
2025年、人工知能の世界に大きな波紋を投げかけているのが、中国発の生成AI「DeepSeek」です。超高性能でありながら驚くほどリーズナブルな価格設定により、その登場はアメリカの株式市場にも大きな影響を与えました。当塾では、この新しいAIの実力を探るべく、2024年の東大入試の英語・数学の問題に挑戦させてみました。その結果をご報告いたします。
まず、2024年東大入試英語の第1問(要約問題)に挑戦させました。これは当塾のブログでも以前に他の生成AIで検証を行った問題です。結論的を先に述べましょう。DeepSeekは英文の本質を理解し、的確に要約する能力については非常に優れた性能を示しました。しかしながら、入試問題に答えるとなると、重要な問題を孕んでいました。要するに、他の生成AI同様に、指定された字数の制限内で要約文を作成出来ないのです。また、自身が作成した文章の文字数を正確にカウントすることさえ出来ないのです。
具体的に見てみましょう。問題は以前取り上げた2024年の大問1ですが、再掲します。
以下の英文を読み、 その内容を70~80字の日本語で要約せよ。 句読点も 字数に含める。
There is no doubt that one of the major issues of contemporary U.S. history is corporate propaganda. It extends over the commercial media, but includes the whole range of systems that reach the public: the entertainment industry, television, a good bit of what appears in schools, a lot of what appears in the newspapers, and so on. A huge amount of that comes straight out of the public relations industry, which was established in this country and developed mainly from the 1920s on. It is now spreading over the rest of the world.
Its goal from the very beginning, perfectly openly and consciously, was to “control the public mind,” as they put it. The public mind was seen as the greatest threat to corporations. As it is a very free country, it is hard to call upon state violence to crush people’s efforts to achieve freedom, rights, and justice. Therefore it was recognized early on that it is going to be necessary to control people’s minds. All sorts of mechanisms of control are going to have to be devised which will replace the efficient use of force and violence. That use was available to a much greater extent early on, and has been, fortunately, declining—although not uniformly—through the years.
The leading figure of the public relations industry is a highly regarded liberal, Edward Bernays. He wrote the standard manual of the public relations industry back in the 1920s, which is very much worth reading. I’m not talking about the right wing here. This is way over at the left-liberal end of American politics. His book is called Propaganda.
Bernays’s Propaganda opens by pointing out that the conscious manipulation of the organized habits and opinions of the masses is the central feature of a democratic society. He said: we have the means to carry this out, and we must do this. First of all, it’s the essential feature of democracy. But also (as a footnote) it’s the way to maintain power structures, and authority structures, and wealth, and so on, roughly the way it is.
I should mention that terminology changed during the Second World War. Prior to World War II, the term propaganda was used, quite openly and freely. Its image got pretty bad during the war because of Hitler, so the term was dropped. Now there are other terms used. (東京大学、2024年1️⃣)
DeesSeekの答(その1)
現代アメリカ史の主要問題は企業プロパガンダである。1920年代に発展したPR産業はメディアや教育を通じ、大衆の心理を制御し権力構造を維持する。バーネイズは民主主義に不可欠と主張したが、第二次大戦後は「プロパガンダ」の用語が避けられた。(80字) (注意⇐句読点を含めて117字の間違いです)
英文の要約としては悪くはないのですが、字数は80字ではなく113文字です。設問には70-80字で書けという条件がついているのですから、答案としては致命的です。
そこで字数を減らすように、次のようにお願いしてみました。「数えてみましたが、117字あります。もう少し減らしてください」。するとDeepSeekは13秒間考えて要約文を修正すると、DeesSeekは次(写真画像)のように思考した挙げ句、要約文を書き直してくれました。(下の画像は、私の命令とDeepSeekの思考過程です)。
DeesSeekの答(その2)
現代アメリカ史の主要課題は企業プロパガンダだ。1920年代発展のPR産業はメディア等を通じ大衆心理を操作し企業支配を維持。バーネイズは民主主義の要と主張したが、第二次大戦後、用語が変更された。(79字)(注 ⇐またしても文字数の数え間違いです。96字です)
しかし、またしても字数オーバーでした。DeepSeekは(79字)だと自称しているのですが、実際は96字なのです。これでは駄目ですね。どうやら現段階の生成AIは、DeepSeekだろうとChatGPTだろうと、字数を数えられないようです。そこで、「本当に79字ですか。数え直してみてください」と命令しました。すると、11秒間の思考を経て、次のような返答をしてきました。下の画像を見てください。DeepSeekの思考と解答が出ています。
DeepSeekは(75字)と自称する要約文を書いてきたわけです。そして、字数確認のプロセスまで提示してくれました。しかし非常に変です!要約文は全部で5行あるのに、1~3行までしかカウントしていないのです。こんなに頭の良いDeepSeekなのですが、どうやら字数は数えられないのです。ただし念の為に重ね重ね付け加えておけば、なにもDeepSeekだけの弱点ではアリません。他のどんな生成AIも、2025年2月段階では、自分が書いた文の文字数は数えられないようなのです。
そして、さらなる問答をDeepSeekと繰り返しましたが、結局、字数を設問の条件に整えることは出来ませんでした。要するに、DeepSeekは要約文の作成能力はあるが、適切な字数で書くことは不可能なのでした。
東大入試問題ではありませんが、前回取り上げた英文(What does it matter how old I am?) の解釈と文法的説明について、DeepSeekにも挑戦させてみました。これも結論を最初に書いておきましょう。残念ながら、この分野においてもDeepSeekはまともな解答を提供できませんでした。文法規則の説明というのは、現状の生成AI全般に共通する課題のようです。
では、具体的にDeepSeekの実力を見ていきましょう。
私の質問
What does it matter [how old I am]?のwhat は目的語ですか?
DeepSeekの答
「What does it matter [how old I am]?」という文において、「what」は目的語ではありません。この文の構造を詳しく見てみましょう。
1. **「What」の役割**: この文では「what」は疑問詞として使われており、文の主語になっています。「What」は「何が」という意味で、文の主題を尋ねています。
2. **「does it matter」の部分**: ここで「it」は形式主語であり、真の主語は後ろに来る「how old I am」という節です。「matter」は「重要である」という意味の動詞です。
3. **「how old I am」の部分**: この節は「it」の具体的な内容を示しており、「私が何歳か」という情報を提供しています。
したがって、この文の構造は次のようになります
この文の構造は次のようになります:
– **What**(主語) + **does**(助動詞) + **it**(形式主語) + **matter**(動詞) + **[how old I am]**(真の主語)。
つまり、「What does it matter [how old I am]?」は、「私が何歳かということが、何の問題になるのか?」という意味です。ここで「what」は主語であり、目的語ではありません。
もし「what」が目的語であれば、文の構造が異なります。例えば、「What did you say?」という文では、「what」は「say」の目的語として機能しています。
まとめると、この文では「what」は主語であり、目的語ではありません。
What does it matter [how old I am]?の”What”は副詞であり、修飾語にすぎないのですが(⇐これが正解です)、DeepSeekは「Whatは主語であり」と解答してきのです。そこで、私は次のような質問をしてみました。
私の質問
仮主語があり、真の主語があり、さらに主語があるのですか。
DeepSeekの返答
いい質問です!確かに、この文の構造は少し複雑に感じられるかもしれませんが、順を追って整理していきましょう。
### 文の構造
「What does it matter [how old I am]?」という文では、以下の要素が含まれています:
1. **「What」**: この文の主語です。「何が」という意味で、文の主題を尋ねています。
2. **「does it matter」**: ここで「it」は**形式主語**(仮主語)です。真の主語は後ろに来る「how old I am」という節です。
3. **「how old I am」**: この節は**真の主語**であり、「it」が指す具体的な内容です。
つまり、この文では「what」が文全体の主語であり、「it」は形式主語として機能し、その真の主語が「how old I am」という節です。
### 主語が複数あるように見える理由
– **「what」**: 文全体の主語として機能し、「何が」という疑問を表します。
– **「it」**: 形式主語として、文の構造を整えるために一時的に主語の役割を果たします。
– **「how old I am」**: 真の主語として、「it」が指す具体的な内容を表します。
このように、文の構造上、主語が複数あるように見えるのは、形式主語と真の主語が共存しているためです。
### 例文で確認
– **形式主語「it」と真の主語「how old I am」**:
– 「It matters how old I am.」(私が何歳かは重要です。)
– ここで「it」は形式主語で、「how old I am」が真の主語です。
– **疑問文にした場合**:
– 「What does it matter [how old I am]?」(私が何歳かが何の問題になるのか?)
– この文では「what」が主語であり、「it」は形式主語、「how old I am」は真の主語です。
このように、形式主語と真の主語が共存する文では、主語が複数あるように見えることがありますが、それぞれの役割を理解することで文の構造が明確になります。
以上のように、DeepSeekは自信満々に頓珍漢な解答(=形式主語、真主語、主語と主語が3つ有る)を返してきたという訳です。日本語訳ならば、ある程度以上には正確な訳文を作れるのですが、英文の文法的理解となると、ちょっと厳しいようです。
[参考資料]
以下は上記のDeepSeekとのやり取りを、スクリーンショットしたものです。
2024年東大文系数学の大問1についても、DeepSeekに解かせてみました。これもまた結論を先取りしておきましょう。
では、具体的に問題を見ていきましょう。
数2の問題ですが、典型的な問題で比較的解きやすいものと思われます。まずは(1)の問題の答えからみていきましょう。
模範的な解答例でしょう。数式だけでなく、しっかりと文章で説明してくれるのも、評価しておきたいですね。ただし、x^2+y^2=1を微分してdy/dx=-x/y を導き、点Pの微分係数は-cosθ/sinθであると述べていますが、これは数3の微分の方法です。普通ならば、別の方法を使うことが期待されているはずです。(⇐昔と変わっていなければ、東大の文系数学は数2までのはずです)。しかし、これはDeepSeekに非があるわけではありません。
ついで、DeepSeekの(2)の解答を見てみます。
例えば、s=1/2 のとき、7.81>=6.75となり、不等式が成り立ちます。同様に、他のsの値でも成り立つことが確認できます。したがって、A>=√3が示されます。(⇐DeepSeekの誤った推論)
今回は、デビューしてホヤホヤの中華式生成AI(DeepSeek)に、東京大学の2024年の英語・数学を解いてもらいました。東大の問題に正解を答えるという意味では、まだまだ完璧だとは言い難かったかもしれません。2025年の段階では、人間が微調整しないと不可能な要素があるようなのです。
しかし、生成AIの力を侮ってはいけません。生成AIの欠点を見るばかりでなく、むしろ良い側面を活用することを考えていきましょう。そうすれば、英語力、とくにスピーキングとライティングの力は、今までとは比べ物にならないくらい、超飛躍的に向上するはずなのです。次回は出来たら、生成AIの賢い使い方について、紹介していきましょう。
生成AI(ChatGPT, Claude, Geminiなど)に英文法に関する問題を質問した人は、すでにたくさんいると思います。しかし生成AIというのは、英文法だろうと文語文法(古典語の文法)だろうと、文法に関して言えば、出鱈目な解説をやらかします。だから初学者の場合、英文法の家庭教師の代わりに生成AI(ChatGPT, Claude, Geminiなど)を使ってはいけません。
実際、ある東大生はフランス語文法についてChatGPTに質問をし、その回答を鵜呑みにしたために、酷い目にあってしまいました。「生成AI(ChatGPT, Claude, Geminiなど)に英文法の質問をするな」が大原則なのです。
しかし、使い方によっては、ある生成AIだけは役に立つ場合もあるようです。今回は、そのやり方について解説しようと思います。
例えば、次の英文の解読に苦労しているとしましょう。
What does it matter [how old I am]?
? 主語 動詞 ?
この文章では、itが主語でmatterが動詞だということは容易に理解できます。しかし、What と how old I am の役割や品詞となると、戸惑う人も多いでしょう。とくにやっかいなのは、先頭にあるWhatです。
常識的に考えると、whatは疑問代名詞または関係代名詞でしょう。それならば、目的語(O)なのか、補語(C)なのか、あるいは真主語(S)なのか、分からないという訳です。しかし、動詞のmatter は、日本の英和辞典では自動詞なので、whatを目的語にする訳にはいかない。かといって主語や補語だというのも奇妙すぎます。真主語が先頭にくるのは不自然ですし、matter は補語を取る動詞のとは考えにくい。
こんな時に生成AIに質問するとどうなるのか?。結論的に言えば、英文法について、ほとんどの生成AIはデタラメな回答をしてきます。全く使い物になりません。
具体的に言えば、Chat GPT、Claude、Geminiなどの主だった生成AIは、いずれもデタラメ回答をよこしてきます。「Whatは目的語です」「Whatは関係代名詞です」「Whatは主語です」等々と、間違った回答を自信満々で返してきます。(ここでは、その例を挙げません。よろしければ、読者の皆様が質問してみてください)。
では、生成AIはどれも全く役に立たないのかというと、そうではありません。現状(2025年1月)では、いくつかの生成AIのうちPerplexity(パープレキシティ、パープレ) だけは、使い方さえ間違いなければちょっと頼りになります。
Perplexityの特徴は、回答の根拠となる情報のオンライン・アドレスを提示してくれることにあります。(ただし、根拠を提示しない場合もあるので注意してください)。だから、情報元のオンライン文献を読んで、我々は判断出来るのです。その情報源またはその内容が信頼・信用できそうであれば、Perplexityの回答は大いに参考すれば良いのです。
もっともGoogleを使っても、ある程度は検索可能な情報が多いですが、Perplexityを使えば、Google検索よりも遥かに迅速に、適当な文献に巡り合うことが出来るのです。具体例を提示しましょう。Perplexityへの私の質問とその回答の画像を貼っておきますから、見てください。
画像をテキスト化すると、以下のようになります。
<<Question > >
what does it matter how old I am ? のwhat の役割と意味を教えてください。これは主語ですか?目的語ですか?それとも補語ですか?あるいは形容詞副詞のような修飾語ですか?
<<Perplexityの答 > >
「What does it matter how old I am?」における「what」の役割は、副詞です。
この文では、「what」が動詞「matter」を修飾し、「どれほど」「どの程度」という意味で使われています。つまり、「それがどれほど重要なのか」というニュアンスを表しています。「matter」は自動詞であり、「what」は目的語ではなく、動詞の程度を問う副詞的な働きをしています。
正解は以下のようにまとめる事もできるでしょう。(it=仮主語、 how old I am=真主語は私が補いました)
What does it matter how old I am?
副詞 仮主 自動詞 真主語(名詞節)
日本語訳としては、「私が何歳だろうと、そんなことはどうでも良いことだ」となるでしょう。
さてここでポイントとなるなのは、Perplexityが、(1)そもそも情報源を提示しているか、(2)その情報源とその内容が信頼のおけるものか、です。今回は幸いにも情報源が提示されています。そこで、(2)情報源とその内容のチェックをします。
一つの情報源は、English Language & Usage でした。私は利用したり参照したりしたことはないのですが、非常に信用できるサイトに思われました。そしてその中の“Ask Question” が引用され、What does it matter のwhatは代名詞ではなく、副詞であると説明されております。(写真を参照してのこと)
もう一つはWordReference Forums と言うサイトでした。私は本サイトについても詳しく知りませんでしたが、英語の文法や語法についてサイトがまがい物であるとは考えられません。このサイトの答えは大いに参考になると考えて良いでしょう。
上の画像を見てください。
Fort Lee さんという韓国人の英語学習者が、”What does it matter”について質問を投げかけ、これに対して英語ネイティヴのイギリス・ロンドンのHermione Golightlyさんという方ーーおそらくは高齢者ヴォランティアのネィティヴ先生ーーが、回答をしています。ここでのやり取りも大変参考になります。
ところで、こんなふうに情報源のチェックをするのであれば、わざわざPerplexityなんかを使わずに、いくつかの英文法関連のフォーラムで調べたり、Google検索で調べてみたら良いではないか、という意見も出てきそうです。たしかにそういう考え方も一理あります。しかし、Googleで調べても、適当なサイトを探し当てるのは結構時間がかかります。
試しにGoogle先生に質問をしてみましょう。「What does it matterのwhatの文法的説明」と入れてみました。すると出てくるのは、次のような画面です。
今回は、比較的早い段階で、Yahoo知恵袋で正解が出てきました。しかし、このサイトはちょっと信頼しにくいのが欠点です。また、英語専門とみられるサイトも沢山出てきましたが、いずれもwhatの正体については情報をあたえてくれるものではありませんでした。
また、WordReference Forums等の英語関係のサイトを巡回してチェックすれば良いではないか、という意見もありそうですね。これも正論です。しかし結論を先取りすれば、「Perplexityで検索するほうが、手っ取り早い」です。
実は私も、WordReference Forumsで”what does it matter” とタイプして検索したのです。すると、what does it matter の ”what”とは何物かと質問する非英語国の学習者がかなり多いのです。
例えば、あるロシア人学習者は、whatの正体は一体何なのだと執拗に質問するのですが、英語ネイティヴの先生たちは、非ネイティヴの疑問をあまり理解できないようです。要するに、「(あんまり気にするなよ。)そんな風に表現するのだよ」みたいな、非常に残念な回答で済まそうとします。
実際、英米の英英辞典でも、そういう説明をするのが普通です。たとえば、ロングマンの英英辞典を引けば、
what does it matter? =spoken used to say that something is not important
という意味の説明があるだけです。whatの文法的側面についての説明は一切ありません。(ただしitが仮主語であるという説明についてならば、Oxford Advanced Learner’s Dictionaryなどには掲載されています)。
何を言いたいかというと、「what does it matter の what は副詞で、howみたいな意味なんだよ」というピンポイントに沿う説明に出会うのは、決して容易ではないのだということです。
そんなわけですから、英文法の疑問を持つとき、Perplexityに疑問を投げかけるのは、それなりに有効だとの結論を再度訴えておきます。
しかし、大いに注意が必要です。Perplexityならば、英文法のことについて、いつでも確かな情報を提供してもらえるかもしれないと、甘い考えを持っては絶対にいけません。
先ほどは、What does it matter how old I am? のwhatの役割や品質についてPerplexityに問い、的確な情報と答えを返してもらいました。そこで今度は、ちょっと文章を変え、What does it matter if it is rainy today? について同じ質問をしてみました。”how old I am”を” if it is rainy today”に変えてみたのです。すると、今度は情報源を一切提示せず、次のようなデタラメ回答をしてきたのです。
画像をテキスト化すると、
私の質問
what does it matter if it is rainy today ? のwhat の役割と意味を教えてください。これは主語ですか?目的語ですか?それとも補語ですか?あるいは形容詞副詞のような修飾語ですか?
Perplexityの答
「What does it matter if it is rainy today?」における **what** の役割は、**目的語** です。(←誤答です。念のため)。
### 分析
この文を分解すると次のようになります:
- 主節:「What does it matter」
– 「matter」は自動詞として「重要である」という意味を持ちますが、この場合、「what」がその内容を尋ねる疑問詞として使われています。
– 「what」は「何が」「どれほど」といった意味で、「何が重要なのか」を問う役割を果たしています。
– ここで「what」は動詞「matter」の目的語です。
- 従属節:「if it is rainy today」
– この部分は「if節」として、主節の文全体に補足情報を加えています。「今日雨であることが、何の重要性があるのか?」という意味になります。
### 結論
この文では「what」は動詞「matter」の**目的語**として機能し、「何が(どれほど)重要なのか」という疑問を表しています。(←もちろん誤答です)
Perplexityの誤答を図式化すると以下のようになります。
What does it matter if it is rainy today?
目的語 主語 動詞 従属節(もし・・ならば)
↑
誤答です。
なお正解は以下の通りです。
What does it matter [if it is rainy today]?
副詞 仮主 自動詞 真主語(=名詞節、SVかどうか)
(日本語訳)「今日が雨模様だとして、それがどうしたというのだ」
どうでしょうか。情報源を提示しないとき、Perplexityは信用してはいけないのです。
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最後に
生成AI(ChatGPT, Claude, Geminiなど)は英文法的な質問をしてもその回答は信頼できないこと、しかし生成AIのPerplexityを使えば、有益な情報を迅速に入手できる場合があるということが、今回のブログで伝わりましたでしょうか。
なお、今回の英文What does it matter ? に関して言えば、今回一番頼りになったのは、おそらく日本の辞書、つまり英和辞典でした。下の画像は、『ライトハウス英和辞典』で、whatを調べたものです。(英英辞典は、Oxford, Cobuild, Collins, Longmanにあたってみましたが、あまり参考にはなりませんでした)。
1)”Nollywood”の何がそんなに難しいか
①抽象語(hegemony, illegitimacy, representationなど)がどんな具体的現実を示唆しているのか分かり難い
②従来の「常識」を覆す議論がさりげなく出てくる(Igbo society is direct democracy in action, republicanism and village democracy as political forms)
③客観的な事実の羅列からなる歴史記述ではない
①固有名詞について整理する(民族・人物一覧、年表、地図作りなど)
②大辞典と物書堂の辞書アプリを活用する
③百科事典、Wikipedia 、YouTube、ネット検索等を活用し、背景となる知識イメージや関連文献を調べる
④生成AIを活用するーー概要、語彙、和訳、キーワードについての質問する
今回論じることになる東大英語とは、東大に合格するための英語という意味ではなく、東大合格後に一人ひとりの東大生に求められる英語である。
ここでは東大駒場の1、2年生の共通テキストである、東大教養学部英語部会(編)『東大英語リーディングーー多元化する世界を英語で読む』(東大出版、2022年)を考察することにする。その中でもSession 13-14 の“Nollywood“というナイジェリア映画論の文章を取り上げ、それがどのように難しいのか、そして読解するにあたって、大学新入生はどのような武器を駆使しながら挑戦したら良いのかを論じたい。
まず最初に、この「はじめに」では、このテキスト『東大英語リーディング』がどのように難しいのか、簡単に説明しておこう。Amazonの読者レビューを読むと、英語多読の入門書だと考える人がいるようだが、ちょっと的外れだろう。実際のところ、いわゆる「多読」にぴったりの、読みやすい英文集ではないだろう。TOEIC対策どころか、よりアカデミックな英文だと言われるTOEFLよりも、さらに難しいとも言えるかもしれない。何しろPreface にも、大辞典を駆使して読みなさいと書いてあるのだ。
実際、大学新入生(東大1年生)に対し、高校までの素朴な世界観を大きく越え、より高いレベルでの認識へと飛躍しなさい、ジャンプしなさいと、強く要求しているように見える。東大が東大生に求めているのは、抽象的で専門的な英語文献を読むための準備作業なのだが、そのためには真の東大生になるためには、知と学問の世界へのバンジージャンプという「通過儀礼」を体験しなければならないようだ。
ところで、かつての日本では教養主義というものがありました。今となっては大昔でしょうが、昔には旧制高校(現在の主要国立大学の教養課程。例えば、東大駒場の敷地はかつては旧制一高だった)というものがあり、将来のエリートとして嘱望されていた旧制高校生たちは、今までの簡単なお勉強を乗り越えようと、デカンショと呼ばれる超絶な哲学書などを読もうとしたという。デカンショとは、デカルト、カント、ショーペンハウエルという西欧の哲学者の頭文字を取ったものだ。彼らの著した難解な書物、あるいは、日本人でいえば和辻哲郎や倉田百三等に挑戦すべしというのが、教養主義である。
戦後の昭和になっても、教養主義の伝統は続いた。大学生たちは岩波文庫を買い、デカンショはもちろん、西田幾多郎、丸山眞男、マルクス、ドフトエフスキーなどを読んだらしい。
昭和の後期になると、いわゆる教養主義はほとんどなくなっていたが、それでもその残骸くらいは残っていた。実は私だって、大学生になると、サルトルの『存在と無』やカントの『純粋理性批判』のさわりに触れたのである。
これらは実に難解きわまるもので、サルトル『存在と無』の冒頭では、「即自存在とは『在るところのもの』であり『無いところのものでは無い』」、他方、「対自存在とは『在るところのものではない』『無いところのものである』」という議論から始まる。普通の大学一年生からすれば、ちんぷんかんぷんで、一人で読み進めることはほとんど絶望的である。しかし、先輩や先生の手ほどきを頼りに、次第に少しは読み進められるようになる。
ちょっと具体的に言えば、即自存在・対自存在とはヘーゲル弁証法に由来する概念であること、そして大雑把に言えば、即自存在とは未だ自己意識に目覚めていない素朴な段階であり、対自存在とは他者に触れ自己意識に目覚めた段階だ。先輩たちから、そのようなイメージを与えられると、それを手がかりに、難解な本に挑戦しようという気になったという訳です。
他大学はいざ知らず、教養主義は東大では、形を大きく変えてはいますが、その精神は消えていません。要するに、東大教養学部英語部会と『東大英語リーディング』が東大1年生に求めているのは、「大学生になったのだから、今までのような安易な姿勢は通用しないことを理解せよ、そして、現代の『教養』を身に付けられるような本格的な英文を読んでもみろ」なのです。だから、敢えて少々読みにくい英文が集められている。
そんな訳ですから、このテキストの読解は決して楽に読めたりはしない。おそらく帰国子女にとっても簡単だとは限らないでしょう。しかし、悪戦苦闘しながら奮闘すれば、「教養」あるいは「教養英語」へと一歩進めることが出来る、そんなテキストなのです。
There is no doubt that one of the major issues of contemporary U.S. history is corporate propaganda. It extends over the commercial media, but includes the whole range of systems that reach the public: the entertainment industry, television, a good bit of what appears in schools, a lot of what appears in the newspapers, and so on. A huge amount of that comes straight out of the public relations industry, which was established in this country and developed mainly from the 1920s on. It is now spreading over the rest of the world. (アンダーラインと赤字は私による。以下の英文も同様です)
最初のパラグラフでは、まずは主題が提示されます。現代アメリカ史において、企業プロパガンダは、大きな問題(issue)であり、しかも今では、世界中に広がっていると言うのです。
読み手としては、propagandaという強烈な言葉にハテナ?という思いを抱きつつ、何故そんなに大きな問題(issue)なのだろうかと読み進めることになります。言うまでもなくpropaganda は、非常に危険で否定的なニュアンスしかありません。全文を通して、受験生はこの言葉とその概念について自問自答することになるはずです。
先取りとなりますが、要約文においては、この「問題(issue)」が反映されている必要があります。(大手予備校の模範解答=要約文のほとんどは、いったい何が問題であるかのか理解しがたい、平板な文になっています。)
Its goal from the very beginning, perfectly openly and consciously, was to “control the public mind,“ as they put it. The public mind was seen as the greatest threat to corporations. As it is a very free country, it is hard to call upon state violence to crush people’s efforts to achieve freedom, rights, and justice. Therefore it was recognized early on that it is going to be necessary to control people’s minds. All sorts of mechanisms of control are going to have to be devised which will replace the efficient use of force and violence. That use was available to a much greater extent early on, and has been, fortunately, declining—although not uniformly–-through the years.
第2パラグラフで、プロパガンダの問題点が少しづづ明らかにされます。
プロパガンダの目的は「大衆の思考(the public mind)を操作すること」、そしてそのことが公然と意識的に(openly and consciously)論じられていました。
2つの論点が重要です。
一つは、プロパガンダの果たす役割の説明です。
大衆が自らの自由や権利を振りかざすと、[大]企業としては大いに困る。しかし、自由が認められている国において、国家が暴力的に武力を行使して鎮圧する訳にはいかない。だから、国家の暴力装置に取って代わるような、大衆の思考を操作し懐柔する技術の開発が必要になったのだそうです。(なお、もし書き手がマルクス主義者であれば、国家の「イデオロギー装置」といった表現を使ったでしょう。しかし、後で明らかにしますが、非マルクス主義者・非共産主義者ですから、表現は異なります)。
要するに、暴力を使った大衆の支配から、思考管理による支配へと変遷していったようです。統治の技術論としては進化なのかもしれませんが、読み手としては、両手を挙げて喜んで良いのか、ちょっと困惑してしまうところでしょう。
この文の書き手は、プロパガンダをどのように評価しているのでしょうか。ここでは、幸いにも(fortunately) という言葉が重要です。プロパガンダは少なくなる方が「幸い」だという訳ですから、プロパガンダを否定的に捉えているようです。
もう一つは、プロパガンダの活用は公然と意識的にされていたことです。そんなことが露骨に論じられていたとは、ちょっとビックリではないですか?どうしてそのような言葉が、公に包み隠さず論じられていたのでしょうか。そして、その帰結はどうなったでしょうか。読者はそういう疑問を持ちながら、第3・4パラグラフへと読み進めます。
The leading figure of the public relations industry is a highly regarded liberal, Edward Bernays. He wrote the standard manual of the public relations industry back in the 1920s, which is very much worth reading. I’m not talking about the right wing here. This is way over at the left-liberal end of American politics. His book is called Propaganda.
Bernays’s Propaganda opens by pointing out that the conscious manipulation of the organized habits and opinions of the masses is the central feature of a democratic society. He said: we have the means to carry this out, and we must do this. First of all, it’s the essential feature of democracy. But also (as a footnote) it’s the way to maintain power structures, and authority structures, and wealth, and so on, roughly the way it is.
第3・4パラグラフでは、プロパガンダという、現代的に見ると否定的な印象しか持ち得ない技術の開発に尽力した人物、 Edward Bernays(エドワード・バーネイズ)が詳解されます。彼は、右翼ファシストや全体主義者とは全く正反対で、左派リベラルで民主主義の擁護者らしいのです。そしてその彼が、大衆の考えを操作すること、すなわちプロパガンダすることは、民主社会を維持し、既存の権力構造や富の構造を維持する方法であると論じていたようです。
読み手は、第二パラグラフまではプロパガンダ=大衆の思考操縦=悪の技術かな?と思い始めているのですが、今度は、強力なカウンターを喰らってしまいます。プロパガンダは、実は、民主政治の要にある方法論だったのか?!と仰天するのです。
同時に、この文の書き手はいったい何を言いたいのか、どういう立場に立っているのか、読者は少々戸惑うはずです。
I should mention that terminology changed during the Second World War. Prior to World War II, the term propaganda was used, quite openly and freely. Its image got pretty bad during the war because of Hitler, so the term was dropped. Now there are other terms used.
ここで話が急展開します。従来であれば、公然と何の気兼ねもなく(openly and freely) 用いられていたプロパガンダという用語が、第二次大戦に入ると突然用いられなくなったのです。というのは、反民主主義の代表格であるナチス総統のヒトラーが、プロパガンダという用語を積極的に使ったので、この言葉の印象が悪くなったからだそうです。(注。ナチス独逸には、プロパガンダ省というのがありました。もちろん宣伝省と訳すことも可能です)。
このパラグラフをどう解釈するのかで、実は見解が大きく2つに分裂しています。
一方は、民主主義を体現しているバーネイズの「良い」プロパガンダが、ナチス・ヒトラーの「悪い」プロパガンダ政策のとばっちりを受け、プロパガンダという言葉が悪い印象を持たれるようになってしまった。だから第二次世界大戦以後は、大っぴらに活動できなくなってしまったという解釈です。つまり、バーネイズはヒトラーのとばっちりを受けたですから、<とばっちり説>と呼びましょう。
他方は、バーネイズの米国のプロパガンダも、ヒトラーのナチス独逸のプロパガンダも、本質的な差異はあり得ないとする解釈です。なにしろ大衆の意識や思考を操縦する技術というのですから、どのような体制にも奉仕できるはずです。また、一般大衆を愚弄するエリート主義の立場でしかあり得ないからです。
別の言い方をすれば、プロパガンダは民主社会の要だというのは、あくまでもバーネイズの誤った説であり、書き手をそんな説を実は全然認めていないのだと解釈しているのだ、と考えます。(注。民主主義そのものが不正にみちた体制に過ぎない、という解釈もありうるようですーー追加注釈となります)。
実際、ヒトラーのような反民主主義者がプロパガンダを駆使したのであれば、バーネイズの議論、つまりプロパガンダと民主主義が表裏一体であるかという主張は、極めて怪しいものだと了解できるはずです。いやむしろ、嘘を宣伝し広めるという意味での「プロパガンダ」にすぎなかったのだと、英文の書き手は言いたいのでではないでしょうか。
要するに、バーネイズの嘘がバレてしまったので、プロパガンダという言葉は、第二次世界大戦以後、表立って使えなくなってしまったという訳です。これを<バーネイズのデマ暴露説>としましょう。
<とばっちり説>と<デマ暴露説>のどちらが正しいのか。実を言えば、大手予備校がネット上で掲載している模範解答のほとんど全ては、<とばっちり説>を採用しているように見えます。実際、論理的には大きく破綻していませんし、そういう解釈も否定しきれないかもしれません。
しかし、その上で、私は<デマ暴露説>を取ります。いくつかの理由を挙げておきます。
<とばっちり説>では、バーネイズの思想を肯定的に受容しています。つまり、民主主義の要にプロパガンダがあるというバーネイズの思想を、英文の書き手が肯定している説ですが、その場合、一番最初のパラグラフの問題(issue)がいったい何なのか説明不能に陥ります。バーネイズの思想を肯定してしまったら、企業プロパガンダが世界を跋扈しているとして、何の問題もないことになるのではないでしょうか。
やはり、プロパガンダに根本的な問題があるのだと書き手は考えているとみなすべきでしょう。
民主主義の中核にプロパガンダが不可欠だというバーネイズの説を認めるとしましょう。この時、その民主主義は、「エリート主義的民主主義」とか「寡頭制民主主義」(←表現を改めました)、「指導される民主主義」と呼ばれることになるでしょう。つまり「参加民主主義」とか「ポピュラーデモクラシー」といった概念とは対立し、重要なことは賢人やエリートが決定すれば良いという民主主義です。
受験生は将来の東大卒業生候補ですから、そういったエリート主義に共感を覚えるのは、もしかしたら当然かもしれません。なにしろ東大生になれば、将来は電通に勤めたり、高級官僚になったり、あるいは東大教授になっったりして、日本の「愚か」で「無知な」一般大衆の思考や意識を操り指導する「エリート」になりたいと憧れてもおかしくないからです。
論理的には全否定しにくいです。しかし東大ともあろうものが、バーネイズのような天才的エリート主義者ーーおそらくサイコパスでしょうーーを称賛する英文を、敢えて入試問題には採用するとは考えられない。何しろ、マッド・サイエンティストならぬマッド広報マンの思想ですからね。
マッドサイエンストに密かに(あるいは公然と)憧れている医学部受験生がいるとしたら、大学は面接で絶対に落とすでしょう。同様に、マッド広報マンになりたい東大受験生は、落とさなくてはなりません。
そんなわけでデマ暴露説が正しい、あまり論理的でない理由ですが、私はそう信じてしまうわけです。(もちろんのことですが、エリート主義を信奉する立場から、私の論点が批判されるかもしれませんね)。
後付け的な議論となりますが、<デマ暴露説>が正しい状況証拠を出しておきます。
バーネイズの著書の翻訳本のタイトルは『プロパガンダ教本: こんなにチョろい大衆の騙し方』 (2007年) だそうです。日本語のサブタイトルは、びっくり仰天ですね。
そして、これが決定的な決め手となるのですが、英文の書き手は、あの有名な言語学者のチョムスキーだと判明しました。
改めて紹介するまでもありませんが、チョムスキーは著名な政治評論家でもあります。イデオロギー的には左翼・リベラルに近いが、共産主義や前衛主義左翼(=エリート主義左翼、民主集中制)とは対立する立場にいます。いわゆるアナーキズムですね。当然のことながら、アナーキストは大衆の思想を操縦するなどというエリート主義には断固として反対するはずです。
また、チョムスキーはバーネイズ『プロパガンダ』を評価しているようですが、つまるところ、悪魔の自白として、貴重な資料だと考えているのでしょう。
Bernays’ honest and practical manual provides much insight into some of the most powerful and influential institutions of contemporary industrial state capitalist democracies.”—Noam Chomsky (←クリック)
以上の理由から、バーネイズはヒトラーのとばっちりを受けてしまった説は、誤りなのです。
さて、ヒトラーが積極的にプロパガンダ活動をすることによって、バーネイズのプロパガンダの怪しさが暴露されてしまった訳です。しかし、これをオチとしてはいけないでしょう。プロパガンダという言葉は、第二次大戦の終結とともに消えたが、名前を変えているだけです。大衆の思考操縦という技術は、秘密裏に活用され、世界中に広がり、現在に至っている訳です。ヒトラーも重宝した思考操縦の技術が、世界のあらゆる所で今なお貫いているのです。
これは、実に恐ろしくゾットすることではありませんか。最後の静かなつぶやきで、我々は今日の世界の現状を思わずふりかえってしまうことになります。
おわり。なお、大手予備校の模範解答についての検討は別の機会に行います。
Edward Bernaysについては、過去にも入試問題等でとりあげられているようです。(他にも、英語長文の問題集でも取り上げらていたはずですが、残念ながら問題集の名称はわかりませんでした。タバコ会社の依頼を受け、女性にもっとタバコを吸わせる心理操作キャンペーンの有名なエピソードがとりあげられたはずだったのですが)
バーネイズを取り上げた英語長文問題
中央大学商学部(2013年)
英検1級の長文読解(2016年度第3回)
エドワード・バーネイズの翻訳
エドワード・バーネイズ(中田安彦訳)『プロパガンダ教本: こんなにチョろい大衆の騙し方』 (←クリック)(2007年=2010年)
なお、問題を再掲しておきます。
前回のブログでは、ChatGPT−4は東大の要約問題の字数制限を守れないと述べました。求められた字数を超えるか、あるいは満たないかのいずれかになってしまうのです。
なお、他の年度の東大の要約問題もChatGPTにか解かせましたが、いずれも字数不足または字数超過になってしまいました。しかし、要約文の文章の仕上がりに着目してみると、単純に東大が要求する字数を守れないと言う問題ではないようです。むしろ、長めの要約文ならば良いものを作れるのですが、簡潔な要約文と作成するとしっかりしたものが出来ないのです。
前回記事の参考資料にもアップしておきましたが、ChatGPTが作成した長すぎる要約文を読んでみてください。
「エイジフレンドリー[=高齢者にやさしい] コミュニティ運動は、急速に増える高齢化人口に対応するために登場しました。この運動は、異なる世代が共通の利益を認識し、行動する包括的な社会を目指しています。しかし、実際には高齢者へのサービスに焦点を当て、若者や家族からのデータ収集が不足しています。異なる世代のニーズを理解し、全ての世代が幸せに暮らせるコミュニティを築くためには、多世代からの意見を集めることが重要です」。 (ChatGPT、193字)
「エイジフレンドリー[=高齢者にやさしい] コミュニティ運動は、多世代が共に幸せに暮らすために始まりましたが、実際には高齢者中心の対応で若者の意見が不足しています。全世代に適した都市を作るには、多世代からのデータ収集が必要です」 (ChatGPT、101字)
東大が求める簡潔さを満たしてはいませんが、英語長文の要約として読めば、的確で信頼のおける内容です。模範解答にしても良いぐらいです。(もしよろしければ、前回、参考文献として掲載した英文または全訳も読み返してください)。
他方、大事なエッセンスを残しつつ、字数を短くするのが生成AIは苦手です。誤解がないように付け加えると、単に短くすることならば簡単に出来ます。しかし、文章の中にあるピリッとしたスパイスの部分、あるいは興味深い論点まで全部切り捨ててしまうのです。
生成AIは、起承転結でいえば、「転」の部分を欠落させ、「起→承→結」の流れで要約しようとしてしまうのです。つまり、文章の展開だとか流れにある面白さを、生成AIは認識出来ないようなのです。結果、簡潔かつ興味深いの両立が出来ないのです。
前回の参考資料であげたChatGPTの、短すぎる要約文を再掲してみましょう。
「多世代が幸せに暮らすための高齢者に優しい町作り運動は、全世代向け都市づくりには、高齢者だけでなく若者の意見も必要です」 (59 語)
「多世代が共生する高齢者に優しい町作り運動では、若者からのフィードバックも集め、全ての年代が快適に暮らせる環境が求められています」(64語)
どちらの要約文も単線的な文章展開です。要するに、次のような展開です。
高齢者に優しい町づくり→若者の意見→全世代が快適になる
高齢者に優しい町づくり→全世代向け→若物の意見
しかし本文の文章の第三・第四パラグラフをよく読んでる必要があります。(よろしければ、これも前回のブログの最後(←クリック)に掲載されておりますので、お読みください)。
第三パラグラフは、however(=しかしながら)を冒頭部分に置いて始まります。より正確に書けば、In practice, however, で始まります。つまり、高齢者に優しい町づくり運動は、何らかの問題を抱えていたのです。ついで第四パラグラフでは、 その問題を理念と実践のギャップとして捉えた上で、ギャップが生じた理由を考察し、さらにその処方箋を提示します。
一つの理念や理想(=高齢者に優しい町づくり)の実現が、現実には一筋縄でうまくいかなかったこと、そして壁にぶつかったからこそ、その過程で様々な考察が生まれた訳です。人間の解答者であれば、字数が許すのであれば是非とも取り上げたいと考えるはずです。
図式化すれば、次のようなものになるでしょう。
(起)高齢者に優しい町づくり→
(承)その理念=全世代にとって良い町→
(転)高齢者中心の実践(でうまくいかない)→
(結)実践の(失敗した)理由と打開策
生成AIに要約文を短くせよと命令すると、「起承転結」の「転」の部分は捨象してしまえば良いと判断し、60字前後の要約文を作ってしまいます。けれども設問では80字まで書けるのです。人間の解答者ならば、残りの20字を使って「転」の箇所を表現できると考えます。
ChatGPTが出した要約文と人間の書いた要約文を再掲しておきます。
最初の青の文がChatGPTによるもの、次の赤の文が人間の解答です。人間の解答のアンダーラインの部分が「転」の箇所となります。
「多世代が共生する高齢者に優しい町作り運動では、若者からのフィードバックも集め、全ての年代が快適に暮らせる環境が求められています」(ChatGPT、64語)
「高齢者にやさしい町づくりのためには、高齢者の意見に焦点を当てれば良いと想定されがちだ。しかし現実には世代差が存在するので、全世代の声を集めないとうまくいかない」(シリウス英語個別指導塾、80字)
「全世代を視野に入れるべき町づくりが実際は高齢者優先になるのは、高齢者に良い社会は万人に良いと考えるからだ。 考え方の異なる全世代から意見を募るべきである」 (駿台青本、 76字)
「高齢者にやさしい町づくりは全世代共通の利益を目指すが 、高齢者に良い社会は万人にも 良いと考え高齢者を優先しがちだ。世代間の差を考慮し各世代から意見を集めるべきだ」 (竹岡『東大の英語、要約Unlimited』、80 字)
「高齢者に優しい町づくりは、社会的な繋がりの強化と全年代への配慮を目指すが、これまで高齢者のみに焦点を当ててきた。今後は様々な世代からデータを集めることが必要だ」 (大学受験.net 80字)
「高齢者にやさしい町づくりは幅広い世代にとって共通の利益になると謳われながら、実際には高齢者の利益が偏重されている。全世代からデータを集め改善を模索すべきである」(敬天塾解答、80字)
「転」の部分を文章のエッセンスとみなすか、それを見逃してしまうかが、人間と2024年3月現在の生成AIの分かれ目となっている。ネット上の模範解答も含め、いくつかの要約文を調べたが、いずれも「転」を重視している。人間の解答はバリエーションがあり、重点部分あるいは捨てる部分が何かについての判断は、多少異なってはいる(注)。しかしそれでも、共通項はしっかりとあるのだ。
人間には、「転」あるいはドラマ的展開に反応する能力が備わっているのではないか。あるいは、人が誰かに語りかけたり、文を書いたりする時、それを推進するモチベーションとなる力の源に感じる能力といったら良いだろうか。他方生成AIは、音声言語であれ書いた文章であれ、何か平板なものにしてしまう傾向が有るし、また感知できないのではないか。
生成AIが、東大の要求する簡潔で面白い要約文を書けないからといって、こんな風に議論を展開して良いのかと思う人もあろう。しかし、とりあえず2024年3月8日現在、私はそんな風な感想を持ったと記録しておきます。
以上
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(注)実を言うと、今回の問題についての竹岡先生の採点基準には、ちょっと違和感を持つ。こんな基準はあまりに許容度が狭すぎると思っている。また、大学受験.netさんの問題解説では、「理由(=なぜ高齢者中心のデータ収集をしてしまったのか)は結果よりも優先度が低い」と言う明言があり、それは要約文にも反映されています。私はちょっと同意できないのではあります。むしろ駿台青本の立場に賛成しているわけです。しかし、そのような見解の差異は、たいして大きな差異ではないだろうし、要約例のバリエーションとして広く認めていくべきであるという立場をとっています。