巷には、「偏差値30台から慶應合格」だとか、「E判定から東大合格」など、つい信じてすがりつきたくなるような甘い言葉が飛び交っています。確かに本当にそうなった人もいるでしょうが、その「裏事情」とか「背景」というものを探る意識も必要かと思います。つまり、誰でもがそうなれるわけではない、大抵の場合、「なあんだ、そういうことね。」という「事情」や「根拠」があるということです。
すばり、本題から入ります。「どんな子が柔軟に伸びるのか?」その答えは「余白の大きい子」です。随分と抽象的で分かりにくいと思われる方が多いと思いますが、わかる方にはすぐわかる表現でもあると思います。「ああそうそう、そうだよね~」ってな具合に。
落ちこぼれだったのに急激に、あるいは柔軟に伸びる子の場合、大抵はもともと「余白」が大きかった、というケースがほとんどだろうと思います。少なくとも私たちの経験上は、そう言えます。
ちょっと話は変わりますが、これから本格的な子育てをなさる方には是非一読をお勧めしたい本として岸本裕史著『見える学力見えない学力』という本があります。随分古い本ですが、子どもを「健全かつ柔軟に伸びる子に育てたい」と願う親にとってはバイブルにすべき書ではないかと思います。
本のタイトルにも書かれているように、子どもの学力には「見える学力」と「見えない学力」があり、見える学力を十全に伸ばすためには「見えない部分の学力をしっかりと育てていかなければならない」というのが、一貫した筆者の主張だったように記憶しています。(本が自宅内において行方不明となり、記憶だけを頼りに書いていますが、そんな趣旨だったと思います。)
岸本氏の「見えない学力」というのが、冒頭に挙げました「余白」とイコールの関係にあると思います。つまり、小さいころ(生まれてから中学校に上がる頃まで)に「見えない部分の学力」をしっかりと培っておくと、自然と「余白」が大きくなり、それが「見える部分の学力」の柔軟な伸びにつながるという論理です。
いつも私たちが書いていますように、英語の成績だとか高度な英語力というものは、英語の勉強ばかり頑張っても決して柔軟には伸びない、という主張にもつながっています。(もちろん、他教科に関しても全く同じ論理が成り立ちます。)
成績低迷で当英語塾を訪れるお子さんたちのうち、急激かつ順調に成績が伸び続ける子はみんな、余白の大きい子ばかりです。余白が小さい場合は、急激かつ順調に伸び続けるということは、残念ながらなかなか難しいと言わざるを得ません。つまり、「持っている余白の大きさに比例して伸び率が変わってくる。」という言い方が出来ると思います。
「余白」というのは、教えているとビンビン伝わってくるのですが、「余裕を持って学べているか」「学ぶことを楽しめているかどうか」ということにつながってくると思います。
例えば、ある二人の生徒に、同じ内容を勉強させて、同じ課題を出し、一時的な結果としては、ほぼ同じレベルでの完成度だとして、その二人が必ずしも同じ実力を有しているわけではありません。違いがある、ということです。その「違い」こそが、まさしく「余白の大きさ」の違いです。たとえ一時的、表面的には表れていなくても、わかる人にはわかる違いであり、いずれはっきりと表面化します。
ですから、わが子を将来柔軟に伸びる人にしたい場合は、やはり、小さい時が大事なんですね。ただ、こういうとすぐに、どこそこのお教室に通わせて、とか、あの習い事をさせて、とか、他力本願あるいは人工的(?)にやっちゃおうとする人がいるのですが、それは全くずれています。英語を習わせるなんて愚の骨頂です。中学受験のため、あるいは、小学校での授業についていくために小1から算数と国語塾、なんて不要ですよ。そんなことをするから伸びがストップするのです。
赤ん坊から小学生の間は、自然や本物とたっぷりと触れ合う環境を作ってあげること。身の回りにある様々な現実をしっかりと五感で感じること。親もともにそういう体験を楽しむこと。そういったことが最も根幹にあるべき子育ての基本だろうと思います。「大きな余白=見えない学力=栄養たっぷりの土壌」を作ってあげておく、ということです。
今回は大雑把な枠組みをお話ししました。引き続き、具体的な話をいろいろと挙げていきたいと思います。