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2024/05/15

東大英語リーディングへの道ーーNollywoodを読む

『東大英語リーディング』への道ーー “Nollywood”を読む

 

目次

0)はじめにーー『東大英語リーディング』は通過儀礼だーーー今回の記事

 

1)”Nollywood”の何がそんなに難しいか

 

抽象語(hegemony, illegitimacy, representationなど)がどんな具体的現実を示唆しているのか分かり難い

従来の「常識」を覆す議論がさりげなく出てくる(Igbo society is direct democracy in action, republicanism and village democracy as political forms)

客観的な事実の羅列からなる歴史記述ではない

 

 

2)どのような武器で読んでいくのか

 

①固有名詞について整理する(民族・人物一覧、年表、地図作りなど)


②大辞典と物書堂の辞書アプリを活用する

 

百科事典、Wikipedia 、YouTube、ネット検索等を活用し、背景となる知識イメージや関連文献を調べる

 

生成AIを活用するーー概要、語彙、和訳、キーワードについての質問する

 

 

 

 

0)はじめにーー『東大英語リーディング』は通過儀礼だ

今回論じることになる東大英語とは、東大に合格するための英語という意味ではなく、東大合格後に一人ひとりの東大生に求められる英語である。

 

 

ここでは東大駒場の1、2年生の共通テキストである、東大教養学部英語部会(編)『東大英語リーディングーー多元化する世界を英語で読む』(東大出版、2022年)を考察することにする。その中でもSession 13-14 の“Nollywood“というナイジェリア映画論の文章を取り上げ、それがどのように難しいのか、そして読解するにあたって、大学新入生はどのような武器を駆使しながら挑戦したら良いのかを論じたい。

まず最初に、この「はじめに」では、このテキスト『東大英語リーディング』がどのように難しいのか、簡単に説明しておこう。Amazonの読者レビューを読むと、英語多読の入門書だと考える人がいるようだが、ちょっと的外れだろう。実際のところ、いわゆる「多読」にぴったりの、読みやすい英文集ではないだろう。TOEIC対策どころか、よりアカデミックな英文だと言われるTOEFLよりも、さらに難しいとも言えるかもしれない。何しろPreface にも、大辞典を駆使して読みなさいと書いてあるのだ。

実際、大学新入生(東大1年生)に対し、高校までの素朴な世界観を大きく越え、より高いレベルでの認識へと飛躍しなさい、ジャンプしなさいと、強く要求しているように見える。東大が東大生に求めているのは、抽象的で専門的な英語文献を読むための準備作業なのだが、そのためには真の東大生になるためには、知と学問の世界へのバンジージャンプという「通過儀礼」を体験しなければならないようだ。
ところで、かつての日本では教養主義というものがありました。今となっては大昔でしょうが、昔には旧制高校(現在の主要国立大学の教養課程。例えば、東大駒場の敷地はかつては旧制一高だった)というものがあり、将来のエリートとして嘱望されていた旧制高校生たちは、今までの簡単なお勉強を乗り越えようと、デカンショと呼ばれる超絶な哲学書などを読もうとしたという。デカンショとは、デカルト、カント、ショーペンハウエルという西欧の哲学者の頭文字を取ったものだ。彼らの著した難解な書物、あるいは、日本人でいえば和辻哲郎や倉田百三等に挑戦すべしというのが、教養主義である。

 

 

戦後の昭和になっても、教養主義の伝統は続いた。大学生たちは岩波文庫を買い、デカンショはもちろん、西田幾多郎、丸山眞男、マルクス、ドフトエフスキーなどを読んだらしい。

 

 

昭和の後期になると、いわゆる教養主義はほとんどなくなっていたが、それでもその残骸くらいは残っていた。実は私だって、大学生になると、サルトルの『存在と無』やカントの『純粋理性批判』のさわりに触れたのである。

 

 

これらは実に難解きわまるもので、サルトル『存在と無』の冒頭では、「即自存在とは『在るところのもの』であり『無いところのものでは無い』」、他方、「対自存在とは『在るところのものではない』『無いところのものである』」という議論から始まる。普通の大学一年生からすれば、ちんぷんかんぷんで、一人で読み進めることはほとんど絶望的である。しかし、先輩や先生の手ほどきを頼りに、次第に少しは読み進められるようになる。

 

 

ちょっと具体的に言えば、即自存在・対自存在とはヘーゲル弁証法に由来する概念であること、そして大雑把に言えば、即自存在とは未だ自己意識に目覚めていない素朴な段階であり、対自存在とは他者に触れ自己意識に目覚めた段階だ。先輩たちから、そのようなイメージを与えられると、それを手がかりに、難解な本に挑戦しようという気になったという訳です。

他大学はいざ知らず、教養主義は東大では、形を大きく変えてはいますが、その精神は消えていません。要するに、東大教養学部英語部会と『東大英語リーディング』が東大1年生に求めているのは、「大学生になったのだから、今までのような安易な姿勢は通用しないことを理解せよ、そして、現代の『教養』を身に付けられるような本格的な英文を読んでもみろ」なのです。だから、敢えて少々読みにくい英文が集められている。

そんな訳ですから、このテキストの読解は決して楽に読めたりはしない。おそらく帰国子女にとっても簡単だとは限らないでしょう。しかし、悪戦苦闘しながら奮闘すれば、「教養」あるいは「教養英語」へと一歩進めることが出来る、そんなテキストなのです。

 

 

 

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2024/03/15

2024年東大の英文要約問題[2]–2つの解釈の可能性

4)英文読解と解説ーー二つの解釈の可能性

 

第1パラグラフ

 

There is no doubt that one of the major issues of contemporary U.S. history is corporate propaganda. It extends over the commercial media, but includes the whole range of systems that reach the public: the entertainment industry, television, a good bit of what appears in schools, a lot of what appears in the newspapers, and so on. A huge amount of that comes straight out of the public relations industry, which was established in this country and developed mainly from the 1920s on. It is now spreading over the rest of the world.  (アンダーラインと赤字は私による。以下の英文も同様です)

 

最初のパラグラフでは、まずは主題が提示されます。現代アメリカ史において、企業プロパガンダは、大きな問題(issue)であり、しかも今では、世界中に広がっていると言うのです。

 

 

読み手としては、propagandaという強烈な言葉にハテナ?という思いを抱きつつ、何故そんなに大きな問題(issue)なのだろうかと読み進めることになります。言うまでもなくpropaganda は、非常に危険で否定的なニュアンスしかありません。全文を通して、受験生はこの言葉とその概念について自問自答することになるはずです。

 

 

 

先取りとなりますが、要約文においては、この「問題(issue)」が反映されている必要があります。(大手予備校の模範解答=要約文のほとんどは、いったい何が問題であるかのか理解しがたい、平板な文になっています。)

 

 

 

 

第2パラグラフ

 

Its goal from the very beginning, perfectly openly and consciously, was to control the public mind, as they put it. The public mind was seen as the greatest threat to corporations. As it is a very free country, it is hard to call upon state violence to crush people’s efforts to achieve freedom, rights, and justice. Therefore it was recognized early on that it is going to be necessary to control people’s minds. All sorts of mechanisms of control are going to have to be devised which will replace the efficient use of force and violence. That use was available to a much greater extent early on, and has been, fortunately, declining—although not uniformly–-through the years.

 

 

第2パラグラフで、プロパガンダの問題点が少しづづ明らかにされます。

 

 

プロパガンダの目的は「大衆の思考(the public mind)を操作すること」、そしてそのことが公然と意識的に(openly and consciously)論じられていました。

 

 

2つの論点が重要です。

 

 

 

一つは、プロパガンダの果たす役割の説明です。

 

 

 

大衆が自らの自由や権利を振りかざすと、[大]企業としては大いに困る。しかし、自由が認められている国において、国家が暴力的に武力を行使して鎮圧する訳にはいかない。だから、国家の暴力装置に取って代わるような、大衆の思考を操作し懐柔する技術の開発が必要になったのだそうです。(なお、もし書き手がマルクス主義者であれば、国家の「イデオロギー装置」といった表現を使ったでしょう。しかし、後で明らかにしますが、非マルクス主義者・非共産主義者ですから、表現は異なります)。

 

 

要するに、暴力を使った大衆の支配から、思考管理による支配へと変遷していったようです。統治の技術論としては進化なのかもしれませんが、読み手としては、両手を挙げて喜んで良いのか、ちょっと困惑してしまうところでしょう。

 

 

 

この文の書き手は、プロパガンダをどのように評価しているのでしょうか。ここでは、幸いにも(fortunately) という言葉が重要です。プロパガンダは少なくなる方が「幸い」だという訳ですから、プロパガンダを否定的に捉えているようです。

 

 

 

もう一つは、プロパガンダの活用は公然と意識的にされていたことです。そんなことが露骨に論じられていたとは、ちょっとビックリではないですか?どうしてそのような言葉が、公に包み隠さず論じられていたのでしょうか。そして、その帰結はどうなったでしょうか。読者はそういう疑問を持ちながら、第3・4パラグラフへと読み進めます。

 

 

 

第3・4パラグラフ

 

The leading figure of the public relations industry is a highly regarded liberal, Edward Bernays. He wrote the standard manual of the public relations industry back in the 1920s, which is very much worth reading. I’m not talking about the right wing here. This is way over at the left-liberal end of American politics. His book is called Propaganda.

 

Bernays’s Propaganda opens by pointing out that the conscious manipulation of the organized habits and opinions of the masses is the central feature of a democratic society. He said: we have the means to carry this out, and we must do this. First of all, it’s the essential feature of democracy. But also (as a footnote) it’s the way to maintain power structures, and authority structures, and wealth, and so on, roughly the way it is.

 

 

第3・4パラグラフでは、プロパガンダという、現代的に見ると否定的な印象しか持ち得ない技術の開発に尽力した人物、 Edward Bernays(エドワード・バーネイズ)が詳解されます。彼は、右翼ファシストや全体主義者とは全く正反対で、左派リベラルで民主主義の擁護者らしいのです。そしてその彼が、大衆の考えを操作すること、すなわちプロパガンダすることは、民主社会を維持し、既存の権力構造や富の構造を維持する方法であると論じていたようです。 

 

 

読み手は、第二パラグラフまではプロパガンダ=大衆の思考操縦=悪の技術かな?と思い始めているのですが、今度は、強力なカウンターを喰らってしまいます。プロパガンダは、実は、民主政治の要にある方法論だったのか?!と仰天するのです。

 

 

同時に、この文の書き手はいったい何を言いたいのか、どういう立場に立っているのか、読者は少々戸惑うはずです。

 

 

 

第5パラグラフ(最終パラグラフ)ーー二つの解釈

I should mention that terminology changed during the Second World War. Prior to World War II, the term propaganda was used, quite openly and freely. Its image got pretty bad during the war because of Hitler, so the term was dropped. Now there are other terms used.

 

 

 

 

ここで話が急展開します。従来であれば、公然と何の気兼ねもなく(openly and freely) 用いられていたプロパガンダという用語が、第二次大戦に入ると突然用いられなくなったのです。というのは、反民主主義の代表格であるナチス総統のヒトラーが、プロパガンダという用語を積極的に使ったので、この言葉の印象が悪くなったからだそうです。(注。ナチス独逸には、プロパガンダ省というのがありました。もちろん宣伝省と訳すことも可能です)。

 

 

このパラグラフをどう解釈するのかで、実は見解が大きく2つに分裂しています。

 

 

一方は、民主主義を体現しているバーネイズの「良い」プロパガンダが、ナチス・ヒトラーの「悪い」プロパガンダ政策のとばっちりを受け、プロパガンダという言葉が悪い印象を持たれるようになってしまった。だから第二次世界大戦以後は、大っぴらに活動できなくなってしまったという解釈です。つまり、バーネイズはヒトラーのとばっちりを受けたですから、<とばっちり説>と呼びましょう。

 

 

 

他方は、バーネイズの米国のプロパガンダも、ヒトラーのナチス独逸のプロパガンダも、本質的な差異はあり得ないとする解釈です。なにしろ大衆の意識や思考を操縦する技術というのですから、どのような体制にも奉仕できるはずです。また、一般大衆を愚弄するエリート主義の立場でしかあり得ないからです。

 

 

別の言い方をすれば、プロパガンダは民主社会の要だというのは、あくまでもバーネイズの誤った説であり、書き手をそんな説を実は全然認めていないのだと解釈しているのだ、と考えます。(注。民主主義そのものが不正にみちた体制に過ぎない、という解釈もありうるようですーー追加注釈となります)。

 

 

実際、ヒトラーのような反民主主義者がプロパガンダを駆使したのであれば、バーネイズの議論、つまりプロパガンダと民主主義が表裏一体であるかという主張は、極めて怪しいものだと了解できるはずです。いやむしろ、嘘を宣伝し広めるという意味での「プロパガンダ」にすぎなかったのだと、英文の書き手は言いたいのでではないでしょうか。

 

 

要するに、バーネイズの嘘がバレてしまったので、プロパガンダという言葉は、第二次世界大戦以後、表立って使えなくなってしまったという訳です。これを<バーネイズのデマ暴露説>としましょう。

 

 

 

<とばっちり説>と<デマ暴露説>のどちらが正しいのか。実を言えば、大手予備校がネット上で掲載している模範解答のほとんど全ては、<とばっちり説>を採用しているように見えます。実際、論理的には大きく破綻していませんし、そういう解釈も否定しきれないかもしれません。

 

 

 

しかし、その上で、私は<デマ暴露説>を取ります。いくつかの理由を挙げておきます。

 

 

 

① 第一パラグラフの issueは何か

 

 

<とばっちり説>では、バーネイズの思想を肯定的に受容しています。つまり、民主主義の要にプロパガンダがあるというバーネイズの思想を、英文の書き手が肯定している説ですが、その場合、一番最初のパラグラフの問題(issue)がいったい何なのか説明不能に陥ります。バーネイズの思想を肯定してしまったら、企業プロパガンダが世界を跋扈しているとして、何の問題もないことになるのではないでしょうか。

 

 

 

やはり、プロパガンダに根本的な問題があるのだと書き手は考えているとみなすべきでしょう。

 

 

 

② 東大生とエリート主義

 

 

民主主義の中核にプロパガンダが不可欠だというバーネイズの説を認めるとしましょう。この時、その民主主義は、「エリート主義的民主主義」とか「寡頭制民主主義」(←表現を改めました)、「指導される民主主義」と呼ばれることになるでしょう。つまり「参加民主主義」とか「ポピュラーデモクラシー」といった概念とは対立し、重要なことは賢人やエリートが決定すれば良いという民主主義です。

 

 

受験生は将来の東大卒業生候補ですから、そういったエリート主義に共感を覚えるのは、もしかしたら当然かもしれません。なにしろ東大生になれば、将来は電通に勤めたり、高級官僚になったり、あるいは東大教授になっったりして、日本の「愚か」で「無知な」一般大衆の思考や意識を操り指導する「エリート」になりたいと憧れてもおかしくないからです。

 

 

論理的には全否定しにくいです。しかし東大ともあろうものが、バーネイズのような天才的エリート主義者ーーおそらくサイコパスでしょうーーを称賛する英文を、敢えて入試問題には採用するとは考えられない。何しろ、マッド・サイエンティストならぬマッド広報マンの思想ですからね。

 

 

 

マッドサイエンストに密かに(あるいは公然と)憧れている医学部受験生がいるとしたら、大学は面接で絶対に落とすでしょう。同様に、マッド広報マンになりたい東大受験生は、落とさなくてはなりません。

 

 

 

そんなわけでデマ暴露説が正しい、あまり論理的でない理由ですが、私はそう信じてしまうわけです。(もちろんのことですが、エリート主義を信奉する立場から、私の論点が批判されるかもしれませんね)。

 

 

 

③バーネイズと書き手の正体は?ーー後付けの考察

 

 

後付け的な議論となりますが、<デマ暴露説>が正しい状況証拠を出しておきます。

 

 

 

バーネイズの著書の翻訳本のタイトルは『プロパガンダ教本: こんなにチョろい大衆の騙し方 (2007年) だそうです。日本語のサブタイトルは、びっくり仰天ですね。

 

 

 

そして、これが決定的な決め手となるのですが、英文の書き手は、あの有名な言語学者のチョムスキーだと判明しました。

 

 

改めて紹介するまでもありませんが、チョムスキーは著名な政治評論家でもあります。イデオロギー的には左翼・リベラルに近いが、共産主義や前衛主義左翼(=エリート主義左翼、民主集中制)とは対立する立場にいます。いわゆるアナーキズムですね。当然のことながら、アナーキストは大衆の思想を操縦するなどというエリート主義には断固として反対するはずです。

 

 

 

また、チョムスキーはバーネイズ『プロパガンダ』を評価しているようですが、つまるところ、悪魔の自白として、貴重な資料だと考えているのでしょう。

 

 

Bernays’ honest and practical manual provides much insight into some of the most powerful and influential institutions of contemporary industrial state capitalist democracies.”—Noam Chomsky (←クリック)

 

 

 

 

以上の理由から、バーネイズはヒトラーのとばっちりを受けてしまった説は、誤りなのです。

 

 

 

 

話のオチは?

 

さて、ヒトラーが積極的にプロパガンダ活動をすることによって、バーネイズのプロパガンダの怪しさが暴露されてしまった訳です。しかし、これをオチとしてはいけないでしょう。プロパガンダという言葉は、第二次大戦の終結とともに消えたが、名前を変えているだけです。大衆の思考操縦という技術は、秘密裏に活用され、世界中に広がり、現在に至っている訳です。ヒトラーも重宝した思考操縦の技術が、世界のあらゆる所で今なお貫いているのです

 

 

 

これは、実に恐ろしくゾットすることではありませんか。最後の静かなつぶやきで、我々は今日の世界の現状を思わずふりかえってしまうことになります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おわり。なお、大手予備校の模範解答についての検討は別の機会に行います。

 

 

 

 

 

興味深い資料

 

Edward Bernaysについては、過去にも入試問題等でとりあげられているようです。(他にも、英語長文の問題集でも取り上げらていたはずですが、残念ながら問題集の名称はわかりませんでした。タバコ会社の依頼を受け、女性にもっとタバコを吸わせる心理操作キャンペーンの有名なエピソードがとりあげられたはずだったのですが)

 

バーネイズを取り上げた英語長文問題

 

中央大学商学部(2013年)
英検1級の長文読解(2016年度第3回)

 

 

エドワード・バーネイズの翻訳

エドワード・バーネイズ(中田安彦訳)『プロパガンダ教本: こんなにチョろい大衆の騙し方』 (←クリック)(2007年=2010年)

 

 

なお、問題を再掲しておきます。

 

2024-1

 

 

 

2024-2

 

 

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2024/01/28

竹岡『東大要約』の誤読(補足)

 

前回のブログでは、竹岡『東大要約』の「38 欧州での子どもの権利の変遷」では、「大規模産業」という意味不明な言葉を使っていることを指摘し、むしろ「産業化以前」あるいは「産業革命以前」といった用語にすべきだったことを論じました。また、竹岡の不適切な訳語の原因には、研究社の『英和大辞典』があるのではないかと述べました。

 

 

今回は、前回のブログの補足をします。というのは、竹岡の38章の解説文には、その訳語以外にもちょっと誤読をしていることに気が付いたからです。ちょっと細かい点のようにも見えますが、歴史認識の上で重要な論点を含むので、ここで簡単に指摘します。

 

 

 

解答に至る解説文の中にですが、以上のような要約文があります。大規模産業IMG_3111 (1)第一段落の要約において、「大規模産業(⇛産業革命)が始まる19世紀前半までのヨーロッパでは、子どもは労働力の一部であり、教育を受ける権利などを有さず、親が自由にできる存在だった」と記されています。(黄色のマーカー部分)

 

ぼーっと読んでいるとなんの問題もありません。しかし世界史の常識と照らし合わせてみれば、この日本語にはちょっと不味いですね。2つの問題点がありました。

 

 

(1)産業革命が19世紀前半に始まったかのように読めてしまうからです。しかし産業革命が始まったのは、18世紀前半から中頃だと言われています。だから、これは要約文としては、ちょっと分かりにくいのです。

 

 

(2)産業革命が始まると、時を待たず、すぐに子どもの権利が認められたかのように見えます。しかし、子どもの権利が認められ始められるようになったのが19世紀後半であるが、産業革命が始まったのは18世紀前半だとすれば、産業革命の開始後子どもの権利をなかなか認められなかったのだ。それも100年くらい、あるいはそれ以上の長期にわたって、子どもの権利はずっと無視されてきたのだと解釈できるはずなのです。

 

 

 

考えてみれば、我々は19世紀のイギリスの児童に対して強いてきた重労働の歴史を我々は知っているではありませんか。19世紀の著名なノンフィクションやフィクションーーエンゲルスやディケンズの著作がその代表となるでしょうーーは、今なお言及されています。

 

 

child labor

 

Industrial_Rev

 

 

 

 

 

もっとも私は、要約文に深読み考察を書けと主張している訳ではありません。しかし、産業革命が起きたら、すぐにでも子どもの権利が認められるようになったかのような要約文は、誤解を与えるのでちょっと不味いだろうと指摘しているに過ぎません。ただし、誤解なきように付け加えると、模範解答の部分は問題ありません。不味いのは、途中の要約解説の箇所だけです。

 

 

 

 

 

なお、原文では以下の通りです。丁寧に読めば、「産業革命以後に」子供に対する味方が変化したと記述されているわけではないのです。

 

In pre-industrial Europe, child labour was a widespread phenomenon and a significant part of the economic system. Until and during the nineteenth century, children beyond six years of age were required to contribute to societies according to their abilities.

 

 

 

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2024/01/09

竹岡『東大要約』と研究社『大辞典』の誤訳(英語教材チェックその2)

エライ先生や辞書にも誤訳あり:権威ある辞書の言葉でも、意味不明な言葉を使わないように注意せよ!

 

英語教材を吟味する(その2):東大要約問題の訳語(続)

 

ーー竹岡『東大の英語 要約問題 UNLIMITED』と研究社『新英和大辞典(第六版)』の誤訳

 

 

 

1.意味不明な不思議な言葉

 

 

我々は、エライ先生の本や、権威のある辞書に書かれてあるものは、絶対に正しいと思い込んでしまいがちです。しかし、もちろんのことですが、いつも正しい訳ではありません。

         

 

前回取り上げたのは、高橋善昭先生『英文要旨要約問題の解法』の東大入試問題(1965年)(←クリック)に所収していたもので、’Industrial Revolution’ という用語を論じたものでした。今回取り上げるのも、実は再度、東大入試の要約問題で、しかも、内容的にも非常に似通ったテーマです。ただし、2019年に出題された問題ですから、2024年現在からみてごくごく最近の英文という感じです。

 

 

 

対象となったのは、現役の有名予備校講師の竹岡広信先生の『東大の英語ーー要約問題 unlimited』から、「38 欧米の子どもの権利の変遷」(2019年の東大の英語入試の要約問題)です。

 

 

 

 

いきなりですが、まずは竹岡先生の要約問題の解答例(和文)から見てみましょう。(東大の英語や設問については、一番最後に付録として添付しております)。

 

竹岡の1 竹岡の回答

大規模産業化以前、児童は、労働力であり親の私有財産だったが、19世紀後半以降社会が守るべき独自の存在とみなされ、国家によって法的に保護され様々な権利が与えられた」

 

 

 

冒頭でいきなり、「大規模産業化」という言葉で始まります。しかし、こんな単語を今まで見たことがありますか。おそらくほとんどの人は初めてということになると思います。広い土地を要する産業というのは、いったい何なのでしょうか? 実際、辞書はもちろんのこと、ネットで調べても、それを意味するような言葉が全然出て来ません。要するに、「大規模産業」という単語は意味不明です。もちろん大学入試の模範解答としては相応しくありません。

 

 

 

 

2.「大規模産業化以前」はPreindustrial の訳語だった。

 

 

そこで英文と対照してみると、「大規模産業」つまりここでは「大規模産業化以前」なのですが、”pre-industrial” の訳語として想定されていたと分かります。それならば、普通に前工業化段階の」とか「産業化以前の」、あるいは「産業革命以前の」と訳してもらいたかったです。

 

 

 

誤訳を正すと

 

 

大規模産業化以前、児童は、労働力であり親の私有財産だった」

 

 

 

→「産業革命以前では、児童は労働力であり、親の私有財産だった」

 

 

 

 

 

 

3.研究社『新英和大辞典(第6版)』が元凶だった

 

 

 

 

しかしそれにしても、なぜこんな訳の分からぬ訳語を、竹岡先生ともあろう人が選択してしまったのでしょうか。もちろん、まずは手元の英和辞典を片っ端から調べてみました。

 

 

 

 

 

すると日本で最も権威があるかもしれない大辞典、すなわち研究社の『新英和大辞典』(第6版)にだけは、Preindustrialの訳語として「大規模産業化以前の」が記載されていました。しかも驚くべきことに、他の訳語(「前工業化段階」「産業革命以前」など)は一切掲載されていないのです。

 

 

 

ぜひ写真を御覧ください。(本来のブログの意図から逸脱してしまいますので、このテーマのさらなる詳細については、一番最後の参考資料に掲載いたしますが、要するに研究社『新英和大辞典(第五版、1980年)』では、「大規模産業化以前の」のような不可解な訳語は掲載されていません)。

 

 

 

IMG_0122

 

 

 

 

 

竹岡先生の誤訳の原因は、おそらくは研究社『新英和大辞典』の訳語をまともに吟味せず、そのまま使ってしまったのであろうと推察できます。

 

 

 

しかし、びっくり仰天はそれに留まりませんでした。よく調べてみると、Industry の訳語は、ほとんど全ての英和辞典で「産業、工業」となっているのに、研究社『新英和大辞典』(第六版、2002年)だけは、「工業」という訳語がないのです。非常に不思議です。はっきり言って訳がわからないです。画像を見てください。

 

industry

 

 

 

 

 

4.「大規模産業」の正体を、英英辞典で探ってみた

 

 

とはいえ、ここで追及を緩めるわけではありません。なぜ研究社の新英和大辞典の第六版編集部が、こんな意味不明な言葉を作ってしまったのか、調べてみました。

 

 

 

一つの仮説ですが、おそらくは英米の辞書のpreindustrialの説明または定義を非常に分かりにくく、つまり下手くそに訳してしまったのではないでしょうかいくつか英米の辞書を調べてみたところ、現在の英語辞典(いわゆる英英辞典)では、イギリスのCollins の辞書に、「大規模」という訳語が登場した手がかりを見つけました。ここでは、オンラインのCollins Dictionary の preindustrial の説明をピックアップしてみます。

 

 

IMG_2753

 

Preindustrial refers to the time before machines were introduced to produce goods on a large scale.

 

 

となっています。 研究社『新英和大辞典』(第六版)に有った「大規模」の元となるであろう “on a large scale”が出てきますね。

 

 

 

Collinsの説明を日本語訳してみましょう。

 

 

「Preindustrial とは、機械を導入して大規模に商品を製造する時代より前の時代を言及する」

 

 

 

どうでしょうか。「大規模産業」と比べると、意味は通じますね。要するに、機械化して大規模生産する、前近代的な手工業でないとい意味なのです。しかし今一つピンとこない表現かもしれません。

 

 

 

5.「大規模産業」をわかりやすく表現すれば

 

 

 

そこで、「機械を導入」と「大規模に製造する」をさらに噛み砕き、漢字で表現します。なぜかこういう表現は、漢字の熟語で表現すると分かりやすくなるのです。また、前回のブログのように、「産業」の代わりに「工業」という言葉を使います。すると、次のようになるはずです。

 

 

 

「Preindustrialとは工場制機械工業が支配的になる以前の時代を指す」

 

 

 

 要するに ”produce goods on a large scale” というのは「工場制」と解釈すべきだったのですそして、” machines were introduced” ですから、全部まとめて「工場制機械工業」と訳してしまえば良い。誰でも意味がわかります。

 

 

 

 

 

最初の竹岡の要約文に戻ると、次のようになります。

 

 

 

工場制機械工業以前の時代では、児童は、労働力であり親の私有財産だったが、19世紀後半以降社会が守るべき独自の存在とみなされ、国家によって法的に保護され様々な権利が与えられた」

 

 

 

「工場制」等の言葉はちょっと重すぎるような気はしますが、一つの解答例とはなるでしょう。

 

 

とはいえ、preindustrial (またはpre-industrial )の訳語であれば、受験生であれば「産業革命以前では」または「産業化以前では」と訳すようにと、私ならば推奨するでしょうか。

 

 

 

もちろん、「工業化以前」では、あるいは「前工業化段階では」でも、もちろん構わないと思いますが、頭の固い英語の先生だと、バツになるかもしれませんから、やめたほうが良いかもです。(イギリスの場合は「産業化」が良いけれど、後発国は「工業化」だとか、面倒くさい議論があるので、立ち入らないほうが無難ですから)。

 

 

 

まとめ

たとえ研究社の辞典であっても、あるいは偉い先生の本であっても、吟味せずに無批判に使うのはやめましょう、ということです。先生であっても、訳のわからないまま、「作業」しちゃうことがあるからです。自戒の言葉でもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考資料

 

 

東大の入試問題は以下の通りです。

 

 

 

IMG_0125

 

 

 

 

 

他の英英辞典

 

 

 

他のCollinsの辞書、例えば ”Collins COBUILD Advanced American English Dictionaryの”preindustrial”では、Preindustrialについては同様の説明でした。

 

 

IMG_2754

 

 

 

 

ブログ執筆後、Oxford Learner’s Dictionary of Academic Englishにも、“pre-industrial “の説明で参考になるのがあると判明しました。

 

IMG_0128

 

 

 

 

 

この場合、”large-scale industry”ですから、”preindustrial” は「工場制工業以前の」という訳語になるでしょう。

 

 

 

しかし、多くの辞書の場合、”large scale”といった言葉は、その説明(定義)にはありません。

 

 

Collins English Dictionary & Thesaures, preindustrial=of a society, age,etc, before industrialization (産業[工業]化以前の社会や時代の)

 

 

Webster’s New World College Dictionary, of a period before industrialization specif. before the Industrial Revolution (産業[工業]化以前とくに「産業[工業]革命」以前の時代の)

 

 

American Heritage Dictionary, of a society that is not industrialized (まだ産業[工業]化していない社会の)

 

 

Merriam-Webster.com、not industrialized (産業[工業]化していない)

 

 

 

CollinsEnglish

Ameheri

 

Merriam-webster

 

 

 

 

 

 

研究社『新英和大辞典』(第5版、1980年)の場合

 

 

参考のために、手元にある研究社『新英和大辞典』(第5版、1980年)をチェックしてみました。

 

 

すると、

 

  • preindustrial=『産業化以前の」
  • industrial = 「生産業の;産業による;工業用の」
  • industry = 「生産業、産業、実業;製造工業、工業;○○業」

 

となっています。非常に普通の訳語です。

 

 

つまり、第六版(2002年)になって、Preindustrialの訳語が大きく変わったのでした。

 

5ed

 

 

preind

 

 

industrial-1industrial-2

 

 

industry

 

 

 

 

 

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2023/08/29

東大英語の要約問題の誤訳 (高橋善昭『英文要旨要約問題』) ーー英語教材チェックーー

英語教材を吟味する

 

 

私たち個別指導の講師たちは、普通、生徒向けの教材を作成したりしません。市販または学習塾向きの教材を使用することになります。しかし、私たちのようなプロ講師は、無批判にそのまま使ったりはしません。

 

 

説明が不充分だとか、解説文が分かりにくい箇所があるといった場合もあります。しかし厄介なのは、答えや解説がそもそも間違っているとか、例文が不適切だったりする場合です。英語の場合は、第二次世界大戦以前の古い表現だったりすることも稀ではありません。

 

 

また、超有名な英語の先生の著作、例えば、竹岡先生だとか関先生の本でも、やっぱり間違いや勘違いはありますね。

 

 

今回から、何回かにわたって、英語教材のミスや不適切な解説などを取り上げる文章を時折書いてみることとします。 最初に取り上げるのは、東京大学の英語入試問題で、英文読んで日本語で端的に要約する問題の解答例です。大御所の大先生ばかりとなりますが、明らかな誤訳が見つかりましたので、明らかにしていきます。

 

 

 

高橋善昭『英文要旨要約問題の解法』(駿台文庫)—東大入試の要約問題(1965年)のindustrialの訳語

 

 

高橋善昭先生と言えば、ちょっと昔ではありますが、駿台の名物先生の1人で、英語科主任(1991-2003) を担当していた実力者です。今回取り上げる高橋善昭『英文要旨要約問題の解法』(駿台文庫、2001年)は、今なお現役のロングセラーとして知られています。

 

 

しかし、本書の解答例を丁寧に吟味すると、ちょっと腑に落ちない箇所が出てきました。part Ⅰ -03「何を書くか」で取り上げられた東京大学の1965年の英語要約問題です。

 

 

結論を先取りして言えば、高橋先生がちょっと致命的な誤訳をし、その結果、要約文(模範解答)が何を言いたいのか、不可解なものになってします。

 

 

まずは東大の問題を提示しておきます。

 

「次の文を読み、’Industrial Revolution’ という用語が必ずしも適当と考えられない理由を60字から80字までの字数で書け」です。 (英文は少々長くなりますので、ブログの最後に掲載しておきます)。

 

 

これに対する高橋先生の解答は、以下の通りです。

 

(a) 産業化は

(b) 斬新的過程なので、

(c) 「革命」より

(d) 「進化」が適切であり、

(e) 産業面の変化は

(f) 社会の全分野の変化と不可分なので

(g) 「産業」も適切ではない。

 

 

どうでしょうか。この要約文の意味がすんなりと頭に入ってきたでしょうか。おそらくほとんどの人は、文章の後半の(e)~(g) が、一体何を意味しているのか、分からなかったはずです。

 

 

もう一度、高橋の要約文の後半部を繰り返し書いてみます。

 

産業の変化社会全分野の変化と不可分なので『産業』も適切でない」。

 

 

「産業の変化は社会全分野の変化と不可分なので」は違和感はありませんね。しかし、後半の「産業」が不適切だと言う結論は意味不明です。

 

 

 

この部分の根拠となる箇所を、高橋の訳文で参照してみましょう。

 

 

「産業面の変化を人口、運輸、農業、社会構造面の変化と切り離すのは不可能なのであるから、何故に『産業』なのかと言う疑問が出てくるのである」。

 

 

この訳文もやはり意味不明ですね。

 

 

 

種明かしをしましょう。すべての問題点は、Industrialを「産業」と高橋先生が訳したことにあるのです。ここは「工業(の)」と訳さなければならなかったのです

 

 

「産業」ならば一次産業から三次産業まで、あらゆる業界が含まれます。他方「工業」であれば、原材料から製品を生産する産業部門に限定されます。すると、次のように解釈できます。

 

 

 

 

‘industrial’「産業」   産業 ≒ 人口、運輸、農業、社会構造

 

 

‘industrial’「工業」  工業 <==> 人口、運輸、農業、社会構造

 

 

 

 

再度、高橋訳(’Industrial’=産業)を掲載します。拙訳(’Industrial’=工業)と比較してみてください。

 

 

高橋訳「産業面の変化を人口、運輸、農業、社会構造面の変化と切り離すのは不可能なのであるから、何故に『産業』なのかと言う疑問が出てくるのである」。

 

拙訳 「(工業革命のように)、『工業』部門に限定して論じることも、大いに疑問である。というのは、工業部門の変化は、人口、運輸、農業、社会構造といった諸部門の変化と切り離して論じることは不可能だからだ」。

 

 

 

同様に、’Industrial Revolution’という用語がなぜ不適切なのかを説明するものとして、高橋の要約文(e)(f)(g)は、(e’)(f’)(g’)のように書き換える必要が出てきます。

 

 

 

高橋要約

(e) 産業面の変化は

(f) 社会の全分野の変化と不可分なので

(g) 「産業」も適切ではない。

修正版

(e’) 工業部門の変化(=工業化)は

(f’) 社会の他部門(=人口、運輸、農業など)の変化と不可分なので、

(g’) (工業(革命)のように)、工業部門だけの大きな変化として記述するのは適切ではない。

 

 

どうでしょうか。明晰明瞭になったのではありませんか。

 

 

 

’Industrial’を何故「産業」と訳すようになったのか?

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ところで、’industrial’という言葉に対し、本ブログが指摘するように「工業」と訳すことに対して違和感を覚える方も沢山いるのではないでしょうか?なんといっても,我々日本人の多くは、’Industrial Revolution’を「産業革命」という用語で習ってきたからです。

 

 

また、どの英和辞典を調べても、’Industrial Revolution’には「産業革命」という訳語しか載っていないはずです。

 

 

けれども、ここで既存の知識から自由になって、ちょっとよく考えてみてください。そもそも何故「産業革命」と訳すようになったのでしょうか。

 

 

18-19世紀の、大きく変貌しつつある英国のイメージと言ったら、それこそ、蒸気機関、紡績工場、製鉄工場ではありませんか。つまり、工業技術の驚異的変革と、それに伴う革命的な社会の変化ではないでしょうか。つまり、「工業革命」とか「工業化」と表現するのがむしろ普通の感覚で、「産業革命」と訳すのがむしろ奇異であり、何か意図的なものを感じるべきなのです。

 

 

実は私は、1970年代に、高校の世界史の授業でK先生から教えてもらっていたことを思い出しました。「工業革命」と訳すと、工業部門のみの変化だと誤解される恐れがあるので、工業を含めた全産業の大変化であると示すために、「産業革命」と訳すようになったのだそうです。

 

 

「工業革命」という風に、「工業」面に限定した表現では、実態をとらえたことにならないのでダメであるという議論があったのだとしたら、それはまさに今回の英文、つまり東大の1965年入試でとりあげられた、’Industrial Revolution’への批判の議論も、その潮流の一つであると考えて良いでしょう。

 

 

したがって、次のように推測できます。

 

 

従来の’Industrial Revolution’論には批判があったのです。つまり、工業部門の変革のみに注目し、社会全体の大変貌を見損なっているという訳です。そこで日本の歴史学界や知識人たちは、’Industrial Revolution’という概念を救済するために、その訳出にあたって、「工業革命」ではなく「産業革命」を選んだのでしょう。「産業」革命なのだから、工業中心主義ではないぞ、という解釈です。

 

 

 

他方、今回の英文は、従来のIndustrial Revolutionという概念や認識を否定する立場に立っています。工業中心主義的な歴史認識であると批判し、さらに歴史に即していない革命至上主義的な史観と批判しているのです。
ですから、Industrial Revolutionを擁護する立場の訳語を採用するのではなく、それを否定する立場からIndustrialを訳出しなくてはならないのです。となると、Industrial Revolutionは「工業革命(論)」とするのが一番です。現代の英和辞典には「工業革命」という言葉は掲載されていないかもしれませんが、Industrial は「工業」と訳したほうが良いのです。

 

 

 

もう一度、言いますよ。ここでは、我々はIndustrial Revolutionという認識と概念を否定する英文の書き手の立場に立って、訳していくと良いのです。

「工業革命論(Industrial Revolution)」なんてのは、間違った認識だよね。その実態は、「工業」でもなければ「革命」でもないからね。だって、イギリスで起きた変化は工業だけじゃない。それにフランス革命みたいな、急激な政治的大波乱が起きたわけでもないんだ。

なお、帝国書院(教科書会社)の注釈(クリック)も参考にすると面白いですよ。ここでは、産業革命論のうち、革命史観の否定について、簡単な説明があります。

 

 

今回の教訓

 

偉い先生のもの、あるいは、権威ある辞典であっても、よく理解できない訳語や文を見つけることが時々あります。そのとき、自分の頭が悪いのだと決めつけるのではなく、丁寧に読み取る努力をしてみましょう。意味を理解できないのは、必ずしもあなたが悪いとは限らないのです。

 

 

 

 

参考資料

 

東大入試問題(1965年)

 

次の文を読み、’Industrial Revolution’ という用語が必ずしも適当と考えられない理由を60字から80字までの字数で書け

 

The term ‘Industrial Revolution’ has been a little disparaged lately by historians. When using it, it is prudent to add the qualifying ‘so called’. And though it would clearly be impossible to overrate the coming industrialism, which has transformed the country and moulded the lives of its inhabitants, we know now that the changes were gradual — they had been coming for centuries. Evolution, perhaps, would be a better word than revolution. It is quite impossible to take a date, say 1760, and say here begins the Industrial Revolution’ — and equally unsound to make it end somewhere about 1830 or even 1850. The process of industralization began before the eighteenth century, and has been going on at an increasing rate ever since. And why industrial, it is even asked, since it is impossible to separate changes in industry from changes in population, in transport, in agriculture, and in social structure. Each acted and reacted on the other. Again, though the inter-relation is less direct, the changes in the spirit of the age and in the literary fashion are all connected with the growth of an urban civilization and the increasing command over Nature.

 

 

 

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