英語教材を吟味する
私たち個別指導の講師たちは、普通、生徒向けの教材を作成したりしません。市販または学習塾向きの教材を使用することになります。しかし、私たちのようなプロ講師は、無批判にそのまま使ったりはしません。
説明が不充分だとか、解説文が分かりにくい箇所があるといった場合もあります。しかし厄介なのは、答えや解説がそもそも間違っているとか、例文が不適切だったりする場合です。英語の場合は、第二次世界大戦以前の古い表現だったりすることも稀ではありません。
また、超有名な英語の先生の著作、例えば、竹岡先生だとか関先生の本でも、やっぱり間違いや勘違いはありますね。
今回から、何回かにわたって、英語教材のミスや不適切な解説などを取り上げる文章を時折書いてみることとします。 最初に取り上げるのは、東京大学の英語入試問題で、英文読んで日本語で端的に要約する問題の解答例です。大御所の大先生ばかりとなりますが、明らかな誤訳が見つかりましたので、明らかにしていきます。
高橋善昭先生と言えば、ちょっと昔ではありますが、駿台の名物先生の1人で、英語科主任(1991-2003) を担当していた実力者です。今回取り上げる高橋善昭『英文要旨要約問題の解法』(駿台文庫、2001年)は、今なお現役のロングセラーとして知られています。
しかし、本書の解答例を丁寧に吟味すると、ちょっと腑に落ちない箇所が出てきました。part Ⅰ -03「何を書くか」で取り上げられた東京大学の1965年の英語要約問題です。
結論を先取りして言えば、高橋先生がちょっと致命的な誤訳をし、その結果、要約文(模範解答)が何を言いたいのか、不可解なものになってします。
まずは東大の問題を提示しておきます。
「次の文を読み、’Industrial Revolution’ という用語が必ずしも適当と考えられない理由を60字から80字までの字数で書け」です。 (英文は少々長くなりますので、ブログの最後に掲載しておきます)。
これに対する高橋先生の解答は、以下の通りです。
(a) 産業化は
(b) 斬新的過程なので、
(c) 「革命」より
(d) 「進化」が適切であり、
(e) 産業面の変化は
(f) 社会の全分野の変化と不可分なので
(g) 「産業」も適切ではない。
どうでしょうか。この要約文の意味がすんなりと頭に入ってきたでしょうか。おそらくほとんどの人は、文章の後半の(e)~(g) が、一体何を意味しているのか、分からなかったはずです。
もう一度、高橋の要約文の後半部を繰り返し書いてみます。
「産業の変化は社会全分野の変化と不可分なので『産業』も適切でない」。
「産業の変化は社会全分野の変化と不可分なので」は違和感はありませんね。しかし、後半の「産業」が不適切だと言う結論は意味不明です。
この部分の根拠となる箇所を、高橋の訳文で参照してみましょう。
「産業面の変化を人口、運輸、農業、社会構造面の変化と切り離すのは不可能なのであるから、何故に『産業』なのかと言う疑問が出てくるのである」。
この訳文もやはり意味不明ですね。
種明かしをしましょう。すべての問題点は、Industrialを「産業」と高橋先生が訳したことにあるのです。ここは「工業(の)」と訳さなければならなかったのです。
「産業」ならば一次産業から三次産業まで、あらゆる業界が含まれます。他方「工業」であれば、原材料から製品を生産する産業部門に限定されます。すると、次のように解釈できます。
‘industrial’「産業」 産業 ≒ 人口、運輸、農業、社会構造
‘industrial’「工業」 工業 <==> 人口、運輸、農業、社会構造
再度、高橋訳(’Industrial’=産業)を掲載します。拙訳(’Industrial’=工業)と比較してみてください。
高橋訳「産業面の変化を人口、運輸、農業、社会構造面の変化と切り離すのは不可能なのであるから、何故に『産業』なのかと言う疑問が出てくるのである」。
拙訳 「(工業革命のように)、『工業』部門に限定して論じることも、大いに疑問である。というのは、工業部門の変化は、人口、運輸、農業、社会構造といった諸部門の変化と切り離して論じることは不可能だからだ」。
同様に、’Industrial Revolution’という用語がなぜ不適切なのかを説明するものとして、高橋の要約文(e)(f)(g)は、(e’)(f’)(g’)のように書き換える必要が出てきます。
高橋要約
(e) 産業面の変化は
(f) 社会の全分野の変化と不可分なので
(g) 「産業」も適切ではない。
↓
修正版
(e’) 工業部門の変化(=工業化)は
(f’) 社会の他部門(=人口、運輸、農業など)の変化と不可分なので、
(g’) (工業(革命)のように)、工業部門だけの大きな変化として記述するのは適切ではない。
どうでしょうか。明晰明瞭になったのではありませんか。
ところで、’industrial’という言葉に対し、本ブログが指摘するように「工業」と訳すことに対して違和感を覚える方も沢山いるのではないでしょうか?なんといっても,我々日本人の多くは、’Industrial Revolution’を「産業革命」という用語で習ってきたからです。
また、どの英和辞典を調べても、’Industrial Revolution’には「産業革命」という訳語しか載っていないはずです。
けれども、ここで既存の知識から自由になって、ちょっとよく考えてみてください。そもそも何故「産業革命」と訳すようになったのでしょうか。
18-19世紀の、大きく変貌しつつある英国のイメージと言ったら、それこそ、蒸気機関、紡績工場、製鉄工場ではありませんか。つまり、工業技術の驚異的変革と、それに伴う革命的な社会の変化ではないでしょうか。つまり、「工業革命」とか「工業化」と表現するのがむしろ普通の感覚で、「産業革命」と訳すのがむしろ奇異であり、何か意図的なものを感じるべきなのです。
実は私は、1970年代に、高校の世界史の授業でK先生から教えてもらっていたことを思い出しました。「工業革命」と訳すと、工業部門のみの変化だと誤解される恐れがあるので、工業を含めた全産業の大変化であると示すために、「産業革命」と訳すようになったのだそうです。
「工業革命」という風に、「工業」面に限定した表現では、実態をとらえたことにならないのでダメであるという議論があったのだとしたら、それはまさに今回の英文、つまり東大の1965年入試でとりあげられた、’Industrial Revolution’への批判の議論も、その潮流の一つであると考えて良いでしょう。
したがって、次のように推測できます。
従来の’Industrial Revolution’論には批判があったのです。つまり、工業部門の変革のみに注目し、社会全体の大変貌を見損なっているという訳です。そこで日本の歴史学界や知識人たちは、’Industrial Revolution’という概念を救済するために、その訳出にあたって、「工業革命」ではなく「産業革命」を選んだのでしょう。「産業」革命なのだから、工業中心主義ではないぞ、という解釈です。
他方、今回の英文は、従来のIndustrial Revolutionという概念や認識を否定する立場に立っています。工業中心主義的な歴史認識であると批判し、さらに歴史に即していない革命至上主義的な史観と批判しているのです。
ですから、Industrial Revolutionを擁護する立場の訳語を採用するのではなく、それを否定する立場からIndustrialを訳出しなくてはならないのです。となると、Industrial Revolutionは「工業革命(論)」とするのが一番です。現代の英和辞典には「工業革命」という言葉は掲載されていないかもしれませんが、Industrial は「工業」と訳したほうが良いのです。
もう一度、言いますよ。ここでは、我々はIndustrial Revolutionという認識と概念を否定する英文の書き手の立場に立って、訳していくと良いのです。
「工業革命論(Industrial Revolution)」なんてのは、間違った認識だよね。その実態は、「工業」でもなければ「革命」でもないからね。だって、イギリスで起きた変化は工業だけじゃない。それにフランス革命みたいな、急激な政治的大波乱が起きたわけでもないんだ。
なお、帝国書院(教科書会社)の注釈(クリック)も参考にすると面白いですよ。ここでは、産業革命論のうち、革命史観の否定について、簡単な説明があります。
偉い先生のもの、あるいは、権威ある辞典であっても、よく理解できない訳語や文を見つけることが時々あります。そのとき、自分の頭が悪いのだと決めつけるのではなく、丁寧に読み取る努力をしてみましょう。意味を理解できないのは、必ずしもあなたが悪いとは限らないのです。
東大入試問題(1965年)
次の文を読み、’Industrial Revolution’ という用語が必ずしも適当と考えられない理由を60字から80字までの字数で書け
The term ‘Industrial Revolution’ has been a little disparaged lately by historians. When using it, it is prudent to add the qualifying ‘so called’. And though it would clearly be impossible to overrate the coming industrialism, which has transformed the country and moulded the lives of its inhabitants, we know now that the changes were gradual — they had been coming for centuries. Evolution, perhaps, would be a better word than revolution. It is quite impossible to take a date, say 1760, and say ‘here begins the Industrial Revolution’ — and equally unsound to make it end somewhere about 1830 or even 1850. The process of industralization began before the eighteenth century, and has been going on at an increasing rate ever since. And why industrial, it is even asked, since it is impossible to separate changes in industry from changes in population, in transport, in agriculture, and in social structure. Each acted and reacted on the other. Again, though the inter-relation is less direct, the changes in the spirit of the age and in the literary fashion are all connected with the growth of an urban civilization and the increasing command over Nature.