歴史学、社会学等の研究をする学部です。高校の科目で言えば、国語と社会の延長上にあるとも言えます)。

 

私どもは、折に触れて、理系の方が向いているのでは?というお話をし続けましたが、絶対に文学部だという主張を曲げませんでした。そして最終的には、ここにいても埒があかないと思ったのでしょうか、とうとう当塾を去っていきました。折を見て、受験の結果をお伺いしましたが、案の定、私たちの予想通りの結果となっていました。もっとも、文学部を不合格だったのですから、就職を考えれば不幸中の幸いとみなすべきなのでしょう。。。

 

(ちなみに私たちが私立文系を薦めていた中田君(現、早稲田大学政治学科)は、高校2-3年の段階では、イタリアの政治哲学者マキャベリ『君主論』や米国文学の祖エドガ・アラン・ポー『詩集』を読んでいましたし、当塾では彼の趣味(=イタリア近代オペラ)に合わせてNew York Timesのオペラ批評を読むこともありました。文系の一流大学志望者は、そういう感じになるのです)。

 

もう一つの例として、これもまた、英語と数学はまずまず成績の良いお子さん。特に数学が非常によくできて、私たちは東大でも狙えるのでは?と一時期は本気で進めていた時期もあったくらいのお子さんです。しかし本人は数Ⅲをやり切る自信がないとのことで、文系志望に変更してしまいました。このお子さんは、国語が苦手で、期末テストで全部文章を読みきれないくらいですし、もちろん、本だとか新聞はほとんど読まず、様々な世界情勢、社会問題等への関心もありませんでした。それなのに、文系志望にしてしまいました。こういうお子さんが早慶以上の一流大学の文系に進むというのは、基本的には無理筋なのです。

 

 

私たちとの共通の目標がなくなってしまい、このお子さんも当塾を去っていきました。結果として進まれた大学は、なるほどそうなったのか…というものでした。(このお子さんの場合、数学と英語がよくできるのですから、どうしても文系だというのなら、数学受験で慶應商学部を目指せばよかったわけですが。)

 

 

上記の二つの例は、客観的には非常にもったいない。もっと合理的な志望校選びをすれば、私どもがお勧めした大学合格も夢ではなかったはずですが、そういう風にはしたくなかったのでしょうかね。個人の問題ですから、それ以上申し上げることはありません。

 

 

このパターンのお子さんたちに欠如しているのは、「合理的な考え方」だとか「根拠」です。英語と数学が得意ならそれを活かせる進学先を選択するのがベスト。どうしても違う方向に進みたいのなら、その為に必要なことを全力で努力する。この二つの「当たり前」をどちらも無視してしまっては、掴めるはずのものも掴めない、当たり前のことです。

 

 

上記の例から、勘の良い方なら既に読み取っていただけていると思いますが、当塾から受験をして合格を勝ち取った生徒たちは全員が成功例。実は、当塾に最後まで残って受験を迎えたお子さんのほとんどが、第一志望に合格しているという実績があります。

 

 

当たり前と言えば当たり前のことなのです。私たちは、お子さんと1:1で向き合い、対話方式の授業を通して密に接しているわけですから、それぞれのお子さんの強みと弱み、持っている能力、日々の暮らし方生き方等が、手に取るように伝わってきています。ですから、「この子はこういう面は弱いけれどこういう力がある。この大学のこういった学部はどうだろうか?」と、どんどんイメージがわいてきます。そういうイメージは、密に接し、日々の授業での対話やその前後の会話を通して、お子さん一人一人をよく見ているからこそ湧いてくるものです。

 

 

だからこそ、ご本人にとってより誠実な、よりリアルな意見をお伝えすることが出来ます。それは時に、受け入れがたい、厳しい場合もあるかもしれません。しかし、そこで反発するのではなく、冷静に、素直に、合理的判断でそれを受け入れ、新しい視点を持つことができれば、自分の夢を実現できる可能性、あるいは満足のいく進学先が決まる可能性はより高まるのです。

 

 

ポイントは、自分の力を客観視するということ。客観的に真剣に見てくれる人の意見に素直に耳を傾けるということ。本も新聞も読まない、ニュース番組も見ない、世界情勢や社会問題に関心もない人が、東大だとか慶應の文系受験を志しても、無理です。そういった場合は、主に、早稲田大学や上智の文系に焦点を当てれば、どこかに落としどころが見つかるはずです。(どうしても慶應なら商学部。)逆にいうと、あまり勉強はコツコツしないし、長い英文を読んでいるとそのうち眠くなってしまうような子でも、普段から新書本や新聞に親しみ、様々な芸術に親しんでいるようなお子さんであれば、慶應でも早稲田でも、どうぞお好きな文系上位学部へ、と言って、応援してあげることができます。

 

 

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