
0)はじめにーー『東大英語リーディング』は通過儀礼だ
①抽象語(hegemony, illegitimacy, representationなど)がどんな具体的現実を示唆しているのか分かり難い
②従来の「常識」を覆す議論がさりげなく出てくる(Igbo society is direct democracy in action, republicanism and village democracy as political forms)
③客観的な事実の羅列からなる歴史記述ではない
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A
◎固有名詞について整理する(民族・人物一覧表、年表、地図作りなど)
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B
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これは、前回のNollywoodー何が難しいのか(1)の続きです。前回は、次の文の(A)の箇所を扱いました。
As (A)representations of the Igbo past, the most surprising feature of the cultural epics is the complete (B)occlusion of republicanism and village democracy as political forms. In the Movies, there is always an igwe surrounded by a council of elders. Kingship was not unknown among the Igbos, but generally the Igbos did not have kings and did not want them.
今回は(B)の箇所 the complete occlusion of republicanism and village democracy as political forms を読んでいきます。
<分かり難い理由>
①抽象語の意味が分かりにくい②今までの常識を覆す概念が、さりげなく提示されている
③客観的な事実の羅列からなる歴史記述ではない
まずはocclusionという単語が難しい。いくつかの辞書を調べると、「閉塞」「遮(さえぎ)ること」といった語義が英和辞典に載っています。よく分かりませんね。
こういう時は、英英辞典にあたってみるのが普通で、動詞形(occlude)を調べますと、“occlude something to cover or block something “ (Oxford Advanced Learners) とあります。残念ながら、この説明では役には立たないようです。
結局、「政体としての共和主義や村落民主主義を完全に閉め出すこと」とでも訳すしかないでしょう。しかし、具体的にどのような事態を描いているのかイメージしにくいでしょう。理解しにくいですね。しかし、実を言えば、人類学や歴史学の本にある程度親しんでいれば、書き手が何を言わんとしているのか、容易に見当つけられます。簡単に説明してみましょう。
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歴史学者・人類学者として著名なエリック・ホブズボームという学者がいたのですが、彼の提起したthe invention of tradition (「伝統の創造」と訳します。ただし、「伝統の捏造」という訳語もあったはずです)という概念が、非常に参考になります。要するに、過去には実際には無かったことであっても、大昔から伝統であるかのように、歴史を書き換えてしまうことを指します。
(なおWikipediaの説明は、invented tradition (Wikipedia) (←クリック)を参照してください。
つまり、ホブズボームの読者ならば、the complete occlusion of republicanism and village democracy as political formsという箇所を読めば、「ははーん、『伝統の創造』のような事態があるのだな、植民地以前には実際に存在していた共和主義や村落民主主義が、歴史的に、,あたかも存在しなかったことにしてしまうのだな」と解釈できます。
そして、英文の意味を言葉を補って訳してみれば、
[歴史上存在した] 共和主義や村落主義という政治形態が、
[ナリウッド映画の中では] 完全に無いことにされ、
[植民地以前の伝統的イボ社会は王国で、王様が統治していたことにされた]
[ ] の部分は私の加筆です。
となるでしょう。
さて「伝統の創造(捏造)」という視点を得たならば、23−25行目(次の頁の最初の3行)にある次の文にある、“traditional rulers“の意味も容易に理解できるはずです。“traditional rulers“もまた、「創作された(捏造された)伝統」の産物という意味だと見当がつく訳です。
Under successive structures of colonial and postcolonial governance, “traditional rulers” were certified or invented in order to play a mediating role between local communities and higher levels of government.
この部分を試訳してみると、次のようになります。
植民地時代および植民地以後の統治機構のもとでは、「伝統的統治者」が認定されたり創られたりした。彼らは、地域社会と政府上層部との媒介役(=かいらい役)を担ったのだ。
“traditional rulers”(「伝統的統治者」)のように“…”がついているのか何故かといえば、イボ人の伝統社会には、「伝統的統治者(=王様)」なるものは存在しなかったが、間接統治を企てるイギリス植民地政権の都合だとか、植民地後の新興政権の都合によって、あたかも昔から存在した由緒正しいかのような王様が創られていたからです。全然伝統的ではないのに、伝統を装っているので、“…”がついているという訳ですね
ホブズボームのような議論を聞いたこともない、普通の東大1年生には、ちょっと難しいかもしれませんね。しかし、ホブズボームを知らないだけが原因ではないでしょう。
高校生まで、歴史学習とは客観的な事実の羅列を覚えることでした。異なる解釈はあるにしても、一つひとつの概念は、しっかりとした客観性を備えていました。しかし、大学生になると、単純な客観的事実が「在る」という訳にはいかなくなります。このテキストでも、文化的次元の事実(=映画や小説の中の話)と客観的事実が複雑に絡み合ってきます。
映画の中で存在している王と王国と、歴史上存在していた政治形態とが交錯してしまいます。それを英文で書かれると、しかもアフリカの諸事情に関することですから、ほとんどの学生は容易に混乱してしまうでしょう。(ちなみに伝統的なヨルバ人社会には王は存在していたと思われます。イボ人とヨルバ人の区別が付かない大学初学者には、さらに追い討ちをかけるものとなったでしょう)。
ちょっと余談ですが、早稲田の文学部の英語の入試問題でも、同様な難しさを抱える文章が出されたことがあります。インドのカースト制度に関する文章でしたが、客観的事実として存在するカースト制というのではなく、大英帝国の植民地の統治政策の都合から、イギリス人の植民地官僚によって産み出されたカースト制という概念が主題化されていました。「インド社会にはカースト制度が在った」ではなく、イギリス人植民地官僚が「有ることしたカースト制」ですね。高校生である受験生には、たいそうな難問(奇問)だと言えましょう。
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話を再度テキストに戻しましょう。実は、さらにまた混乱を誘うであろう事柄があります。それは本書で言及されているイボ人の大作家アチェべの小説(Achebe, Things Fall Apart、翻訳は『崩れゆく絆』(光文社新訳文庫)ですが、この作品も明らかに representations of the Igbo past (イボ人の過去を描いた作品)なのですが、ここでは歴史的な客観的事実を記述するものとして引用されています。
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客観的事実と政治的文化的次元での事実がごちゃごちゃして、丁寧に整理して読まないと、読者はかなり混乱しそうですね。塾や予備校の講師であれば、客観的事実と政治的文化的事実とを色分けしましょうと提案するかもしれません。しかし、このテキストには、そういう指示はありません。また、おそらく東大の先生もそこまで親切ではない。大学一年生は、自らの手で切り開く力が求められているのです。
<分かり難い理由>
②今までの常識を覆す概念が、さりげなく提示されている
the complete occlusion of republicanism and village democracy as political formsのrepublicanism and village democracyの後半部に注目してみます。
もう一つのちょっと驚くべき話題が、さりげなく言及されていたことに、気が付いたでしょか。republicanism and village democracy、すなわち、植民地以前のアフリカに、共和主義と村落民主主義があったというのです。
従来の旧い常識では、共和主義や民主主義のような政治形態は、古代ギリシャに由来するか、近代化に伴ってもたらされるものでした。ところがこの英文によると、植民地以前のアフリカのイボ社会においても、共和主義と村落民主主義であったというのです。つまり、これまで私たちが慣れ親しんできた民主主義や共和主義とは異なる形態のそれが、前近代・前植民地時代のイボ社会に存在していたというのです。
そして、もしこの語句に読み手が驚いたりショックを受けていない人は、おそらくは英文をまともに読んでいないのだと推察されます。
この東大生向けの教科書に、もう少し詳しい注釈があればなあと、とても残念に思います。しっかりとした指導者がいる教室であれば、植民地以前のアフリカの共和主義と民主主義について、調べもの学習が始まっているかもしれませんが、ちょっと不親切です。従来の西欧中心主義的な民主主義、あるいは文明観を突き崩すラディカルな議論なのでしょうから。
ところで、人類史に対する見直しは、知的な社会人やビジネスマンにとっても、どうやら興味深い話題として取り上げられるようです。例えば、作家の村上春樹が絶賛していた知的な一般雑誌にThe New Yorker というのがあり、彼の短編作品の英訳もしばしば掲載されているのですが、このニューヨーカー誌でも、人類史が大きく取り上げられます。私自身が読んで感銘したのは次の記事です。
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Gideon Lewis-Kraus, “Early Civilizations Had It All Figured Out“, (⇐クリック)New Yorker (November 1, 2021)
そして、この記事で大きく紹介されていたのが契機で、取り寄せて読んだのが、
David Graeber & David Wengrow, The Dawn of Everything, 2022 (邦訳あり)
です。いずれもアフリカの民主主義や王権について直接触れているわけではありませんが、中央アメリカや中近東における原始的民主主義あるいは「そんなに原始的ではない」民主主義について、興味深い内容が記載されています。この大部な本について要約することは不可能ですが、民主主義が西欧の伝統であるという見解が疑問にさらされているのは明らかでしょう。
また、著者の一人David Graeberは、次のタイトルの本も邦訳で出版しております。直接的にアフリカへの言及はないかもしれませんが、なにか参考になりそうです。なにしろ、「民主主義の非西洋的起源」なのですから。(ただし、原題は日本語タイトルとは少し異なります)。
デヴィッド・グレーバー(著) 片岡大右(訳)『民主主義の非西洋起源について』(2020)
さらに調べてみますと、この英文の話題とぴったりの本が、昨年(2023年)にみすず書房から出版されていることが分かりました。なにしろ、植民地以前のイボ社会をEarly Democracy (初期民主主義)として取り上げているのですから。
デイヴィッド・スタサヴェージ『民主主義の人類史』(2023年)(←クリック)
です。原題は、David Stasavage, The Decline and Rise of Democracy: A Global History from Antiquity to Today, 2020 (⇐クリック)です。
本書の紹介文を引用します。
In the book, Stasavage argues that democracy has been more common throughout history than is often assumed, and he provides examples of democratic practices in various ancient and pre-modern societies around the world, including in Africa.
Specifically, he discusses the political systems of the Igbo people in present-day Nigeria and the Tswana people in present-day Botswana. He argues that these societies had elements of democracy, such as checks on leaders’ power and forms of popular participation in decision-making.
全訳はしませんが、簡単にまとめると、
初期デモクラシーは、古代アテネ以外にも世界中に広範に存在した。特にイボ人社会には民主主義の要素があり、権力に対するチェック・アンド・バランスがあったり、意思決定にあたって参加民主主義の仕組みがあった。
なるほどと思います。さりげない語句でしたが、こういう人類史な視野を持つ民主主義論にもつながっていたようです。『東大英語リーディング』は大変奥が深いことを実感させられます。
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今回はこれまでです。『東大英語リーディング』の読解の難しさを少しでも伝える事ができたでしょうか。次回は、Nollywoodのような難解な英文をどうやって読み解けばよいのか、その方法について考えます。