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塾ブログ 林間教育通信

2016/10/19

英語ってそんなに重要?

久しぶりのブログ投稿となります。

 

残念なことに、日本人の多くが英語コンプレックス、西洋コンプレックスというものを抱えています。そして、大事なお子さんの大学受験を有利に進めるためには、まずは「英語」、という世間の風潮も後押しし、とにかく英語ができることが、お子さんの安定的な未来のために必要不可欠な要素であると信じて、目を血走らせて英語に取り組ませている方々が結構な数存在するはずです。

 

こんなことを言うと奇妙に思われる方が多いだろうと思いますが、日々英語を教えている私たちは、「英語ってそんなに重要?」と正直思っています。もちろん、それぞれの(それぞれに妥当な)志望大学に合格できるくらいの英語力は絶対不可欠です。ただ、それほどのことであれば、あまり目を血走らせなくても当塾で普通にコツコツとやっていけば十分可能です。(ただし中3高1から入塾で英語が遅れている場合は話は別。)

 

目を血走らせる方々は、一体どれほどの英語力を求めているのだろうか?と不思議な気もしますが、恐らく英語の世界というものを漠然としかおわかりになっていないので、必要以上に不安感を抱かれているのだろうとも推測しています。

 

さて、前置きはこれくらいにして本題に入りましょう。私たちの「英語ってそれほど重要?(反語)」という意見を強く後押ししてくださる新聞の記事をご紹介いたします。

 

一つ目は、2000年にノーベル化学賞を受賞なさった白川英樹氏の文章です。2016年2月18日読売新聞に掲載されたものです。

 

 

 

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(前半部一部省略)(私の判断で重要と思われる個所に下線をつけています。)

 

・・・ノーベル賞受賞発表直後のメディアの取材攻勢の中で、外国の経済紙記者から意表をつく質問があったからだ。「アジアで日本人のノーベル受賞者が多いのはなぜか?」一瞬考え、「日本では日本語で書かれた教科書を使い、日本語で学んでいるからではないか。」と答えた。

 

 アジアでは英語の教科書を使い、英語で授業をする大学が少なくないと聞く。もちろん、日本の大学でも英語の教科書を使う場合はあるが、英語による授業は極めて限られている。

 

 この時の記者の質問に正しく答えられたかどうかについて自信がなく、私の中で科学と言語の関係性はずっと課題になっていた。

 

 この課題に一つのヒントを与えてくれたのが、作家の丸谷才一である。

 

 丸谷氏は「考えるための道具としての日本語」と題する論評で、「言語には伝達の道具という局面のほかに、思考の道具という性格がある。人間は言葉を使うことができるからものが考えられる」と書いた。

 

 私はこの主張に意を強くし02年、「月刊国語教育研究」の巻頭言で、日本語で科学を学べることの重要性を論じた。

 

 これまで日本の科学者たちは日本語を思考の道具として使ってきた。江戸時代から明治維新を経て、海外から日本に伝わってきた科学や文化は、先人たちが外国語の文献と取り組み、思考を巡らせて翻訳してきた言葉と概念によって、今の時代へとつながってきている。その恩恵を私たちは受けてきたのだ。

 

 日本人の母国語である日本語で表現できなければ、英語などの外国語できちんと科学を理解したり表現できたりするはずがない。日本語で論理的に考えられない人は、英語でも論理的に考えられないだろう。

 

 京都大学の山極寿一学長は、グローバル人材の育成について、英語は習熟する必要はあるが道具の一つでしかなく、大学生活で重要なのは考える力を身につけることで、それには日本語、つまりは母国語で考えるのが一番だと述べている。

 

 英語はコミュニケーション言語として大事であり、学ばなくてよいということではない。だが私自身、必要に迫られて学んだ外国語によるよりも、長年使いこなしてきた母国語の方がより核心に迫った理解ができるし、より発想の自由度が大きいと感じてきた。(一部残して抜粋終わり)

 

 

これとほぼ同じ意見のコラムを最近東京新聞で発見しまして感動しましたので、挙げておきます。元外務省主任分析官であり、現在は作家、また、同志社大学客員教授という肩書をお持ちの佐藤優(まさる)氏の文章です。

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佐藤氏は「現在日本の大学でも英語を母語としない日本人教師が、英語に堪能でない学生に専門科目を英語で講義をするという滑稽な事態に、即刻終止符を打った方がいい」とおっしゃっています。確かに、想像するだけで滑稽で吹き出してしまいます。当のご本人たちは非常に真剣に、真面目に取り組んでいるのだろうな、と想像すれば想像するほど滑稽で、気の毒でもあります。

 

氏の主張のよれば、「日本語で情報を伝達する場合と比べて教師は3割程度しか情報を伝達できない。学生の理解度は日本語と比べて2割。両者を掛け合わせると、日本語で講義するのに比べてなんと6%しか情報が伝わっていない」ということになるそうです。非常に納得できます。

 

「日本人は欧米の学問を土着化させ、日本語で専門科目の講義をできていることに誇りを持つべきだ。英語授業は教育水準の低下を招く亡国の政策だ」と言い切っています。元々高い英語教育を提供している同志社大学ご出身の方にこうおっしゃっていただけるのは、非常に気持ちがいいですし、心強いですね。

 

 

最近は日本国内において、学校も企業もやれ「グローバルグローバル」とかまびすしいですが、一体全体グローバルってどういうことでしょうか?英語を勉強して、英語ができるようになればグローバルということになるのでしょうか?では英語ができなければグローバルではないのでしょうか?京都大学の山極学長のお言葉を拝借するならば、自らの言葉で考える力なくして何がグローバルか、です。

 

 

私たちが日々生徒の皆さんと接しておりまして感じることは、何にもまして、母語である日本語をあまりにも雑に、無自覚に使っているということです。母語である日本語の運用能力が大したことないのに、どうして英語力をそれ以上に向上させることができるでしょうか?母語を使って論理的に自分の意見を表明できないものが英語でならできる、ということがあり得るでしょうか?少し奇妙にも思われるかもしれませんが、私たちは英語を学ぶことを通して実は、皆さんの母語である日本語の運用能力を高めようとしているのだと、日々痛切に感じています。

 

 

今日はここまで。

 

 

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2016/09/21

上智大学 文系学部

上智大学の文系学部は、お買い得な大学です。慶応の小論文はちょっと無理そう、というタイプのお子さんにもお勧めです。

 

上智大学の英語問題の特色をざっとご説明しましょう。 

 

1)上智大学はどんな学生を求めているのか?ー 英語問題からみる上智の特色

 

入学試験の合否というのは、最終的には模試の偏差値や成績で測ることはできません。当たり前のことですが、実際の入試問題でいったい何点取れるのか、で決まるのです。過去問研究が大事なのだと言われるのはそのためですが、要するに、入試問題と受験生との相性が合うか合わないか、が大事なのです。
さて、上智大学のようなミッション系大学はどんな英語問題を出題するのでしょうか。とても難解そうなイメージがありますね。しかし、実際に解いてみると、案外平易な文章が目立ちます。問題(選択肢)も、英文が読めていれば素直な気持ちで解けば正解にたどり着ける問題が多いです。(あんまりひねった選択肢はないということ。)ただし文章量は圧倒的に多いです。また、文法の知識問題も豊富ですね。早慶の入試問題とはかなり違います。

 

以下分りやすいように箇条書きに特徴を書いておきましょう。

 

  1. 問題は全て記号選択式
  2. 英文は平易だが、 文章量が非常に多い。
  3. 語彙・文法の知識を問う問題が多い。
  4. 学部間で問題の種類や難易度の差異が少ない。

 

特に重要だと思われるのは(4)です。早稲田や慶應などでは、明らかに各学部ごとに問題の特色があります。ところが、上智大学では、理工学部だろうと、総合人間学部だろうと、外国語学部だろうと、学部間の違いが見えにくいのです。(おそらく、早慶では各学部ごとに問題を作成しているのに対し、上智では各学部は問題作成に タッチしていない)。つまり、早慶であれば、例えば商学部ならば商学部らしい英文が出題されます。例えば、ウォールストリート・ジャーナルやニューヨーク・タイムズなどから、商学に相応しい内容が採用される。ところが上智の場合は、法学部だろうと理工学部だろうと学部間で入試問題の差異があまりなく、もう少し一般的な内容の英文が出てくる。決して学部や大学院の授業の先取り的な内容が取上げられることはない。したがって、受験対策も当然ちがってくる。

 

早慶とりわけ慶應の社会科学系学部(経済、法、商など)を志望する受験生には、我々は新聞を読め、社会科学の新書本を読め、と強くアドバイスします。しかし、上智の受験生であれば、新聞くらいはやはり読んだ方がいいのですが、新書本まで読まなくてもよい。極端なことを言えば、国語の成績がある程度良いならば新聞も本も読まなくても何とかなる。そういう態度で臨んでいます。

 

  • 以前と比べて外国語学部と法学部は入りやすくなった。

 

上智大学の看板学部と言えば、言うまでもなく外国語学部英語学科ですが、かつては早稲田慶應をしのぐような偏差値がありました。しかしいまでは大分易しくなりました。

 

あるサイト http://matome.naver.jp/odai/2136409127245548801によれば、1983年から2013年にかけて代ゼミ偏差値で67から63に下がりました。同様に、かつては法学部の偏差値も私立大学の中で最高峰だったようですが、今では早慶に次ぐ三番手になっているようです。

 

 

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2016/09/15

論理的思考と日本語能力ー英語学習との関連で

生徒の皆さんと一緒に英語を勉強していると、「論理力のなさ」とか「言葉力の弱さ」というものを感じることがあります。そしてそれが結果として、他者に伝わらない表現へとつながっているように感じ、なんとかしなきゃなと、ちょっとした焦燥感につながることがあります。

 

 

このちょっとした焦燥感を感じる度に思い出すのは、中学時代、数学の先生に言われたある言葉。今でも私の心の底辺にずっと根付いているものです。それは「数学の答案を書くときは、自分がどう考えてこの答えにたどり着いたのか、その思考の道筋が読む側にきちんと伝わるような答案を書きなさい。」というもの。こう言われた当時は確かまだ中1か中2でしたから、(今と違って)素直そのものだったので、本当に真面目に「これで私の考え、先生にきちんと伝わるかな~」と意識しながら答案を書いたり、数学の問題を解く(書く)ようにしていました。

 

 

ちょっとした計算問題だとしても、突然暗算でポッと答えを書くのではなく、(←以前は数学も教えていましたが、こういう子本当に多くて困りました。)ポイントとなる途中式は必ず書く、「先生、私、ここでこう、式を変形しましたよ。」と伝える。そうすれば見てくださる先生はきっと「なるほど、ここでそう変形したからこうなったのね。」と、私のたどった計算(思考)の道筋をたどりやすくなるだろうと思ったからです。

 

 

この最たるものが、「図形の証明問題」でした。初めて図形の証明問題を解いた時、なんだか心躍る気分になりました。だって、「~を証明せよ。」という問いに対して、相手に有無を言わさないような答案、こう考えて、この結論に到達しました、と理路整然と説明する答案が求められるわけですよね。「○○と○○が~である、よって~は・・・であ~る~!文句あっか~。」というような答案を書けばいいわけですよね。そのためには、自分で読み返してみて、「うーん、これで読む側に私の考え、正確に伝わるかな~」とか「ここにもう一文付け加えた方が読む人が分かりやすいよね。」とか「うん、こことここがこうなんだから、当然こういう結論になるよね。」「え?それでほんとにそうなるっけ?違うじゃん」とか、自問自答していく、そういうことがなんだかとても楽しかったですし、「論理ってこういうこと?」という意識が芽生えた端緒だったような気もします。

 

 

数学でのこういった意識他者への意識・配慮ーつまりは自分を客観視しようという意識と実際の演習を通じて、「論理的思考力」だとか「相手に伝わる言葉を使う」という力が少しずつ身についていくものなのではないかと私は考えています。しかし、成績を上げるため、とか、試験でよい点を取るため、という気持ちだけでただやみくもに目を血走らせて問題を解いているだけでは、こういった本質的な力を養うことはなかなか難しいような気もしています。やはり、「意識」を変えないと・・・

(その証拠に、数学が得意(?)だからといって、必ずしも論理的表現ができているわけではない!)

 

 

論理的思考力だとか、他者に伝わる言葉を使おうという意識が弱いと、何を勉強してもやはり、なかなか形が決まらない、つまり、自己流でしかできない、結果、本質は見つからない、ということになりがちです。

 

 

ひとまず今日はこれまでにします。

 

 

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2016/09/05

学ぶことの意味

 

このブログでは連日のように、「本を読め」「新聞を読め」と連呼しています。私は個人的に東京新聞が気に入っていて、朝刊だけでなく夕刊も毎日とても楽しみにして読んでいます。もちろん、子どもも読んでいますし、もう何年も、大事だと思う記事の切り抜きを続けています。

 

今日は、東京新聞の記事をいくつか取り上げてご紹介したいと思います。(まあ、素朴に私好みの記事を紹介したいだけなんですけどね。)

 

まずは、2016/9/3に掲載された森田真生氏の「数学のなかの人生(上)」という記事をご紹介します。読みにくいかと思いますので、後半部分をそのまま抜粋します。尚、私の独自の判断で色を変えたり、下線をつけております。

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数学の中の人生

 

(以下抜粋)

 

「人間の知的能力のうち、計算機にいまのところまったく欠けているのは、他と共感する能力である。人の悲しみを前にして、自分もすっかり悲しくなること。喜ぶ人を前にして、まるで自分のことのように嬉しくなること。こうした能力は、囲碁が打てたり、積分をできたりするよりもはるかに基本的な人間の知能だ。

 

 数学は、計算だけでは成り立たない。単に正しい答えを見つけるだけでなく、その答えの意味するところを「わかる」ことを目指すからだ。では「わかる」とはどういうことか。それは、煎じ詰めれば、わかりたい対象に共感し、心を通わせ合うということではないだろうか。

 

 計算のような正確な思考こそ数学の美徳だというのがデカルトの考えだったが、およそ日常とはかけ離れた対象にまで心寄せていく開かれた想像力もまた数学の美点だ。

 

 数学と人生の関係について漠然とした疑問を抱えていた私はいまでは、数学が、よく考え、よく生きようとする営みそのものだと感じている。数学はいつしか、すっかり人生の一部になってしまった。」

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これに関連して、次は本日(2016/9/4)の書籍紹介の記事。

『人びとの戦後経済秘史』(東京新聞・中日新聞経済部編)についてジャーナリストの池上彰氏が書かれた書評からです。

 

今どう生きるか問う

 

 

(以下抜粋)

 

多くの若者は、歴史を暗記科目だと誤解しています。中略)

 

その若者たちにとって、水俣病や四日市の大気汚染など高度経済成長期に発生した日本の公害問題は、約五十年前の出来事。完全に歴史上の出来事です。

 しかし、もしあなたが、そのとき、チッソ水俣工場で働いていたら…四日市工場で働いていたら…。

 あなたは何ができたでしょうか。」

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最後は、私が毎週楽しみにしている山口二郎先生のコラムです。これは画像も読みやすいと思いますので、是非本文をお読みください。

 

疑いと憤りの持続 山口二郎 東京新聞2016.9.4

 

(以下抜粋)

 

「日本では無責任や虚偽が当たり前になり、疑うことや憤ることを続けるのに飽きてくる。しかし、おかしいと思わないことは、自分も虚偽に加担することを意味する。

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森田氏の「『わかる』とは煎じ詰めれば、わかりたい対象に共感し、心を通わせるということ」という言葉と、池上氏の言葉「もしあなたが、そのとき、チッソ工場で働いていたら、四日市工場で働いていたら、あなたは何ができたでしょうか。」という言葉、そして、山口二郎氏の、「おかしいと思わないことは、自分も虚偽に加担することを意味する」という言葉。見事にリンクしているように思います。

 

つまり、五十年も前に起きた問題、直接自分には全く関係がない(ように思える)出来事に対して、「わかりたいと心を通わせる努力をするか否か」で、その出来事に対する理解の深さは全く違ってきます。わかりたいと心を通わせる努力をしなければ、それは単に、試験で点を取るための暗記項目の一つでしかありません。そういう意識で勉強する人にとっては、本当に苦痛で退屈なだけの‟作業”となってしまうでしょう。

 

また、「わかりたい対象に心を通わせようとしない」場合は、「これはおかしいのではないか」という疑問も憤りも湧かないわけです。かくして、世の中の不条理だとか力を持つ者の不正・横暴といったものにも非常に鈍感な群衆が育っていくのでしょう。これが、「教育の成果・結果」だとしたらあまりに情けない限りですね。

 

 

勉強する最終着地点は、「わかりたい対象ー喜んでいる人、悲しんでいる人、苦しんでいる人、怒っている人ーに近づき、共感し、心を通わせあうこと」となるべきでしょう。

 

その対象は、身近な存在には限りません。時間と空間を超えて、遠く離れた存在について、わかろうとする気持ちを持つことが大切だと思いますし、それが出来るようになったとき始めて、勉強すること、学ぶこと、学問することの意味と楽しさが本当に理解できるようになるのではないでしょうか。それが出来ないうちは偽物、と私は思っています。

 

 

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2016/09/02

大学で英語を専攻するのはどう?

当シリウス英語個別指導塾でしっかりと勉強していると、当然、英語が(相対的に)得意な人になれます。すると、特に女子生徒に多いのですが、大学では英語や語学関係を専攻したいとか、将来英語関係の仕事をしてみたいという生徒がちらほら出てきます。この時、中学や高校の英語の先生ではなくて、通訳や翻訳やそんな仕事をしてみたいなぁという気持ちになる場合が大半です。

 

よくある質問(FAQ )でも取上げましたが、英語を専攻にするという進路は、私どもとしては基本的にあまりお薦めしていません。再度ブログでもこのことについて書いてみようと思います。

 

1.英語・語学を「本気で」専門にするつもりならば、英語+国語+読書力の点で相当優れているのが絶対条件です。

 

大学で英語を専攻するのもたしかに一つの選択肢だとは思います。しかし、本当の本気で英語を専門に勉強しようと思うのであれば、英語力だけでは駄目です。国語力に秀でて、どんどん読書をするような人でないと、語学の道は厳しいでしょうね。残念ながら、私たちが知っている「語学関係に進みたい」と言い出す中高生の多くは国語力が足りない場合がほとんどです。英語(だけ)はなんとかよい成績を保てているので、勘違いをしてしまうようです。

 

読書にしても、ラノベしか読んでいないようでは問題外です。原書で読んでいる必要は全然ありませんが、「ドストエフスキーとポーが好きです」くらいのことを言って欲しい。別にこれが、「翻訳でアリス・ウォーカーとポール・オースターを愛読しています」とか、「南アフリカのSFに興味があるんです」でも構いません。

 

以上のような条件を充たしているならば、英語や語学を専攻というのもアリでしょう。しかし、家庭環境も問われてきますし、かなり狭き門ですね。

 

 

あ、ただし、昔の花嫁修業の感覚、つまり女子大で英文学を専攻しようというような感じで英語を勉強するつもりであれば、何でも OK です。いまどき花嫁修業かなぁとは思いますが、それで良いというのであれば、どうぞご自由になさってください。

 

 

 

2.通訳や翻訳を職業にするのはかなり難しい。

 

これについてはもう繰り返しません。上智の外国語学部英語学科の大学院を出て、通訳専門学校に通ったからといって、プロの専業通訳に簡単になれるというものではないということだけは、強調しておきます。

 

英語を専攻してそれを活かすとなれば、普通は英語の教師なのです。学校の教師以外にも、TOEICやTOEFL専門学校や受験予備校などの講師の道もあります。なお、大学で英語を非常勤で教えるのは案外簡単にできますが、収入的には極貧を覚悟する必要があります。といって大学の専任教官になるのはかなり難しい。

 

 

3.英語力を活かしたいならば、他の専門を身につけましょう。

 

普通の人が英語力を活かすとしたら、英語の先生になるか、英語を使って自分の専門分野で活躍するのが一番です。英語の先生が嫌ならば、法学部、経済学部、商学部、工学部、薬学部などの分野に進んでください。

 

とくに理系分野では英語が苦手な人が多いので、英語ができる人は重宝されます。また、法律の知識があると、社内翻訳家になって比較的高給を得ることが出来る可能性が開かれるようです。これも繰り返しになるので、これ以上は述べません。

 

 

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