はじめに---板書しない生徒たちの謎
講師がホワイトボードを用いて簡潔に板書して説明し、「分かりましたか?」と生徒に問いかけると、「はい」と答える。しかし、その生徒のテキストやノートを講師が覗き込んでみると、板書が全く写されていない。あるいは、講師が板書した文字に、生徒が自分勝手な「修正」「削除」を施してノートに記されている。
圧倒的に多いのは、大事なポイントを全然写してくれない、です。どれだけの指導者が、このような現象に気づいているでしょうか。
私は対面式個別指導をしていますから、予備校やオンライン個別指導講師とは異なり、目の前の生徒のテキストやノートを覗き込んだり、彼らが書き込んだものを逐一チェックするようにしていますから、実態を把握できるのです。
そこで明らかになったのは、驚くべき光景です。どんなに簡潔かつ丁寧にホワイトボードに板書してポイントを説明しても、生徒の多くはそれをメモしたりはしないのです。あるいは、肝心かなめの「考え方」の部分は、しっかりと捨象されていたりする。(「考え方」を理解してくれたら、丸暗記不要で定着しやすいし、応用力が効くのだがなあ、と教える側は非常に残念に思います。しかし、「考え方」のようなものは、多くの生徒には全然「刺さらない」ようなのです)。
「ここが大事だよ、マーキングしなさい」と注意を促しても、多くの生徒はぼんやりとしたまま、目立たない色で、小さなマークを申し訳程度に加えるだけです。(絶対に再度つまづくと思われる事項に対し、赤等で大きな印を付けるように命じても、生徒たちは、「これは難しいな、また、間違えてしまうな」とか思わないようである)。
彼らは、確かにちょっとぼんやりしています。しかし、だからと言って、著しくやる気がなかったり、サボる気持ちが強かったり、あるいは教師に反抗しようとか、そういう気持ちがある訳ではないことも強調しなければなりません。それなのに、なぜか彼らは大事なポイントをメモしようと思わないのです。
最初にまずは、ごくごく軽い「削除」の例を取り上げてみましょう。ちょっと想像力のある英語の先生ならば、誰でも理解できてしまうような、板書の勝手な書き換えです。(ただしこれは、英文法教育に関心のある方だけがお読みくださればよいと思います)。
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ある程度の英語力のある高校1年生の例ですが、私が次のような板書をしました。
オリジナル板書
↓↓↓
生徒のメモ書き
この場合、生徒は動詞の重要性を認識せず、意味的な核である形容詞(dead)だけを抽出してしまい、「”be dead” は ”dead”と短くした方がよい」と自己判断し、勝手に削除してしまったのでしょう。
だが、dead(形容詞)だけではdie(動詞)と対等に並べることはできません。be dead, dieならば、どちらも述語動詞を含んでいるので、対比できるわけです。この品詞の違いを無視して、板書の内容を改変しまったことで、案の定、この生徒は後の問題演習でミスを犯すことになります。
なお、もともとの板書は、以下のような英文法を説明するために書いたものでした。
【現在完了(継続用法)での違い】
(○) ”He has been dead for three months.” (解説:be dead は状態を表すので、そのまま状態が長時間続く。だから現在完了の継続用法として使える)
(×) ”He has died for three months.” (解説:die は「死ぬ」という瞬間的な動作・変化を表す動詞なので、3ヶ月間「死に続ける」という継続用法にはならない)
【since(〜以来)を用いた際の違い】
(○) ”Three months have passed since she died.” (解説:接続詞 since は「起点(いつからか)」を求めるため、瞬間的な出来事を表す動作動詞 die が適切)
(×) ”Three months have passed since she was dead.” (解説:was dead は「死んでいる状態」を表すため、特定の日時に定まらない。だから、「〜という出来事が起きて以来」という since の起点には使えない)
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本人は必ずしもサボったり怠けている意識はないのにも関わらず、ホワイトボードに板書したことを書かなかったり、歪めて写す現状があるわけです。もちろん板書で確認できることは、口頭の説明でも同様に起きていると推測できるでしょう。先生の説明がどんなに丁寧に説明したつもりでも、ほとんど何も伝わっていなかったり、誤解しか生じていない。教える側にとっては、非常に残念ではありますが、これが現状であり現実なのだということを知っておく必要はあるわけです。
ところで、少し前に話題になった今井むつみ『英語独習法』(岩波新書、2020年)ですが、上記のような教育現場での問題点を鮮やかに言語化し理論化しているように見えるのです。今井の認知科学の視点は、非常に興味深いのです。ちょっと『英語独習法』を覗いてみましょう。
ただし、最初に述べておきますが、『英語独習法』それ自体は、英語の教育現場には利用しにくい本ではあります。本書の欠点だとも言えます。ですから、日本で英語を教える立場から、今井『英語独習法』の論点を超えていかなければならないことも示していきたいと思います。(なお、今井むつみは、『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか? 認知科学が教えるコミュニケーションの本質と解決策』『算数文章題が解けない子どもたち──ことば・思考の力と学力不振』など、参考になる書籍を多数世に送り出している)。
1.生徒に「やる気がない」のではない。脳がスルーしてしまうのだ。--「スキーマ」で準備されていない情報はスルーしてしまう仕組み
今井は次のように述べる。
「わかりやすく教えれば、 教えた内容が学び 手の脳に移植されて定着する」という考えは幻想である」(3頁)。
「そもそもテキストを 読んでも、授業を聞いても、大事なポイントが頭に入ってきていないのではないかということを疑ってみる べきだ。 一生懸命テキストを読んでいても、テキスト が伝えたい大事な情報について違うことを期待して読 んでいたら、学び手はそこに書かれた情報をスルーしてしまう可能性が高いのである。学習者がどんなに 一生懸命集中して聴いたり読んだりしていても、 である。」(同書、8頁)
以上は、すべて今井『英語独習法』からの抜き書きであるが、非常に鋭い指摘ではないでしょうか。何といっても、私の対面的個別指導で日々痛感している体験をよく記述しているからである。
ここで鍵となる概念は「スキーマ」ですが、スキーマとは「ある事柄についての枠組みとなる知識」(27頁)である。「多くの場合、もっていることを意識することがない」(27頁)。しかし、「外界で起こっている出来事や言語情報は、すべてスキーマのフィルターを通して知覚される。私たちは、(中略)何が大事かを判断し、情報を取捨選択するのである」(28頁)
要するに、スキーマが不要であると判断したら、「人は、注意を向けないものを何度見ても正確に記憶することはない」(同書、28頁)のである。スキーマ理論は、それなりには、ある程度のやる気がある生徒たちが、板書をしようとしない仕組みを説明できるではないか。
2.Is he speak English? がなかなか無くならないのはなぜか?
ちょっと脱線するが、一つ挙げてみたい事柄がある。実は、シリウス英語個別指導塾は、20年以上前には、地元の公立中学校の生徒たちにも英語を教えていたのだ。この時の経験だが、地元の公立中の中学生たちの80%以上は、次の規則を理解出来ないように見えた。
★「英語のセンテンスには、主語が一つ、動詞が一つだけある」(動詞が欠落した動詞0[You late today]や、動詞が重複した動詞2[You are look fine.]は認められません)
★「動詞にはbe動詞と一般動詞の二種類があって、疑問文や否定文の作り方がそれぞれ異なる」
このとき、我々英語講師が何度も詳しく説明したつもりであっても、公立中学の生徒のほとんどは、この規則を守ることが出来なかった。疑問文を作るとなると、彼らは平気で “Is he speak English?” のような動詞2つのセンテンスを書いた。一般動詞の練習をするとbe動詞が出来なくなり、be動詞の練習をすると一般動詞が出来なくなった。例えば、”You sometimes busy.” のような動詞0(ゼロ)のセンテンスを作ってしまう。もちろん、「間違いを直してよ」と促しても、決してどこが間違っているのか、気が付かなかった。
当時は、なぜこんな簡単な規則を「理解できない」のか、と不可解に思ったものである。大変申し訳ないが、頭が非常に悪いので理解できないのかなとさえ思ったものだ。(そして公立中学生は、当塾の指導対象から外したのである)。
しかし今、今井の『スキーマ」理論を与えられてみると、彼らが「理解できない」というよりは、「動詞が一つだけある」とか「動詞にはbe動詞と一般動詞がある」といった説明を、むしろ最初から「聴いていなかった」のだ。「スキーマが不要だと判断している」ので、右から左へと通り抜けてしまうのである。理解できないというよりは、聴かないのである。
先ほどの言葉で言えば、「メモをとるに値しない」と判断しているのだ。
3.今井『英語独習法』の死角ーー「脱・母語スキーマ」論を超えて
今井むつみ『英語独習法』はベストセラーになったが、英語教育関係者からの反応や反響は、意外にもあまりないようだ。例外的に高評価なのは、京都大学の柳瀬陽介教授くらいなのである。英語教育の哲学的研究3(今井むつみ『英語独習法』)(←クリック)
実は、本書自体にも、少々問題点が無いわけではない。というのは『英語独習法』で提案されている学習テーマは、高校生や中級学習者(英検準一級レベルくらいまで)には、ちょっと難し過ぎるものばかりなのだ。独習で試みるのであれば、英検1級に合格したくらいの英語力は必要だろう。これでは、高校や大学受験予備校の先生方は、ここでの提案を直接的には利用しにくくなるだろう。我々英語の先生の大半は、入門初級段階や中級段階の英語学習者に英語を教えているのだ。(英語の先生方の英語独習法としてならば、有意義ではあるのだが。。。)
なぜ今井理論では、高度なレベルの学習課題のみを問題にするのか。今井自身は、「合理的な(英語)学習法を提案」し、「その理由としくみを解説する」(i頁)のが目的だと『英語独習法』の最初に述べている。
しかし、もっとすっきり分かり易く整理してしまおう。今井『英語独習法』の主題は、英語の「脱・日本語スキーマ」化をめざす学習法を模索することなのだ。つまり、日本人の上級英語学習者が、ナチュラルかつ高度な英語の表現者となり、たとえば学会でも不自由なく討議できるようにしようというとき、日本語スキーマの干渉をどうやって断ち切ることができるか、その方法論を示すことなのである。本格的な英語スキーマを育成すること、あるいは、英語の知識を身体に落とし込む方法論を、認知科学者の経験から述べてみることなのだ。
日本人の英語を「脱・日本語スキーマ」すること、すなわち、英語の達人を養成することは、たしかに非常に重要な課題である。しかし残念ながら、ほとんどの日本人の英語教師にとっては、ちょっと高等すぎる。というのは、日本の英語教師の仕事の大半は、入門・初級の学習者に対し、日本語と英語との共通点に着目させ、日本語を手掛かりとさせながら、英語力の最初の足場を築かせることなのだ。言い換えれば、今井の「脱・日本語スキーマ」化とは正反対に、日本人英語教師は「日本語スキーマ」をフル活用して初級中級英語を身に付けさせる仕事をしているのだ。(もちろん日本語の意味や訳語を媒介させたりさせず、英語は英語で教えるべきだというアプローチを支持している英語教師もいるだろう。しかし、我々はそのような立場を取らない)。
この段階では、本格的な英語スキーマの形成を目指すことはない。むしろ「英語的な日本語」「日本語的な英語」のような、中間段階の「変な」言語の育成を目指すことになるはずだ。(直訳調の訳文や、瞬間英作文のトレーニングなども、中間段階の「英語的日本語」「日本語的英語」形成の一例である)。
まとめよう。外国語学習には、次の二つの段階と課題があるのではないか。
・「母語スキーマ」依存的学習法(初中級段階) 母語を通じ、その共通点に着目しながら、外国語を学ぶ段階。あるいは、母語と外国語の共通点に着目しながら、瞬時に外国語を母語に、母語を外国語に訳してみながら、中間段階の言語を形成する段階。
・「脱・母語スキーマ」的学習法(上級段階)母語のスキーマを脱し(unlearn)、外国語のスキーマを身に付けようとする学習段階 。あるいは、母語と外国語のズレを積極的に意識しながら外国語のアウトプットに努める段階。
入門・初級段階では、母語を活用しながら外国語をlearn させる、そしてある程度外国語をインプットできるようになったら、今度は母語の影響をunlearnすることが求められる。今井『英語独習法』は、母語まみれで身に付けた外国語をunlearnする合理的学習方法の模索であり、その「スキーマ」論の意義は、脱母語スキーマおよび外国語スキーマの獲得という課題のためだったのだ。
(ただし念のために書いておけば、先述のbe dead, die を区別する図表を生徒がよく理解できず、dead, dieと書き換えてしまったのは、「日本語スキーマ」に依存してしまったからであろう。日本語の訳語だけを考えていると、be deadとdead の区別がしにくいのだ。初中級段階であっても、「脱・日本語スキーマ」という課題が重要である場合があるようだ)。
以上のように整理した時、我々普通の英語講師の課題は、今井『英語独習法』とは問題意識がかなり様相が異なっていることも分かる。スキーマの準備が整っていないと、どんなに有益な情報も「大事なポイントが頭に入ってきていない」ところまでは共通である。
だが、初級中級段階の英語教育では、日本語のスキーマは多くの場合、邪魔になならない。むしろ効果的な英語学習を促してくれる媒体のはずである。分かり易い日本語を使って生徒に語り掛けているのである。それなのに、なぜ彼らは私たちの説明に耳を傾けてくれないのだろうか。
4.日本語依存的「スキーマ」でアプローチしているのに、生徒が説明をスルーするのは何故か?
せっかくホワイトボードに簡潔に「考え方」を書いているのに、かなりの数の生徒はそれがメモしてくれない。いったい、なぜなのか?現時点では、ある程度その理由について推測できる場合と、未だよく理由が分からない場合と、大きく2つの場合に分けられる。(1)日本語力不足、とりわけメタ認知力が十分に養われていないが故におきる、意思の疎通がうまくいかない場合(2)今までの教師の認識では「怠け癖」「集中力不足」だったが、本来的に言えば、学習者の持っているスキーマを解明して本当の理由を解明すべき場合である。
(1)「分析的な日本語力」が欠如している場合(あるいは「メタ認知力不足」)
(2)「省エネ」学習方略か(集中力不足?)
(3)共有できないスキーマやOSが作動している?
(1)「分析的な日本語力」が欠如している場合
普通の日本人であれば日本語は話せるしその意味もよく理解できるはずだ。しかし、少々複雑になったときにも、細かいニュアンス等をよく理解できるか、同時にその構造を客観的に分析的にとらえる能力がどれほどあるのかとなると、かなり個人差が出てくる。
要するに、日本語のメタ認知力が問われている。
a) 日本語の「主語・述語」のメタ認知がなければ、英語の「主語・動詞」はスルーしてしまう
先ほど、公立中学校の生徒たちの80%以上は、英語の動詞について正確な認識を持てないと書いた。つまり、一般動詞とbe動詞の区別がつかず、”You late for school.” “Are you play baseball?”となってしまうのだ。その原因は、そもそも日本語の「主語・述語」の概念をよく理解しておらず、英語の「主語・動詞」という概念をレクチャーしても、到底受け付けないのであろうと思われる。 日本語の「主語・述語」について納得できている生徒であれば、「日本語の『述語』にあたるものが、英語では『動詞』だよ」と一言添えるだけで、くどくどと説明しなくても、すぐすんなりと腑に落ちてくれるのだ。彼らは既存の「日本語スキーマ」を応用して、外国語の文法足場を即座に組み上げることができる。 実際、ある程度以上の難易度の私立中学の生徒さんの場合、英語の「主語ー動詞」の概念、および、動詞には一般動詞とbe動詞があること、一つのセンテンスに動詞は一つであること(動詞2や動詞0はダメだということ)は、あっけないほど簡単に理解してくれる。 ところが、「日本語の文法スキーマ」がない生徒さんの場合、教師の説明を受け止めることが出来ない。器がないところにいくら英語の知識を注いでも、ただ右から左へとスルーされていくだけである。公立中学や偏差値の低い私立中学(一貫校)では、ほとんど議論されることはないが、実は非常に重大な課題のはずだ。 b)日本語の「複文」を理解できない英語学習者は、関係詞節や従属節のレクチャーを理解しようとしないだろう。 〈注〉 複文・・・[日本語文法] 一つの文の構成部分に、主語・述語の関係が含まれているもの。英文解釈の参考書的に表現すれば、主語・述語の一つのセンテンスの中に、主語’・述語’があるもの 関係詞節・・・[英文法] 関係詞を含む節【主語’・動詞’】で、先行詞(名詞)を後ろから修飾する節、または形容詞節 従属節・・・[英文法] 接続詞+【主語’・動詞’】から成り、一つのセンテンスの中で形容詞、副詞、名詞の役割をはたす たとえば、水島醉(著), エム・アクセス(編集)『文の組み立て特訓、主語・述語専科』には、次のような問題がある。 「港で 汽笛を 鳴らしている あの 船が、ぼくたちの 乗る 船だ。」 というセンテンスの主語と述語を抜き出す問題がある。答えは、「船が」が主語で、「船だ」が述語だ。(下図を参照してください)。 主語には述語’(ここでは主語’は省略されている)の、述語には主語’・述語’からなる修飾節があるが、中核となる主語・述語は、「船が」「船だ」となる。 実は、英検2級合格を目指す小学校6年生の指導を求められたことがあるが、このようなやや複雑で長い日本語の問題を解くことが出来ないと判明したことがある。すぐに出来るようになるかと期待して簡単な指導をしてみたが、**主語と述語がちょっと離れてしまうと、一文全体の主語・述語が何であるのか、分からなくなってしまった**。修飾部分の主語’(=主語ダッシュ)述語’(=述語ダッシュ)と、主語・述語の中核部の区別がつかなくなってしまうのだ。 このような生徒さんに、たとえば、” The girl playing the piano is a student who studies at this school.” の英文を解説して理解させるのは、ほとんど不可能であろう。(主語’と主語を区別することが難しい)。 英検2級くらいまででは、たとえ英文法ができなくても、ある程度得点することは可能である。しかし、この生徒の場合、英検2級や準2級レベルのようなやや複雑な英文に挑戦するのは、あまり賢明な教育方針ではないように思われた。無理に英語学習をするよりも、まずは国語学習に専念すべきだろう。(私立小学校の生徒さんの、お試し授業の事例)。 a) b)の事例は、「確固たる日本語スキーマ」がしっかりと形成しきれていないと捉えることが可能だろう。英語を学ぶための足場となるべき力は、「日本語のメタ認知力」、すなわち「日本語を分析的・構造的にとらえると同時に、その細かいニュアンスや意味も主観的によく理解できる能力」のことである。この力が欠如していると、彼らは大事なポイントの板書をボケーと見つめ、肝心な「考え方」をノートから捨象してしまうだろう。 (2)彼らの学習方略には「省エネ」装置が作動しているかもしれない… (1)の場合というのは、要するに、「日本語力」あるいは言語の「メタ認知力」が不十分なので、英語の仕組みを丁寧にレクチャーしたつもりでも、話をほとんど聴いてもらいえないという話である。しかし、実際に教えている経験からすると、そういう理解の仕方だけで「板書をスルーしてしまう』生徒たちの現状をすべて説明できるようには思えない。やはり、生徒たちが不真面目で集中力が足りないからではないのか、という気持ちもある。なにしろ、大事な板書をノートしないのだ。いったい、どうやって復習するつもりなのだ、単に愚かな怠け者ではないのか? とはいえ、私にもいくつかの仮説がある。一つは、中学生・高校生ともなれば、自分なりの学習方略や戦略をもって臨んでいるのが普通だろう。もちろん、彼らの学習方略が適切であるという意味ではない。そして、ほとんどの場合、学習に費やす精神エネルギーが過剰にならないように「省エネ」する装置を備えている。「省エネ」装置が作動すると、過剰負担となると思われるものは、スルーしたほうが良いと判断されるのである。 たとえば、「間違えた問題はやりなおさず、容易に解けた問題だけを何回も繰り返す」「文章の意味を考えずに音読する」「単語と単語の間に働く力や意味については考えず、とりあえず丸暗記する」「覚えていない単語と覚えている単語を弁別せず、とりあえず全部の単語を書いてみる」といったやり方がその例である。 これらは、教える側からすれば、学習姿勢が怠慢であると叱りたくなる訳だが、**「定期試験対策や平常点対策では、しばしば非常に有効な方略」**なので、彼らとしても習い性になってしまっている場合が少なくない。 たとえば、知っている単語も知らない単語も、同じように意味調べをしてノートに書くというのは、私にとっては最初非常に不可解であった。しかし、学校教師から平常点をもらったり、指定校推薦の権利を獲得するには、悪くないやり方なのかもしれないのだ。実際、ある生徒は東京の某国立大学に推薦合格できたのである。 板書をスルーしてしまうのも、不適切な学習方略ではあるが、彼らなりの合理的選択なのであろうと推測できる。 (3)普通には理解不能なスキーマやOSが働いている可能性 日本語の「メタ認知力」や「省エネ」仮説ですべて説明がつくとは思っていない。やはり、どうにも良くわからない思考回路が働いているようで、私の授業について「不可解な解釈」をしている生徒たちがいるのである。 ここで彼らに対して結論やら仮説を持ち出したりするのは、やめよう。ただ私には理解できない「スキーマ」だとか「OS」が働いているのだ、ということにしておく。 しかし、彼らを理解しようという試みは続けてみたい。そして今、読み始めた本は、Google Mapの投稿ですでに簡単に紹介したが、カミラ・パン(Camilla Pang)さんの『博士が解いた人付き合いの「トリセツ」』(2020=2023) とGrowing up Austistic and Happy(2022,邦訳なし), ベネディクト・キャリー『脳が認める勉強法』(2014=2015)である。カミラ・パンさんは、2026年の東京科学大学理工学系(旧東工大)の入試問題で英文が取り扱われた人だ。bio-informaticsの専門家であり、かつASD, ADHD, GADといった「障害」を持っている、若いイギリス人科学者のようである。熱力学、ゲーム理論、進化論、機械学習などの科学の観点から、私たち人間を理解していこうとする、興味深い試みのようなので、読むのを楽しみにしている。英語の本は、小学校中学年以上向きなので非常に読みやすい英文だ。もしかしたら、生徒たちの副読本にも使えるかもしれない。 かなり長いブログとなってしまいましたが、今回はこれまでとする。 2026年3月19日
シリウス英語個別指導塾 by 東大式個別ゼミ
住所:神奈川県相模原市
南区東林間4-13-3
電話番号:042-749-2404
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