前回のブログの続きになりますが、ここで、「東大的学び」を粛々と実践してくださっている当塾の生徒の一例をご紹介しましょう。
私たちは常日頃から生徒の皆さんに本や新聞を読むようにと言っているのですが、特に大人の新聞を読み慣れていない中高生には「(朝日)中高生新聞」を購読するようお勧めしています。恐らくそう言われて新聞をとるにはとっている方もいらっしゃるはずですが、実際どれくらいちゃんと読んでくれているのか…確認までしていないのが現状です。(確認しない方がよいこともありますからね…笑)
そういう中で、きちんと中高生新聞を購読くださり、しかも、天声人語を読んで与えられた課題に対して自分の意見を書いて投稿までしてくださっている生徒(中1)がいました。
「天声人語で200字作文」というコーナーで、「『百人一首』の競技かるたを世界にも広めるための、具体的なアイデアを提案しましょう。」というお題に対して投稿なさったものです。
実際の紙面をまずはご紹介しましょう。
この生徒は「内容を表した絵を下の句の札に書けばよいと思う。和歌の内容が何となくわかり、上の句と結び付けやすくなるから」という意見を投稿し、採用されました。
中高生新聞を毎週読むこと、投稿欄に自分の意見を投稿すること、これらは即座に学校のテストの成績に直結はしません。しかしそれでもやり続け(させ)ようと思われたのは、親御様ご自身が内容を確認なさり、これは「読む価値がある。やる必要がある。」とご判断されたからでしょう。
やった方がよいと人に勧められても、それを実際に実行し、更には継続すること、これは言うは易し行うは難しで、なかなか誰でもができることではありません。黙ってやり続ける、それがものすごい力になるのです。
お母様にもお話を伺ったところ、「継続することを第一に考えている」とのお返事。非常に的を射た信念をお持ちと、大変清々しい気持ちにさせていただきました。と同時に、親御様とご本人の真剣さが伝わり、こちらも改めて、「襟を正して臨ませていただきます」という気持ちになりました。
時々、お子さんがまだ中1や中2の受験まで時間的余裕がある時点で、必要以上にお子さんの成績、将来の受験に不安を抱かれて右往左往したり、周囲の真偽の定かではない情報に振り回されて、あっちの塾こっちの塾と放浪なさっている親御様をお見受けします。
大変失礼ですが、私どもからすれば、そんな暇があったらお子さんと一緒に新聞を読んだりニュースを聞いて、話題を共有あるいは議論をしてお互いの言語能力・思考力を深めていくような「習慣を作る」ことこそが、奥行きのある学力形成という意味で、非常に有意義なことなのになあ、と残念に思います。
ともかく、この生徒のように、地道にコツコツと、目に見えない部分の学力を耕していくこと、これこそが私どもが理想とする「東大的勉強法」(以前ブログで書いた「慶應的勉強法」とも言えるでしょう。)であり、真の学力を培っていくための実は近道であると考えています。そしてそういう考えにご賛同いただける生徒さん(や親御さん)をこそ我々は待ち望んでいますし、どんどん鍛えていきたいと思うのです。
シリウス英語個別指導塾は以前は「東大式個別ゼミ」という看板を掲げていました。もちろんこの名前には大事な意味がありますので、現在も残したままです。
「東大式」とはどういうことだろうか?と興味を持たれる方もいらっしゃると思いますが、私どもが使う「東大式」とはズバリ一言で言いますと、「アンチガリ勉主義」という意味です。
誤解している方が多いと思いますが、東大に合格するような人は必ずしも「ガリ勉」タイプではありません。どちらかというと、小さいころから何か強く心惹かれる世界を持っていて、それを極めていくといったタイプの人が多いように思います。よい成績をとるために勉強する、というよりも、勉強自体を非常に楽しめる人が多いのではないでしょうか。(「なぜ楽しめるのか」はまた別の機会に。)
私たちは、当英語塾に通われる皆さんがたとえどこの大学を目指されようと、東大的に、つまりはアンチ・ガリ勉主義で学びを深めていってほしいと強く願っています。目に見えない部分をしっかりと耕し、奥行きのある学力=思考力を持った人になってほしいのです。
東大的力とはどんな力でしょうか?それは、重箱の隅をほじくるような細かい知識を膨大に覚えたり、こういう場合はこう考える、また別の場合はこう考える、といった具合に、各々の問題の解き方を膨大に覚えてテストの点を取っていく勉強法ではありません。最低限の基本的な知識を習得したら、あとはその知識を柔軟に組み合わせながら運用していく。つまりは自分の頭をとことん動かして、とことん考えて問題を解決していく。(もちろんその過程自体を楽しめる。)そういった力こそが「東大的力」=「思考力」=「自分の頭で真理を探究しようとする力」であり、我々「東大式個別ゼミ」の理念でもあるのです。
言い換えますと、私どもが忌み嫌うのは「ただのガリ勉」です。模試の偏差値が多少高かろうが学校の成績が多少よかろうが、それがただのガリ勉の結果であれば、私たちはほとんど評価しません。ガリ勉で得た学力というものが非常に薄っぺらいものであることを知っているからです。将来的な柔軟な伸びも期待できませんし、教えていて楽しくもありません。(恐らく「ただのガリ勉」さんは本人自身も勉強していてあまり楽しくはないはずです。)
続きがありますので、お楽しみに(^^)/