先日、ある生徒(高校生)に「英語力をつけるためには、何をしたらよいと思う?」と質問してみました。このブログでは既に散々書いてきたことですので、レギュラー読者の方々ならば既にその正解をご存知かとは思いますが、恐らく、多くの生徒たちがまだまだ大きな勘違いをしていると思われますので、聞いてみたわけです。
案の定、わかっていない部分があって、「え~っと、文法を勉強して、単語を勉強してー、長文の日本語訳をしっかりとできるようにすること・・・」と弱々しく答えてくれました。もちろん、この生徒が挙げてくれたことは、英語力を身につける上で非常に重要な要素ではあるのですが、これは必要最低条件でしかないですね。
もちろん、稚拙な内容でよいから英語をペラペラ話せることが英語力だと信じ込んでいる人なら、単語とちょっとした文法を勉強をして、あとは実践演習だ!という考え方もあるかもしれませんが、一流大学を目指して「英語力」といえば、それは「長文読解力」ということにつながります。
生徒の皆さんに長文読解をさせていると、ある英文を文法的には正しい日本語に訳せても、それが結局どういうことを言っているのか、その本質的な意味がわからない、自分の言葉で言い換えたり、説明したりできない、という中高生は多くいるということを痛感します。さらに残念なのは、一応訳せてはいるので、自分ではわかったつもりになっていたりします。残念ながらそういう状態では、英語ができる、とは言えないし、早慶や一流国立大学の文系レベルの英語問題にはまず太刀打ちできない、ということになります。
ですから、既に繰り返し書いてきていますように、英語力を伸ばしたければ、言語能力や国語力、教養力(=背景知識)といった力を、同時に引き上げることが必要条件となるのです。
最近、古本屋で見つけて立ち読みした際にひどく気に入ってしまい、購入した本があります。『本当に身につく国語の基礎力』(野田眞吾 ごま書房新社)という本です。その中に、国語力を身に着けるために必要な事の一つとして「語彙力を伸ばそう」ということが書かれていました。そして、語彙力を伸ばす3つの方法として、
1.読書によって増やす。
2.大人との会話によって増やす。
3.学習によって増やす。
という方法が挙げられていました。ここで注目すべきは、やはり、1.と2.の項目です。
私たちの経験から、英語がよく出来るようになるお子さんは、共通してよく本(=文字)を読んでいます。また、口の立つ子が多い。(←これは例外がありますが。)つまり、いつも言葉の近くにいる、ということです。だから、言葉をあっち持って行ったりこっちに持ってきたり、あんな風に言ったものをこんな風に言い換えたりと、あれこれこねくり回すのが苦痛じゃないし、困難でもない。数学が得意な子はよく「数」に馴染んでいるからですね。100という数字を見たら、そこからものすごくいろんなことが思い浮かぶ。同じく英語や国語が得意な子はよく「言葉」に馴染んでいるから。一つの「言葉」の奥に、ものすごくいろいろな世界観を無意識に広げているのですね。
今のお子さんの多くは、本をあまり読まないですね。特に、まともな本をほとんど読んでいない。しかしそれは子どもたちが読まないのではなく、周囲の大人(親)が読んでいないからなのではないか、と私は密かに疑っています。また、普段、お子さんとどんな会話をしていますか?稚拙な会話ばかりでは、子どもの語彙力を増強させることはできません。
前回ブログで書きました(半ばお願いした)ように、お子さんだけにいくら「本を読め、新聞を読め」といっても、それは無理な話。かつて自分が中高生時代に読んで感銘を受けた本は、わが子にも読んでほしい、読ませたい、と思うのが自然な親心ではないかと、私たちは思うのです。
親子で同じ本を読み、それについて、感想を言い合うとか、同じ新聞を読みお互いに意見を交わしあうという「日常」が、お子さんの語彙力を育み、思考力(言語能力・国語力・知性)を育むのです。
例えば、私(母)は『ドリトル先生』シリーズも好きなお話の一つなのですが、わが子が小学校低学年の頃に勧めました。子どももとても気に入ってくれ、それがきっかけで動物への関心も以前より深まったように感じます。中学生になった際には、「そろそろドストエフスキーなんかも読んでみたら?」「夏目漱石も読んでおくべきだよね。」などと勧め、『罪と罰』だとか『三四郎』だとか、読んでくれました。
それから、新聞ですね。新聞に関しても、親御さんが楽しそうに、あるいは、熱心に新聞を読んでいれば、子どももまた「一体(新聞には)何を書いているんだろう?」と好奇心をもって覗いてくるものです。(ただ、これはお子さんが小さいうちの方がそうなりやすいのかもしれませんね。小さいころの方が好奇心が旺盛な場合が多いですから。)
これもまた我が家の例ですが、当時わが子が小学校2年生の時でした。私が新聞を読んでいると子どもものぞき込んできて、かといってまだ大人の新聞を読めるはずもありませんが、広告に書かれている文章だとか絵を見て、(その時は確か、和歌山の梅干しの広告だったと記憶しているのですが)、それを見ながら「ねえ、新聞って面白いねえ」と言ってきました。「面白いと思う?読んでみたい?」ときくと「うん!」と答えてくれたので、即座に「朝日小学生新聞」を購読し始めました。
もちろん、小学生新聞を取り始めたからといって、子どもがすぐに毎日、隅から隅まで新聞に目を通すとは限りません。全く読まない日もあるでしょうし、あまり読まない日が、1か月、2か月と続いてしまう事もあるかも知れません。しかし、そこで親御さんが、「もったいないから」といって安易に新聞購読を止めるべきではないと思います。我が家では小学校卒業まで取り続け、その後中高生新聞に切り替えました。今どういう状態になっているかといいますと…
朝日中高生新聞は週刊ですので、毎週土曜日の朝に配達されます。これ、ポイントですよね。土曜日といえば、学校や部活がある人もいるでしょうが、休みの中高生も多いはず。だから、土曜日の朝、朝食を食べた後は、家族で新聞タイムです。実際、我が家はそういう風景がここ何年か続いています。
それというのも、私自身の毎朝の楽しみが、新聞を読むことで、朝食を食べたらひとまず(片付けそっちのけで)新聞に目を通す、という動きが体に染みついてしまっています。ですから、土曜日の朝、子どもが傍らにいようがいまいがいつも通り新聞を読むので、当然のように子どもも新聞を読むのです。
中高生新聞を読み慣れれば、当然一般的な日刊紙も読めるようになるわけで、勉強の合間に日刊紙を広げたりしています。また、大事な記事は切り抜きをしてファイリングすることにしていますから、それを子どもにも読ませたりします。すると当然、お互いに共通の話題ができますから、「あの記事についてどう思う?」と、家族の会話は、政治に関するものや社会問題について、となります。
ちょっと長くなりましたので、ひとまずここらあたりで一旦切ります。
近頃はiPhoneやスマホなどのデジタル・デバイスで、新聞を読む人が増えています。もちろんKindleのような電子書籍リーダーを活用して書籍を読む人もたくさんいることでしょう。これに対しては、伝統的な紙媒体のほうがやはり良いとか、電子版のほうがずっと便利だとか、様々な賛否両論があります。
ちなみに、最近出た池上彰、佐藤優『僕らが毎日やっている最強の読み方』によりますと、池上彰さんは紙媒体派で、佐藤優さんは電子版派だそうです。要するに、どちらが良いのか結論は出ていません。一般論として言えば、どちらも使い比べてみて、自分にとって使いやすいものを選びなさい、となるはずです。
しかし、教育論となれば、話は全然違います。子供を持つ親であれば、断然、紙媒体のほうを優先させるべきなのです。なにも電子版を全然活用するなとは言いません。電子版だけで済まし、紙媒体を購読しないのではダメだということです。
紙媒体の新聞は、必ず定期購読してください。家の中に、「活字」が目につくように置かれて、子どもが日常的にそれらの刺激を受けることが肝心なのです。もし、自分の子どもを一流大学に進学させたいのであれば、新聞・雑誌の購読や、日々の読書は、もはや自分のためだけではないのだ、実は子どものためにもなるのだと、自覚することです。親が新聞や書籍を読んで、その「紙の媒体」を食卓や本棚に置いているから、子どももそれを読んでみようとなるのです。
もちろんこういう話は、お子さんを難関国立大学や早慶(文系)に進学させたいと願う親御さん限定の話です。理系進学の方針だったり、中堅大学で良いのであれば、お子さんにしっかりとした読書の習慣がなくても、合格は充分可能です。しかし、東大や一橋大学だとか、早稲田か慶應の法学部に行ってもらいたい、などと思われているようであれば、学校や塾に頼るというよりは、むしろ、お父様お母様ご自身が積極的に新聞や書籍をお読みになり、かつそれらの「活字」がいつでも子どもの目に入るように、家庭の文化的環境を整えなければなりません。だからKindleやiPadで、独りだけの読書をしてはいけないのです。
ここで、子どもの読書とか読解力について、もう少し背景を詳しく説明しておきましょう。
子どもの読解力は小学生のときにぐんぐん伸びていきますが、最初の「壁」は、小学校高学年くらいのときに来ます。要するに、小学校卒業レベルの日本語読解力の有無が問われているのですが、ここで文章を一応読める子どもと、まともに文章を読めない子どもに分岐してしまいます。これは、公立小学校や公立中学校では、非常に大きな問題なのですね。しかし、中学受験を乗り越えたお子さんであれば、この「壁」はなんなく乗り越えられているはずですので、ご安心ください。
皆さんにとっての大きな問題は次の段階です。現代の子ども達の多くは、普通、子ども向けのラノベのような、娯楽的な軽い物語を読むことになります。私たちは、そういった本の多種多様なタイトルだとか内容をよく把握しているわけではないのですが、たとえば、『黒魔女さんが通る』のような作品群です。こういう物語を読むのは、それ自体は非常に結構なことなのです。問題は、ある程度の読解力を身につけた子どもであっても、ほとんどのお子さんは、子ども向けエンターテイメントの作品しか興味を示さないし、読まないということです。
学年があがれば、中高生向けあるいは大人向けの現代的エンターテイメントを読むようになるのかもしれません。人気があるのは、TVや映画になった作品群でしょうか。たとえば、東野圭吾『探偵ガリレオ』、有川浩『図書館戦争』、 三上延 『ビブリア古書堂の事件手帖』、坪田信貴『ビリギャル』といったあたりかな???
しかし、もう一歩レベルをあげ、読解力の必要とされる文章、つまり、いわゆる純文学だとか、新書本のような説明文的な文章を読みだそうとはしません。これが多数派のお子さんです。ここには、とてもつもなく大きくて高い壁があるようです。この壁を乗り越えられない限り、たとえ穴場とされる慶應大学SFC(藤沢キャンパス)にせよ、合格は困難でしょう。どうやったら、この壁を越えられるのか。
他方、多数派とは異なって、現代エンターテイメント作品でない活字を読むお子さんがいます。そういうお子さんが何をどうして読むのか。実は、ほとんど圧倒的多数は、親御さんやお姉さんお兄さんの蔵書だとか推薦本を読んでいるのです。もちろん、親御さんの蔵書を読むというのは、必ずしも純文学や哲学書を意味しているとは限りません。多くの場合、昔流行ったエンターテイメント作品、たとえば『少年探偵団』『ガラスの仮面』(少女漫画)、アガサ・クリスティーのミステリーみたいのを読む。あるいは、中学生でも、ドストエフスキーや太宰治あるいはドラッカーやアインシュタインを読んだりする場合もある、といったように様々です。
注目すべきは、親御さんの蔵書、つまりは家の本棚にある本を子どもは読みたくなるものなのだ、ということなのです。実は親御さんの読書体験こそが、自宅の本棚にある「紙の媒体」を通じて、お子さんに受け継がれていくのだという事実です。
新聞を読むという習慣も同様です。親御さんが新聞を読んでいると、子どもも新聞を読む習慣を自然と身につけるようになる。逆に言えば、親が新聞を読まないのであれば、子どもも新聞は読みません。(もっとも、親御さんが『日本経済新聞』(紙媒体)を定期購読しているからといって、中学生のお子さんにそれを読ませようとは思わないでくださいね。内容が経済事情に偏っていますし、子どもが読むには退屈なはずです。つまり、日経を定期購読するだけでは、紙媒体だとしても、教育的には配慮が欠けているということになります)。
子供向けラノベやエンターテイメント作品を超えて、主体的にしっかり読まなくては読みこなせない活字を読むようになるのか否か。少なくとも文系に進学するつもりならば、決定的な重要性を持っています。そして、それを大きく左右しているのは、親御さんの主体的な家庭環境作りです。お子さんがラノベ読書から卒業できていないのに、読書活動を子ども任せにしているようでは、絶対にダメです。自分が面白いと思う本や記事を、子どもに積極的に伝えていく努力が不可欠なのです。
以上、よろしくお願いします。