ある大学受験生の0点答案から
この記事で取り上げるのは、とある大学受験生が受けた数学の模試の解答用紙です。そこに記されていたのは、**まさかの0点。**この結果を、皆さんはどのように考えますか?
多くの方は、代数の基礎ができていないのだから、数Iの基礎、あるいは中学数学からやり直すべきだと考えるでしょう。おすすめの参考書として、きさらぎひろし氏の『やさしい高校数学(数学I・A) 改訂版』や『白チャート 数学I+A』、さらには旺文社の『とってもやさしい 中1数学 新装三訂版』や、きさらぎひろし氏の『やさしい中学数学 改訂版』などを推奨するかもしれません。これらはすべて、数学を習得するには、基礎の土台を固めることが重要だという考えに基づいています。確かに、この方針は基本的には正しいものです。しかし、それだけでは不十分だと、プロの個別講師の私は考えます。
この受験生の解答の仕方をもう少し丁寧に見てみよう。(2)の問題に着目してみましょう。どうやら問題は、「円 (x−4)^2 +(y−3)^2 =1 を、直線 y=3x+1 に関して線対称な円の方程式を求めなさい」だったようです。
この問題の王道は、まずは与えられた円と直線のグラフを描くことから始めることでしょう(下の図1)。
(図1)
そして、線対称な円(ここでは緑の円)をイメージして描いてみます(下の図2)。
(図2)
つまり、この緑の円の方程式を求めるのが、この問題の核心だったわけです。あとは、線対称な円の中心の位置を計算で導き出せば、答えはほぼ見えたも同然です。(ちなみに答えは、(x+2)^2+(y-5)^2=1となります)。
他方、この受験生の手書きの解答は、グラフを描こうとした形跡が見られませんでした。これが最大の問題点でした。
彼は代わりに、直線 y=3x+1を、円の方程式(x−4)^2 +(y−3)^2 =1 に機械的に代入し、xの値を求めようとしました。しかし、代入することで、どんな意味を持っているのか、本人は何も考えていなかったようです。
(赤字は私が付け加えたもの)
『yに3x+1を代入すると、それがどんな意味をもつのか』、『xの値が分かったとして、求める線対称の円の方程式にどう繋がるのか』『そもそもこの操作で本当に答えにたどり着けるのか?』ーーそういう肝心な思考プロセスが完全に抜け落ちていたと思われます。(念のための記しておくと、 y=3x+1を代入して出てくる値は、円と直線の交点のx座標である。この問題では円と直線は交わっていませんから、xの実数解は存在しません。しかし、交点の有無は、線対称の位置にある円のは存在すとは関係なく、今回の問題にとってはどうでもよいことでした)。
深層にある「認知」の問題
問題の意味を全く考えず、ただ機械的に代入してしまう受験生は、一体どのような問題を抱えているのでしょうか。そして、私たち教師の側は、彼らにどのようなアドバイスや処方箋を出すことができるでしょうか。
私の見解では、単純に高校数学1や中学数学に戻ってやり直す、という方針だけでは、この受験生の抱えている問題に正面から立ち向かったことにはならないと考えます。前回のブログで取り上げたバーバラ・オークリー先生の学習テクニックも、このケースでは直接的な解決には繋がらないかもしれません。
実は、この受験生が抱える問題の深層を解明しようと研究されている方々がいらっしゃいます。その第一人者のお一人に、元・慶應義塾大学教授で認知科学者の今井むつみ先生がいらっしゃいます。数々のベストセラーを世に出されていますが、今回は『算数文章題が解けない子どもたち』(2022年)の一部を取り上げ、その第六章で指摘されている7つの『学習のつまずきの原因』の中から、特に今回のケースに直接的に関連する原因6と原因7をご紹介したいと思います。
小学生の「算数文章題」と大学受験生の共通点
今井先生は、広島県福山市の小学校の1年生、3年生、5年生に次の問題に取り組ませました。『子どもが14人、一れつにならんでいます。ことねさんの前には7人います。ことねさんの後ろには、何人いますか』。すると、多くの児童が問題文から状況を正しくイメージできないことが明らかになったそうです。(本書からは明確に読み取れませんが、おそらく図で表して考えることができない状態だと推測されます)。このような状況で、子どもたちはどのような反応をしてしまうのでしょうか。
原因6メタ認知が働かず、答えのモニタリングができない(→ 自分の思考や理解度を客観的に評価し、解答が正しいかを検証する能力が不足している)
原因7「問題を読んで解くこと」に対する認識(→ 問題文を正しく読み解き、その内容を現実の状況と結びつけて理解するという認識が欠けている)
例えば、14×7=98という答えを出してしまう子どもがいたようです。全体で14人しかいないのに、後ろに98人いるというのは、明らかにあり得ないはずです。しかし、彼らは**『振り返らずに答えを解答欄に書いて「できた!」と思い、満足してしまう』**のです。あるいは、**『文章を読まず単語だけ拾って答えを書く』『算数文章題に対して数字だけ拾って思いついた式に放り込み、計算して答えが出れば満足する』**といった行動が目立つと今井先生は指摘しています。
いかがでしょうか。このように算数の**『意味』を感じることができない**(今井『学力崩壊』(岩波新書)の言葉を使えば**『記号接地できない』**)小学生たちと、先ほどの円と直線の問題を解こうとした大学受験生は、非常に共通した問題を抱えていると言えるのではないでしょうか。
端的に言えば、学力不振の小学生も、模試の数学でつまずいた大学受験生も、『図を使って考える』ということができない、あるいは『図を描きなさい』と指示されても、その『意味』を理解していないタイプだと言えます。だからこそ、図を描かず、意味不明な計算を力ずくで行ってしまうのです(例えば、先ほどの算数問題で『14-7=7』と答えを出してしまうように)。
彼らにとって、問題解答の『試練』は、**思いつくまま適当に計算し、答えが出た時点で『終了』**なのです。すなわち、**『意味を理解しないまま、ひたすら計算をするのが算数・数学だ』**という姿勢が、彼らの思考に深く根ざしてしまっているのでしょう。
この思考の枠組みから解放され、彼らの『脳内を再構築』しなければ、真の学力向上への一歩は踏み出せません。当然ながら、2〜3回教えただけで理解してくれるような、簡単な話ではありません。算数や数学の応用問題を解けるような学習者へと成長させる支援は、実に骨の折れる仕事なのです。
今回のブログ記事だけで、今井むつみ先生のご研究の意義を完全に伝えられたとは思っていません。しかし、学力不振に陥った学習者たちに、『前の学年で習った基礎的なことから始めてみよう』と実行させるだけでは、彼らの学力は思うように向上しない、という問題の一端はご紹介できたのではないでしょうか。学力向上をうまく達成できない学習者の場合、もっと根本的な、学習姿勢の学び直しが必要なのです。
次回は、今回の今井むつみ先生が提示された問題提起と、バーバラ・オークリー先生が提唱する**『学習ノウハウ論』**との簡単な対比を試みる予定です。今井先生の有効射程と、オークリー先生の射程は、かなり異なるようなのです。オークリー先生のアドバイスが役に立つ場合もあれば、今井先生が役に立つ場合もあるのだということです。ですから、それぞれの特徴を大まかで良いので理解しておくべきでしょう。
ぜひ、次回の記事もご覧ください。
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